王子、 | ざっかん記

王子、




っもう23:30なのだが、、、

っほんとうはたっぷり具体的に書きたいのだが、妥協して概観のみを云わむ、小柳英之氏の棒、アーベント・フィルなる楽団の無料公演、マスク着用がうるさく告知せられていたが、着けていなくても誰にもなにも云われなかった、名に負うごとく、日曜だというのに19:30開演、っしかも《我が祖国》のみならず、ドヴォルザーク《フス教徒》序曲、スメタナ《リプシェ》の〈ファンファール〉を演ってからそれへ入り、っやはり前3曲で休憩、ったっぷり21:30すぎまで掛かる、

オケはプロフェッショナルとアマチュアとの混合体とのことで、絃の規模は小さいがまずまずよく弾ける、ドヴォルザークは管を主体に始まるが、っやや洗練せられず、雑然たるよくある平凡な公演かとおもう、

っそれよりもまず指揮者の小柳氏だ、昭和日本の無骨なおっさんという風体で、登壇してのこちとらへの辞儀からなんともやぼったい、振り姿は大柄な体軀をじたばたせしめて煩いこと夥しい、休憩後の〈ボヘミアの、、、〉では、ベルトが弛んでいたのか、吊りバンドが外れたのか、中途から左手でズボンが摺り下がらないように持ちながら右手の棒のみで振らねばならず、っそれが済んでコン・マスへひそひそっと話してそそくさと袖へ下がられる、詮なくコン・マスは立ってオーボーへ調音を求め、戻って来た小柳氏は次曲の譜面を用意しながら、すみません、ズボンが落ちそうになりまして、っとかと云い訳をされている、楽員は苦笑だ、

っところがっっっっっ、っぼくはだんだんとその演奏の虜となった、現代の日本人のオーケストラが、っあんなにも音を揃えずにめいめい得手勝手に鳴りまくるとはっっっ、アマチュアらしい人も含めてみなそれなりの腕があるのに、っとにかく纏まらむとする意志が欠片もないのだ、っつまり、指揮者にそうする心算がまるでないのである、機能的でスタイリッシュな名楽団を井﨑正浩氏がみごとにコントロールされた大演奏を聴いた直後なので、っその落差にぼくはくらくらした、学級崩壊して生徒生徒がわいわいぎゃーぎゃーやっている教室で、教師はそれを諫めるどころか、っわいわいぎゃーぎゃーのまま無理無理に牛耳って猛進驀進してゆくのである、

音は落ちたり出処を誤ったり停まったりアゴーギクでタテが乱れたり場違いなフォルテを鳴らしたりしまくるのだが、《我が祖国》も後半となるころには、っぼくはもうぜんぶ赦す気になれた、ただひとつぜったいに赦せないとすれば、火の玉のように音楽の核心へ向かって体当たりしてゆくその熱情が薄らいだときだ、っとおもわされたものである、〈シャールカ〉の歌など、井﨑氏以上にぼくを泣かせてやまなんだほどだ、

っきょう日こんなにも洗練せられない演奏がありえたとは、、、オケはあれで、っとくにプロフェッショナルの連中などは、っそういう棒を歓迎しているのだろうか、っしょっちゅう音が乱れることを苦々しくおもっている人もいるのかもしれない、っしかし、っあれこそが音楽だ、っみなそれを信じているからこそ、っああいう演奏になるのだ、

っこの人とこの楽団とを、っまた聴きたい、っぜひに聴きたい、っそうつよくおもわされたことである、っまたやぶれかぶれのずたぼろ大演奏を披瀝してくれるにちがいあるまい、



っさ、帰ろ、午の名古屋は暑いくらいで、っさっき王子でも北海道からすれば物の数ではなかったが、日附を跨いでいままだ南大沢駅の喫煙所で、流石に指が凍り附いてしまった、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(4)

 

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《ぶきっちょ》(4)

 

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