っこうなっちゃうんだよなあ、、、 | ざっかん記

っこうなっちゃうんだよなあ、、、




ギロッポン、コバケンさんと日本フィルとで、コダーイ《ガランタ舞曲》、オルフ《カルミナ・ブラーナ》であったが、

結論、っよくなかった、

っそれも、ぜんぜん、っと云わねばならないほどによくなかった、

コダーイはしかし、掛け値なしにすばらしかった、冒頭のセロから、コバケンさんはやはり濃密な音色の人である、っあのように、セロならばセロがただ弾けばよいのではなくて、っどのような音の色を発せねばならないかを巧みに巧んだ痕跡を聴く者をしてありありとおぼえしめる、っさようのセンスを有っており、飽かず実践している人は、世に棒振りはあまたいれど、っそうおおくはない、ったとえばぼくは、引退発表以来、井上キーミツの公演をほぼ漏れなく聴いてきたが、彼氏の音の出し方はけっしてあのようではない、っや、キーミツのみならず、大半の指揮者が演奏へ及ぼしている影響は、っまあテムポと強弱とバランスの操作と、っあとはときに恣意的のフレイジングの要請とくらいであり、音色を、BでもCでもDでもZでもなく、Aの色にしてくれ、っと求めるようなことはしていない、っだから、コバケン色に塗られた開幕からをぼくは、や、これはこれで稀少であり貴重なんだよ、っと、鷹揚といっては僭越だが、好意的に遇したのであり、っそのきもちは曲が進んでも翳りはせなんだ、っというのは、日フィルがその音色偏重の要求を叶えながらも、っなお彼等近来のすばらしい精妙をいささかも崩さなんだからである、っところがこの危険な綱渡りを、オルフでは完遂できずにしまった、

っほとんど美点らしい美点がまるでなかったので、っこころを鬼にして非ばかりを無情に列挙する、

っひとつに、コーラスは120人からの大所帯だったので分厚い音塊を期待したのだが、オケが、絶叫しているわけではないのだがしかし、っやはりどこか力んでおり、っなんでもないところでも恆にコーラスをマスクし勝ちとなる、っまた、頭っ数のおおさはむしろ災いした面がおおきい、大勢でひびいているとどうしてもテムポが膨らんで後ろへ倒れてきてしまうので、テムポ通りに進むオケとの間でしばしばタテが乱れた、っそれにそも、っぼくはもっともっと隨所へ大胆に効果的の表情を盛り込んだ演唱を期待していたのだが、っいわゆる音楽的たることをいささかも踏み超えることがなく、っそれはそれでひとつの見識なのだとしても、っこの曲に関するかぎり、っそれではぼくはまったく不満だ、

っひとつに、棒が、打点後に上に云う濃密な音色を得たいがために、フレイズというフレイズの頭で絶えず、点へ下り切りたがらぬような躊躇い勝ちのアクションを示すため、奏者はいつもいつも緊張しながらしながら発音せねばならず、単声部としても綜奏としても、時を追う毎に強張り勝ちとなる、テムポは㐧2曲からすでにして窮めて遅く、っもとより遅い曲ではなおとめどもなく遅く遅く沈んでゆくが、躊躇ってみたところがけっきょくは点で音を得る棒なので、速度の遅さは奏楽のぎくしゃくを助長しこそすれ、大河のごとき雄大はいつまでも出来しない、っこの沈潜趣味の弊害は酒場の場面でいちばんまずく出て、手痛いエラーが散発した、っまた、っここでひどく奏楽を乱したことで、指揮者としてもプレイヤーとしても気力を殺がれたのだろう、以降の㐧3部はどこか覇気がなく、消化試合気味へ堕してしまった、

っひとつに、ボーイズのコーラスを止して学生連にその代行をさせたのだが、っべつに大人がふつうに唄っているだけであり、敢えてこどもに唄わせなんだ、っということの意図は、っすくなくもぼくにはまるで伝わらなんだ、っもとより遅いテムポと悠長な発音とにより、全体に変化と対比とに乏しい奏楽となっているにも拘わらず、っこの上なおボーイズというわりに労せずして変化を得られるパートをしかし手ずから放棄するとは、理解に苦しむ、っもっとも、日本のばあい、っこの曲でボーイズが唄っていても、それ大人の発声とどこがどうちがうの、っという大人しい演唱っきり聴けないことがおおく、っどのみちおなじことだが、っともかく、っぼくのおもう日本人のボーイズのコーラスは、っいつかにここで紹介した、YouTubeに動画が上がっている阿武山音楽祭におけるようなああした唄い方であり、誰か指揮者は、ボーイズがあのようにまるで音楽的でない唄い方をした《カルミナ・ブラーナ》を演る勇気を奮わないものだろうか、

