1人目は怖すぎて雷
なんとかなるだろうと考えることを放棄していました。
結果、分娩台の上でも助産師さんに
「…身体のつかいかた全然わかってない」とため息つかれてしまうくらい、
心も身体も準備ができておらず、反省しきりでした。

2人目は進みがはやすぎてダッシュ
産道を赤ちゃんが通過する様子を、
腰骨で感じるという経験がありました。
看護roo!のページ図のとおり、
赤ちゃんの動きが骨を伝って感じられたのです。

胎児の産道通過機序
https://www.kango-roo.com/learning/8534/

それは胎動やしゃっくりどころの騒ぎではなく…
頭がまわりながら降りてきてる!!!
まわってる、まわってる!!!と謎のテンションびっくり

ふいに中島みゆき『時代』の有名なフレーズ
”まわる まわるよ 時代はまわる”が脳内再生されはじめました。
すると、陣痛の痛みをアプリでカウントしていた時よりもずいぶん身体がリラックスしたのですキラキラ

その後もずっと”まわる まわるよ”が脳内再生。
助産師さんが気を遣ってディズニーやジブリのオルゴールをかけてくれ、
ちょっとちがうんです…と思っているうちに産まれました。

だから3人目は陣痛のがしの段階から、
『時代』の脳内再生を決めていました。

破水からの入院だったため、集団の陣痛室。
隣りの方からは神様への祈りと静かに耐える声が聞こえていました。
信心深くはない自身に不安を覚えましたが、そう、私は中島みゆきにすがってみるのだと思い直し。

本陣痛がはじまりそう…!というとき、

”いまはこんなにかなしくて 涙もかれはてて
もう二度と えがおには なれそうもないけど”


フレーズにあわせて、深くふかく深呼吸。
陣痛の痛みのがしに、とてもとてもハマることを確認おねがい

それからは陣痛アプリもやめ、
寝るか、脳内再生の繰り返しに集中。
しかし痛いものは痛い、笑顔にたしかになれそうもないくらいつらい…!
痛みはつづき、次のフレーズも必要に。

”そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ”

・・・え、中島みゆきさんってスゴくない?!

ということで痛みの間隔が狭まるにつれ『時代』の歌詞がつづきました。
痛い。痛いけど、歌詞が味わい深い。

”だから今日はくよくよしないで 今日の風にふかれましょう”

しかし、今回はなぜか赤ちゃんがまわる感覚がこない!


”まわるまわる”というフレーズに身体をまかせることはなく、出産がおわりました。
そのぶん、まわる/めぐるということばの変化は、流産したときのこと、親族の死などを思わせ、いのちを繋ぐことなどに至りました。

決して”まわるまわる”だけの歌ではありませんでした。

 

私の中で出産の喜びとともに、この曲に出逢えたことへの喜びも芽生えました。

***

産後、検索した中で印象的であったものを記録しておきます。
なんと、中島みゆきさんのお父様は産婦人科医であられたそう。
あとは週刊現代が頻繁に特集を組んでいるよう(熱狂的ファンがいらっしゃるのかな)、折りをみて読みたいと思いました。


1.「『時代』は単純な男女の出会いと別れをテーマにした歌ではありません。人生そのものを描き出した、壮大な曲です。なぜ20代前半の若者がこんな歌を作れたのか、その質問を彼女にぶつけたんです。あの時、みゆきさんが語った言葉は忘れられません。『現実に生きている私とは別の、もうひとりの私が、自分の隣や後ろにいるんです。そのもうひとりの自分が送ってくるものを、待っているんです』そう淡々と語っていました」

2.詞全体に乾いた感傷の響きがある。
それはたちどまった(区切りを迎えた)歴史と、流れゆく時間とが交錯し、「まわるまわる/めぐるめぐる」というらせん状の運動の中で、変わりゆき、終りゆく(あるいは始まろうとする)「時代」をこの歌がとらえたところから発するものだろう。

