疾っ疾と、 | ざっかん記

疾っ疾と、




帰って睡ればよいものを、っゆうべも、っまず池袋でいつものチェインのカッフェへ寄らむとするが、開演前も終演後も、2軒とも入店するまでもなく階段の下まで順番待ちをしており、っおなじ店が聖蹟の駅にもあったはずだ、っと聖蹟へ戻り、閉店間際までいて、出て駅の喫煙所でシガレット数本、っさらには帰宅間際に例の公民館&体育館の駐車場でまた喫煙しつ、2時すぎまで立ち盡くしている、

カーチュン氏のきのうの公演の配信動画を観ていたのだが、カッフェは通信環境がわるく、っときおり停まったりしてストレスフルだった、

外山《まつら》、伊福部《ラウダ、、、》はあいかわらずのすばらしさだが、ショスタコーヴィチは惜しくも、1楽章の児戯たるマーチにおいて、トロムペットが派手に音を外している、っそれに、ったとえばフィナーレ冒頭からなど、ティムパニにも金管にもぞんがい硬骨の音力が足らず、最後の大団円にしても、愛人名リャッリャリャリャリャリャリャ、、、上での野次馬連の、ご用心っ、っのファンファールへ、カーチュン氏はコラールみたようなやわらかな吹奏を求め、最高音へ向けてついに硬質の咆哮へ達せしめる、っという解釈を採られていたが、っそうおもって聴けばたしかにそう聴こえるものの、っなにも識らない人へ音だけを聴かせたら、せっかく最後まで来たのに、どうしてこんな力ない音でっきり吹かないのさ、っと不満を漏らすかもしれない、っという気もする、っただどうかしら、っそれら憾みも、録音の音量レヴェルの低さに由来するかもしれない、っゆうべ動画を再生していて、最大音量にしても、っぼくがインナー・ヘッド・フォンで音楽を聴く際の慾しい音量へ達しなんだ、っあの手の動画配信ではあり勝ちのことだが、音量は、っうるさくなるぎりぎり1歩手前という大きさがなければ、演奏の眞価は測れないものである、録画し、音声のみを抜き出してすこしくゲインを上げたデイタを作り、iPhoneへ同期して再度、聴いてみるとせむ、

っよのなかの音声デイタという音声デイタには、殊にモバイル機器で再生した際に、最大音量の8割くらいで最適音量となるようにレヴェルを設定しておいてくれたいものである、ポップスなどの音源はそれが叶えられているものがおおいが、っなぜかクラッシックは音盤でも一般に音量レヴェルが低く、YouTubeなどへ上がっている動画や音声にしても、最大音量で聴いてもまだぜんぜん足りなく、っそれでこちとらは、デイタを落として手ずからゲインを上げる手間を払わねばならない、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(4)

 

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《ぶきっちょ》(4)

 

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