ソリストは、最も出番のおおいバリトンは、耽溺趣味のコバケンさんに対して冷静に自身の声を陶冶しうる名手ではあったが、音盤におくマッテイとか実演におく加耒氏ほどの存在感があるのでもなく、テノールは、っこの曲の㐧一任者、高橋氏だが、っぼくにはレナルト/新星日響盤に聴く鈴木寛一氏のほうが印象深い、ソプラノは、っまああのくらい唄えてとうぜん、っむつかしいのは恋の成就の曲で、っそれはソプラノ、バリトン双方にとってそうだ、音域が低いので、声のキャラクターを定め難いのである、っかえすがえすも、ソプラノの番のばあい、っそれを補うのが、ボーイズのおもい切ったチャイルディッシュな発声であるはずなのだが、、、

っそう、っその恋の成就の曲は、コバケンさんはむかしから、連と連との繫ぎ目でも、キューピッドの唆しの部分へ遷る手前でも、っいったん完全に音楽を停めて、ったっぷりパウゼを取ってから次へ進むが、っはっきり云ってダサい、

コバケンさんは、っこの曲にさして遊びをみていられないようである、っつまるところ、っそこがぼくの趣味とはまるでスウィングせなんだのかとおもう、っぼくはこの曲は遊びの氾濫とおもっており、演奏上そのことをいやがうえにも煽り立ててくれたいのである、ったしかに苛烈な運の女神にご登場願ってはいるのだが、っそれもこれも戯画的に再現せられたいのだ、



っそれにしても、っかほど世上に名高い指揮者の公演を聴いていながら、演奏が進んでもまったく安心が与えられず、っばかりかこちとら目も蔽うばかりの隘路へと迷い込み、このような演奏は、最後まで辿り着いてもけっして名演たりえない、っと中途ですでにしてわかってしまっているとは、っあらためて、コバケンさんというのは不思議な人だ、ったとえばキーミツは、曲によっては、ううん、これだと一寸平凡かなあ、っということはある、っけれどもこのコバケンさんのように、いやいや、そっちへ行ったらどんどんおかしなことになるじゃん、、、っという窮窟をおぼえしめることはない、っほかの指揮者もみなそうだ、

終演してオケが散り散りになると、っいったんほぼ完全に拍手が止む、キーミツがとびきり好い演奏をした際などは、っこういうときでもまだすくなくない一部のお客が拍手をつづけ、っやがてキーミツが舞台へ喚び戻されるが、っそのときはぼくも最後まで客席へいる、っきょうは、っそのときにぼくの隣の女性が椅子の下へ手を突っ込んだりしていられるので、なにかお探しですか、っと声を掛けると、携帯がないとのことで、っふたりしてあちこち探してじきにみつかったのだが、相手がお礼がてら、どうぞ先に出られるんであればお出になってください、っと促されるので、っいきおい離席する、堂内からロビーへ出て行かむとする背中には、退出するコーラスへほんの一部のお客が熱心に拍手を贈るのが聞こえた、っあの調子だと、っそのちょろ火拍手から無理無理コバケンさんのソロ・カーテン・コールへ発展しそうだったが、っそうだとしても、っぼくは通路で立ち止まる心算はなかった、っぜんぜんそれに価しない演奏だったからである、動画配信の視聴権にしても、購入する気はない、



っこうなってくると、コバケンさんはむつかしいねえ、、、っあの棒を下ろすときにいつもいつも躊躇う手応えを、っいっさい止しちゃうなんてことは、っゆめおもわれていないだろうからなあ、っでも、っあれこそが諸悪の根源なんだよ、っもう83歳ですよ、っご当人としては、そう振ってそれに叶う濃密な音が出たらそれが名演、っと一途に信じられていて、っしかし年齢的の衰えだとかいろいろあってそこにどんどん破綻が生じてしまっている、っぼくは、っぼく以外のけっこうおおくの人もそうおもっていられるだろうが、や、それを逆立ちしたところに、そういう拘りをいっさい棄ててしまったところに、小林研一郎の最後の名演が存るんだ、っとずっとずっと希ってきたわけだ、仮にご当人に面と向かってかく申せば、それで名演だとしても、しかし小林研一郎の音楽ですかね、っとの答が返るかもしれない、っぼくは決然として応えますね、ええ、もちろん小林研一郎の音楽ですともっ、っと、

不死鳥と成りて羽搏けよかしっ、小林研一郎っ、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(4)

 

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