3.中島みゆきの歌には、私の場合三つの聴き方がある。

一つは「これはあの時の私のことを歌ってくれてるに違いない」と、聴く者の個別体験の琴線に直接ふれてくる


二つは「なんでこんな歌をまともに歌うのだろう」と思わせる、自分とは異次元な歌でありながら妙にひっかかる

三つは聴く者の夢や憧れを的確に表現したもので、「いいこというなァ」という感情が起こる

今仮りに、この三つのレベルを個別-特殊-普遍と名付けてみると、もう長い間私は、自分の個別体験が、中島みゆきの紡ぎ出す歌の中の特殊な世界を通してユラユラ立ち昇ってゆく感覚を経験してきた。この上向感覚は、最後にはこれもやはり彼女が切り拓いてくれた地平に拡がる「普遍的なるもの」の中で照射され分解されて、また自分に降り注いで落ちてくるのだった。この下降過程で私の受け取るメッセージは、自己了解だったり、自己処罰だったり、自己憐憫だったりしたが、多くの場合、「アンタやらなきゃダメじゃないの!」と知ったされる変革感覚の実践的蘇生の想いであった。したがって中島みゆきの示す「普遍的なるもの」とは、過程は長く曲がりくねった路であっても最後には「希望」と呼べる「明日」を意味するものと解釈することができるのだった。

(1.『時代』『ホームにて』『ファイト!』『糸』『地上の星』…… 心に突き刺さるあの曲、あの歌は、こうして生み出された 中島みゆきは何を考えてきたか. 週刊現代.2020;62(26):160-165.)
(2.志賀 隆生. 中島みゆきの記号学 / 山内亮史 [ほか]著. 東京: 青弓社; 1988.p.78)
(3.山内 亮史. 中島みゆきの社会学 / 山内亮史 [ほか]著. 東京: 青弓社; 1988.p.9-10)

※2023年年末に出産しました

ヒヤリ・ハット、ではないですが備忘録として。

image

●持ちもの
・マタニティーマーク

 何度も紛失し、縁起が悪いと気になってしまったえーん

 

⇒無料配布ゆえ、ボールチェーンのかみあわせがよくなかっただけと思いつつ…最終的に、令和っぽい(?)父親が含まれているキーホルダーだけのこりました。

 

・産褥ショーツ&ナプキン
 上の子達のときに余り使わなかったからと軽んじて入院用スーツケースの底に最小限の量で用意していたら破水で大誤算ガーン

⇒スーツケースから取り出すのがひと苦労。そして足りなくて病院で買い足すことに…かさばる・産後利用とはいえ、入院バッグのすぐ取り出せるところに用意すべきでした。授乳クッション、抱きまくらは”かさばってしかたないぶくろ”としてポケモンセンターの布袋に用意していたので、その仲間にしておけば良かったです。


・飲み物ペットボトル500ml水
 ダイソーで購入したストローキャップがエコボトルすぎてはまらなかったネガティブ

⇒陣痛でつらくなってきた頃に使用しようとして「…何故か、はまらない!!」パニックに。つまりは、ぺこぺこしている飲み口のせいであるということに、陣痛で意識が朦朧としている自分は理解できなかったアセアセいまでは笑えるが、飲みたいのに飲めない状態にちょっと涙してしまったり笑い泣き…使用確認すべきでした。
 

・産後のパジャマ
 妊娠中のテンションで可愛らしすぎるものを購入してしまったキョロキョロ

⇒こっ恥ずかしくなり、自宅に帰ってからは着られませんでした…シンプルな授乳服が一番でした。


●産後の謎行動

予防マスクつけたままシャワー(@浴室)

グラサンメガネかけたままシャワー(@浴室)

滝汗ナプキンの表裏を謎に間違えた(@トイレ)

笑い泣きナプキン持参のつもりがマスクだった(@トイレ)
 

何がどうしてかわからないけれど、産後のぼーっとしている自分にびっくりしどおしでした。

⇒貴重品、ナプキン、マスク、のど飴、スマホを移動時には、お守りのように首からさげて過ごすかたちにしたことで、産後ケア含めのりきることができました

※2023年年末に利用しました

 

