っきょうはギロッポンで、 | ざっかん記

っきょうはギロッポンで、




カーチュン・ウォン氏と日本フィルとの公演であった、っこんかいの公演2種は、っいずれもじつに周到に練られたプログラムである、先週の伊福部、ラフマニノフ、ベルリオーズは、《サロメ》のヨカナーンの生首と《幻想》のグィロティンによる断首とがリンクし、っかつ《パガニーニ・ラプソディ》と《幻想》とはディエス・イレーという共通項で結ばれていた、っきょうはエグゾティシズムがひとつのテーマで、カムボディア出身で米在住、80代で存命中というチナリー・ウンなる作家の《グランド・スパイラル》という曲に始まり、児玉麻里、桃姉妹を招いて、ガムランに取材したプーランク《ダブル・コンチェルト》、休憩後も両女史登壇で、ガムランに執心のあまりバリに数年をすぐしたというカナダのコリン・マクフィーという作家の《タブー・タブーアン》なる3楽章制のコンチェルト様の曲、っそしてジャポニスムの所産、ドビュッシー《海》である、曲毎に配置転換が忙しいために、カーチュン氏が登壇されて英語であれこれ話されていた、客席は、っやはりかかる攻めたプログラミングだと、っやや空席過多であったようだ、

っしかし、変化に富んだ、っおもしろい一夜だった、ウンは大編成を馳驅して南国の秘境へ夢幻を展く10分15分ほどの1楽章制の作で、っぼくはカーチュン氏が振られる日フィルならばもはやどんな曲でもたのしんでいられる、機能的でかつ細心の籠ったアンサムブルそれ自身で、っすでにして聴く者を唸らせるにじゅうぶんである、っほんの5年10年以前には、彼等の合奏能力がかほどの刷新をみるとは、露想像できなんだ、20年ほど前、っぼくの画学生時分には、コバケンさんと彼等との公演へさかんに通ったものだが、っそこでは、っまあコバケンさんのリハーサルのなさり方もよくなかったものとみえて、っぎゃんぎゃんぎすぎすする、っともかく限界を感じさせるオーケストラだったものだ、っそれでもぼくはコバケンさん公演へ通いつづけ、っその期待はあのマーラー《9番》によっていちおうは報われたが、逆を云うとあれをピークに燃え盡きた憾で、っその後はようよう足が遠退くようになってしまった、っそれがいま、っかくしてまるでべつの指揮者と彼等との蜜月を具に見届けむとするとは、日フィルにも彼等の歴史があり、っぼくにもぼくの人生がある、

プーランクは、ガムランの模倣は各楽章へ唐突に割って入り、っそれ以外のところは軽妙洒脱、古今の音楽語法を縦横に振り撒き、っときには、ったとえばストラヴィンスキー《ハル・サイ》からの直接の引用なども聴かれる、編成や舞台配置までスコアにうるさく指定せられているらしく、ピアノは蓋をとって2台相対で、指揮台はそれよりも客席側、絃はVnがともに8、Va以下はいずれも4、打楽器はティムパニを欠いて1のみで、ピアノの後ろであれこれの楽器を忙しく操る、

コリン・マクフィーとコンチェルトがつづくが、っまた配置が変わり、っこんどはピアノは2台平行で奏者がこちらを向いている、最後列にはずらり打楽器連がいるが、っまたオケの中、ピアノの後ろにはシロフォンがいる、作曲家は1900年ちょうどの産まれで60年代まで生きた人だが、七面倒な現代音楽ではなくむしろライトな書法で、ミニマル的でもあり、ジャジーな面もある、

ドビュッシーは近年、本家本元というべきデュトワや、っより人間臭い仕事がぞんがい好もしかった藤岡氏、フレンチらしからぬたっぷりとした構えで聴かせた井上キーミツなど、各人各様のいずれ劣らぬ名舞台へ触れてきたが、っきょうのカーチュン氏も素敵だった、彼氏の棒は、っあのように声部声部がマルチに動く楽曲では、っほんとうに頼もしく映ずる、バルトーク《オケ・コン》とか、ライヴは聴かずにしまったが動画に視るヤナーチェク《シンフォニエッタ》とか、っきょうの《海》もその延長線上で、冷厳なしかし熱情をもって絶えず全楽を遙かに見渡しているその手応えが、聴いているこちとらにとっても快感だ、㐧1曲の終結部分など、っその音勢バランスの操作はなかなかの手練である、

カーテン・コールでの彼氏は、っいちどぼくらの拍手を制して、またあしたっ、っと日本語で云われる、っぜひにそうしたいところではあるが、っざんねんながらぼくはあすは、午は中野で井﨑正浩氏のコーラスの公演、夕は川崎へ遷り、坂入健司郎氏のブルックナー《7番》である、っあすの日フィル公演は動画配信があるので、録画しておかむ、っただし、1曲目のチナリー・ウン氏の曲は、権利関係があるのか、配信上は割愛せられるようである、



っそうだ、っけさはキーミツの大阪フィルとの夏のブルックナー《7番》公演切符の、ザ・シムフォニー・ホール会員への先行販売開始であった、会員登録は無料だったので、っよろしく2階正面の最前列最通路寄りを得る、聖蹟別棟は電波が入りづらいというのか、5Gが入りそうで入らなく、4Gへ落ちたり5Gになったりを繰り返し、人が決済をせむとしているときにかぎってそんなで、長時間を要して決済完了画面まで至ったのだが、購入完了のメイルは来ないし、当の席が売約済み表示に切り替わらないしで気を揉んだところ、購入から1時間以上してようやっとメイルが来て、胸を撫で下ろす、彼氏と服部百音女史とのショスタコーヴィチのコンチェルト2曲とも公演は、サントリーのみを聴き、大阪は敬遠せむなどと云ったが、なにをヒヨっているのだっ、っとおもい直し、大阪のほうも切符を取った、京響とは同《セロ・コンチェルト》をやはり2曲とも演るようだが、2日のうち初日は1曲抜いてすこしくみじかい上演時間のようで、っその日は大阪でデュトワを聴き、っで京都へ遷って、っしかしキーミツを1日っきりはざんねんだなとおもっていると、彼等は翌日には広島へ同プロを持って行かれるようなので、っぼくもそれへ附き合ってから帰京することとする、っでも、っあの去年の公演のとき、京響とはあとブルックナー《8番》を予定しているとかと云われていたのになあ、っいまのところそうした発表はない、森山開次氏と組んで全国諸都市を巡演されるという《ラ・ボエーム》まではさすがにぜんぶは行けなかろうが、っいまのところ川崎のみが発表せられており、っほかに都内や東京近郊で開催のようであれば可能のかぎり聴くとせむ、引退前最終公演は12/30のサントリーらしいが、っまだオケも曲も発表せられていない、っさてどんな公演になるかしら、っぼくなど、新全集を完成せしめるのにいまだショスタコーヴィチ《死者の歌》を演られていないようにおもうので、っそんなへんてこな曲をもってくるんじゃなかろうかと想像してたのしんでいる、切符は、発売初日に張り附いていてもぜんぜん購えないというほどのことは流石にないだろうと踏んでいるが、っともかく抜かりなく入手に努めむ、


っいままだ永山の駅、手が氷んなっちゃった、っあすはゆっくり起きてまず中野、っなんだか現代の作家の戰爭に題を採った曲らしい、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(4)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(1回配本)

 

《ぶきっちょ》(4)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(1回配本)