八千代助産院おとわバースに週末2泊3日でお世話になりました。


ベッドの部屋もあるようですが和室のみ空いていました。雑魚寝、という感じですが… 






一番上の子は週末は夫と野球練習。二番目の子が一緒にいられることが、とにかくよかったです。


またコロナも落ち着いたからか、

友人も呼ぶことが出来ましたニコニコ

家に呼ぶ気力はなくても、ふにゃふにゃの赤ちゃんに会ってもらいたい、という願いが叶いましたキラキラ


ごはんは家庭的でシンプルでした。



助産師の方々は年末ということもあってかとっても忙しそうでしたアセアセ


アロマケアの出張があり、利用させていただきリラックスできました。



※2023年年末に利用しました

 

東都文京病院にお世話になりました。


上の子が訪問できる八千代助産院・おとわバースを第一候補にしていたのですが、予約でいっぱい…!医療施設を間借りするかたちは恐縮だなと思いつつ、文京区の補助もあるし何より家での生活にすぐ戻るのは無理…と利用させていただきました。

 

産後ケア入院のご案内

リーフレットが年季入り過ぎていますが、ずっと前からこのような取り組みをしているのであればと安心感。一番安いお部屋で十分と、C室を選択しました。

 

初めて訪れたのですが、施設は古いけれど、清潔でした。

クリスマスの時期だったので、ツリーやリボンが飾ってありました。

写真を撮り忘れたのですが、

「…どうやったら出せるのだろうかこの昭和感!!」という想いになったことを

覚えています。ちなみに病棟のクリスマスアレンジも同様の感想でした。

 

どの季節の装飾もそうなのかな…そう思うと見に行きたいと、少しうずうずしてしまいます。

 

C室はトイレが付いていませんが、すぐ近くにトイレがありました…!

古くてほんのり薄暗い感じが、産後の休みたいからだにちょうどよかったです。

 



 

水やお湯のサーバー、ハーブティーもあり、充実していたと思います。

ピーチのハーブティーで部屋の中がいい香りになりましたおねがい

談話室にはテレビと雑誌がすこし置いてありました。雑誌は、助産師HISAKOさんの記事があり読んでしまいました。

 

シャワールームはシンプルでした(なぜか写真を撮っていた)。

 

助産師さんはとても優しい素敵な方々でした。
(担当の方が中学のときの部活の先輩に劇似だった。)

適度な距離感を保ってくださり、

以下のようにのんびりできました。

 

・休めた(実に結婚前ぶりくらいに爆睡できた)
・赤ちゃんとゆっくり過ごせた(ずっと観察して名前考えられた)
・個室だから上の子とFaceTimeできた

・サンタさんの手配など年末年始の準備ができた

回診は小児科と産婦人科の先生が来てくださり、

子どものおむつ荒れに軟膏を処方してもらいました。

小児科の先生が、文京区の制度を活用すると良いよとチラシを持ってきてくれたのにはびっくりしました。


ちなみにちょうど大学生の実習期間だったので、先生と学生に母乳指導や足湯などをしてもらう機会もありました。様々な診療科をまわるそうでしたが、色々教えよう、学び取ろうとしている師弟愛の様子に感動してしまいました。
 

食事が期待以上でした。
彩りもきれいで触感もいろいろ、薬味が添えてあったりする様子に、丁寧さと工夫を感じました。味付けが絶妙に産後の私に合っていました。

ちょっと濃いものも食べたいなというときに、キムチ入りのものも出て、感動キラキラ

 

おやつもあって、うれしかったです。

 

薄暗い部屋だと、写真がうまく撮影できず💦

 

古い・薄暗いと連呼してしまいましたが、誉め言葉です。

とても穏やかに過ごせて、ありがたい気持ちでいっぱいでした。

 

 

 


※2023年の年末に出産し、産後ケアを利用しました。
 文京区のネウボラ事業には、宿泊型ショートステイがあるので
 以下2つの施設を利用させていただきました。

【産後ケア】東都文京病院
【産後ケア】八千代助産院
 

※2023年の年末に出産しました。

出産後、健診でお世話になった先生が、
おめでとうと様子を見に来てくれました。


車椅子で移動…と思ったら微熱があったため、
分娩室で長めに休み、個室の陣痛室で様子見にガーン




第二子で腎炎になったことや、万が一コロナ?インフル?が頭をよぎったものの、ぶじ解熱し、病室へダッシュ

移動しながら、陣痛室だけでもめっちゃある…!
陣痛に耐えている声や祝福の声が聞こえるにつけ、生命の神秘と、感謝の気持ちでいっぱいになりましたキラキラまた、改めて大きい病院であることを再確認しました。




赤ちゃんと改めて対面!
出てきたときは大きいと思ったけど、
やっぱり小さくて尊い新生児。
そしてやっぱりおっぱいは出ない…ごめんなさい笑い泣きでしたが、めちゃくちゃ可愛くて母子同室全然イケる!と思いました。


でも夜は毎回預けたり、ミルクもたくさん作ってもらいました。やはりずっとは気が張る雷また、上の子達の時代とは異なり、あまり沐浴をしないことになったというのが衝撃でしたびっくり


病室は改装したばかりとあって、とてもきれいキラキラ




 4床につき1つの洗面台・トイレがあり、近くてありがたい。窓側だったので、気分も開放的になりました。




ベッドを上げ下げ、傾き調整のうえ、赤子のおっぱいマシーン(出ないけど)になるためのベストポジションを確認。



同室では、陣痛室で一緒だった方と再会できうれしかったです。聞こえてくる声はありますが、やはり複数言語。


異国情緒あふれる子守歌がBGMとなって、
よく眠れたときもあったりしましたルンルン

ごはんは期待していなかったので(ごめんなさい)、ふりかけや茹でピーナッツ等を持参し一緒に食べました。栄養バランスはとれていて、負担の無いものでした。

文化や宗教に配慮された献立、配膳がすごいなと思いました。

飲み物も持参していましたが、自販機はあるし、1階売店のスタッフさんが売りに来てくれます。2Lの水と美酢が身体に沁みました。



談話室は広く、けっこう空いていました。



上の子達は残念ながら面会できずだったので、テレビ電話をするときにも使いました。


ソファに足をのばして、ゆっくり過ごせましたチューリップ


シャワーもとてもきれい&機能的。3日目ぐらいまで、必ずマスクをしたまま浴びてびしょびしょにしてしまうという失態をおかして、産後の自分がいかにぼーっとしているかを感じました。

助産師さんは人数多かったけれど、皆さん丁寧で、それぞれ個性的でした。

赤ちゃんをとりあげてくれた私の心のナウシカは、相変わらずナウシカだったし(かっこよく&かわいかった)、ベテランの方が2人くらい、潤滑油のような立ち振る舞いというか、うまく説明できないのですが、歌うように仕事をしていて素敵でした。

あと確か、一番偉そうなポジションの方が、なぜか私のささやかな依頼のために怒られる寸前の全速力で廊下を追いかけてくださってその様子に胸が熱くなりました。

OJT中の新人の方は、すごい緊張していたのですがオムツ替えすごい上手で、説明と動作がリズミカルでした。さすがTikTok世代…と思いました。

産後は朦朧として名前も覚えておらず恐縮ですが、その中でも丁寧に対応してくださり、いろんな面を見せて下さる助産師さんには良い意味でのギャップがあたえられ、とても印象にのこりました。感謝しかありませんおねがい
 

※2023年の年末に出産しました。

予定日2日過ぎても、産まれず…笑い泣き


3人目は早いと聞くし、おしるしが出たのに1週間経っても産まれず。お腹もはるし、重いし、遠出できないしとかなり悶々としました雷

破水
朝イチ診察。
「もう大きいからね~いつ産まれてもいいんだけどねえ」と言われ、いわゆる内診グリグリをしていただきました。

すると…破水!


すぐさま入院。集団の陣痛室に移動となりましたダッシュ健診に入院グッズは持参していなかったので、

在宅中の夫に依頼。ママチャリの前かごにスーツケースを載せて、かばん背負って、ダッシュで届けてくれました。

===

陣痛室
病棟は工事が完了しており、新しくピカピカキラキラ
集団の陣痛室はカーテンで仕切られ、4部屋もありトイレや洗面台がついていました。


大量の荷物と大きな妊婦の私では、やや狭いかな?と感じたものの、ベッドにただ寝ているだけなので、十分でした。

横になっていればいいと思いつつも、陣痛がなかなか来ず…


昼食を食べ歯を磨いても、来ず。


読書をしてみても、音楽を聴いてみても、来ず。

先生は「陣痛はかならず来るので、まずは待ちましょう。」とのこと。ただし24時間以内に来なければ促進剤の使用を検討するようでした。

そうこうしているうちに、周りの妊婦さんが陣痛と戦っている様子が伝わってきて、何も起きていない私はひっそり応援日本国旗


私もはやく参戦したい!と思い、陣痛が来る方法のYouTube動画を観ながらベッドの上で試したりしていました。


すると、羊水が出る感じがして…トイレに駆け込むと色がピンク?緑?

身体の状況によって色や量が変化するということを知りましたアセアセ


スマホで検索すると色々な情報が出てきて、検索の手がとめられず、理解は追い付かず、知恵熱が出そうにえーん


出ていく量もどんどん増えている気がしてしまって、神経質にナプキンを替えていたら、使い切ってしまいましたガーン産後用ナプキンなのに…

助産師さんからは、等間隔で体温やNSTを確認するので、まずは待ちましょう。眠れるときに、眠っておくのも大事ですよと優しく声をかけてくれました。


そして夜勤で交代した助産師さんは歌うように、
「なんか今日は来ない気がするわ、明日忙しくなるわよ。まずはおやすみなさいルンルン」と消灯。先生と助産師さんを信じ、お腹の子と自分の身体を感じて待とうと至りました。

===

深夜1時頃、お腹の子に「俺はぶどうが好きだ」と言われた気がして目覚めました。
ぶどうスカッシュをひと口飲み…思えばこれが陣痛のはじまりでした。

腰が痛くなり起きて、眠くなり寝て、を交互に繰り返しました。
4時くらいから痛みは激しくなり、本陣痛に。
助産師さんが腰に手を当ててくれたり、ホットパックを貰い温めることで乗り切りました。そして中島みゆき「時代」を脳内再生しながらいきみ逃しをしました。
(第二子出産のときに編み出したので今度詳細を記録したいと思います)

分娩室

歩いて移動ダッシュ
どんどん余裕がなくなっていく中で、これはさらにすすむやつ笑い泣き


さっきまで優しく寄り添ってくださっていた助産師さんがテキパキ準備をすすめていく様子を見て、感動おねがい


「その者、青き衣をまといて云々…ナウシカ?!」となりました。
(水色のナースウェアを着ていました)

朝出勤したてのお医者さんが合流し、
引き継ぎの会話?では、羊水がやっぱり減っているようであること、会陰切開しないでいくことになったようで、恐怖MAXに(上の子達はどちらも切ったので、切るものだと思っていて…私の身体を私が一番信じてあげられなかった瞬間がありました、反省…)


同じく合流したベテラン助産師さんが、
唐突におっぱいマッサージをはじめることで、
気を紛らわしてくださいました。
 

産む瞬間は、やっぱり夫や子ども達のことを思い、ふんばることができました。
大きかった赤ちゃんは「どふん!」というかんじで爆誕しましたラブラブ
カンガルーケアもさせていただきました。
とっっってもかわいくて、むちむちで、へその緒はとても太かった。


赤ちゃんは処置され、私は分娩台に乗ったまま休憩。
ぶどうスカッシュを飲もうとしたら、移動や分娩台の上げ下げで振ってしまったようで、シャンパンファイトのように浴びてしまいました。

汗や血と共にぶどうスカッシュを拭くことになるとは思いませんでした。

助産師さんに笑っていただき救われましたが、申し訳なかったです。

 

 

 

※2023年の年末に出産したので、
 同年5月頃に産院を決定しました。

決め手
グッ総合周産期母子医療センターである

グッセミオープンシステムを利用できる

グックリニックの先生が「いい病院ですよ」と仰った

 

1人目が産まれる時に、羊水を飲んでしまったり、2人目が産まれた後に、私が腎炎になったりしたこともあり、大きくて母子共に迅速な対応ができる病院であることはマストでした。

 

産院はなんとなく安定の順天堂で、無痛分娩予防接種かなっと考えていたところ、8週目の段階で既に予約が締め切られているとのことで、間に合わずアセアセ(悪阻で精いっぱいの日々だったので、初動の早い方々に尊敬しかない)

 

都立大塚病院は、ウェブサイトをみるとよさそう…

でも何故か、ネット上のクチコミやママ友の情報が極端に少ない雷
信頼している先生は「いい病院ですよ」とほほ笑んで仰るので、そのひと声で、お願いすることを決めました。

妊婦健診
16週の健診は産院なので、初訪問。
(予約日時のメモを2回も紛失し、電話して教えてもらいましたタラー何せ悪阻が重かった…)

電車もバスも駅近で、臨月でも安心!病院隣りにはセブンイレブンもあったので、
必需品の炭酸水とかむかむレモンを調達。

施設の印象は、「至るところに、養生テープ…」
全館工事の真っ只中につき、利用者のためのサインや案内が手作り感満載に貼られておりびっくりたくさんの養生テープに、試行錯誤感があらわれていました。

待ち時間は、ストレスになるほど長くはありませんでした。
外国人患者受入れ医療機関認証制度(JMIP)の認証を取得しているだけあって、待合室では複数の言語が聞こえたり、申請書も多言語対応でした。手続き一つとっても、興味深かったです。

健診は、思った以上に丁寧でした(私は1つひっかかり、再検査になりました)。
男性医師も多いようで、女性限定が良いかどうかの希望も確認してくれました。私は三人目ということもあり、特段こだわりはなし。しかし皆さん若かったので、気になる方もいるかもしれません。


ここで、母乳育児を推進しているとの説明がガーン
1,2人目共に、退院まで母乳がほぼ出なかった私は、それなりに心が折れた記憶がよみがり、早くも泣きたくなりました。

しかし、男性医師=母乳出ない仲間、と謎の安心感を得られたりもして、出ないときはミルクでいきます!と開き直ることもできました。

 

産休後の健診は割と待たずに済み、診察も質問には明解に答えてくださりました。

臨月で喉風邪をこじらせてしまったときには、適切な処置のため耳鼻科も行くようと言われたものの、辛そうだからと薬を処方してくれたり、助けていただきました。

助産師面談

18週と36週頃に丁寧な面談がありました。

(経産婦だからと簡単に済ませるのかと思いきや、お産は一つひとつ違うのだと実感)

 

基本的なことはガイドブックYouTube動画でおさらいし、私達のケースにおける検討すべきポイント等(夫の出張が重なりそうだったので上の子の対応etc.)を具体的に話し合いました。

 

なお当時、祖母が亡くなりふさぎ込む気持ちがありました。哀しみにとらわれ過ぎないために、どうしたらいいのか。生死にかんする向き合い方についても、優しく適切なアドバイスをいただいたことも印象的でした。

 

※2023年の3月に妊娠が発覚し、

 年末に出産しました。


3人目の妊娠・出産。
じつに6年ぶりに、向き合うことになりました。

授かりものとはいえ、
共働き&子育てしながらの日々はハードモード。

「セミオープンシステム」を利用して
産休までの妊婦健診は自宅近くのクリニック、
産院は都立大塚病院にお世話になりました。

都立大塚病院のクチコミは少なくて、
当初不安だったのですが
終えてみればとてもよい病院だったので、
体験談をブログに記しておこうと思います。

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【産院】都立大塚病院①決め手と妊婦健診と助産師面談
【産院】都立大塚病院②破水からの出産
【産院】都立大塚病院③赤ちゃんとの入院生活