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マライカのブログ

日々の出来事の中で、ふと
見つけた 気づき 小さな感動 美しいな、カッコいいな、と
感じたことを、呟いています
https://youtu.be/4vHWiEnEY5g
ユーチューブも見てね!

おはようございます。
10日ほど前にセミを助けました。子猫にもてあそばれていたセミを見つけたので、拾って近くの木の枝に置いてあげました。

羽が1枚ちぎれていたので飛べないかも?と思いながらそのセミの目をじっと見つめて、元気になって飛んでいきや~、と声をかけて離れました。

数日後その木にはセミはいませんでしたが、しばらくその場に立っていると、どこからともなくセミが飛んできて私の上を三回ほど回ってどこかに消えていきました。

あれ、きっとあのとき助けたセミだったんだろう、と勝手に思い込む私でした。
セミの人生は何とも儚いものです。
7年間も地中にいて、やっと成虫になって地上に出てきたと思ったら2週間くらいで果ててしまう。

なので、セミには2週間の短い命を全うしてほしい、と思う。
猫は好きだけどセミに悪さは許せない。
今日も暑そうな一日になりそうですね。


おはようございます。
何年ぶりかでアメブロに戻ってきました。みなさん、ここ数年どのようにお過ごしでしたか?
この数年私に起こった出来事というのは、たくさんありまして、相変わらずの波乱万丈と言ってもいいくらい、、、
介護していた父を認知症専門のホームに入所させてからは仕事にも出れるようになりました。

いろいろありました。
さんざんな目に合いました。

加えて去年は椎間板ヘルニアになり、一ヶ月間自宅療養しました。

いつのまにか、60もすぎ、年月の過ぎ行く早さを痛感しましたね。

今年に入ってからはやっかいな伝染病が蔓延し、世界中が混乱してますね。

そんな時流の中で、私は相も変わらずチャレンジを続ける人でした。

自分に起こるいろんなことを観察していて、人生を振りかえることもできました。
命について、お金について、徳を積むことについて、見えない力について、自問自答する機会は山ほどありました。
ここ数日、ふとアメブロを思いだし、開けてみたら、読者さんも増えていて、なんとなく、呟いてみたくなりました。

コメントをくれても返事できなかったりすると思いますが、怒らないでください。とにかく忙しいのです。

久しぶりに戻ってきましたが、たぶんブログは不定期になると思います。

さて、今日はどんな一日になりますか。



こんにちは、面白い話を聞いたのでシェアしたいと思います(^ ^)
「ゴータマシッダルタ」とは、誰でも知ってるお釈迦さま、ブッダさまのことですよね。
ブッダはインド人ではなく、ネパール人だと知っていましたか?
私は6年間某宗教学園に通いましたが、ブッダがネパール人だと、学んだ記憶はありませんでした。
では誰が言ってたか?
仏教研究家であり、花園大学文学部国際禅学科教授、文学博士である佐々木閑(ササキシズカ)氏の講義で知りました。
生まれはヒマラヤ山脈のふもと(ネパール)で釈迦族で、出家した後長い旅の間にインドへ渡り、そこで悟りを開かれたので、インド人と認識されるようになったそうです。
仏教はブッダ自身が始めた宗教ではなく、後に仏教と言う教えになった、という事だそうです。
当時2500年前のインドでは、人間に階級がつけられていてカースト制により、4段階に分けられていることは知られていますよね。
アーリア人が持ち込んだバラモン教と言う宗教で、しかもその階級は神様が作ったと言われているのです。
日本のように八百万(八百万)の神様がいてトップは梵天さまだそうな。
何1つ不自由なく生きているゴータマシッダルタ(王子)は成人してから、城の外の世間を知る事になり、バラモン教に反発と不合理を感じ、苦悶が始まりました。
生まれてきた人間に階級のレッテルが貼られ、優劣がつけられ、どう頑張っても出世も成功も不可能という世間に強く矛盾と反発を感じ、何とかならないものか?と毎日悩んでいたそうです。
反バラモン教の第1人者としてブッダは立ち上がったわけです。
出家以来、自分の苦しみを取り除くための道を探す苦行を続けました。
ココ注意点です、最初の動機は他人ではなく自分の苦しみを取り除く事でした。
肉体を痛めつけ、ガリガリの骨と皮だけに瘦せ細るほどの苦行を6年間も続けた末に「こんな苦行は何の役にも立たない」と悟った後、心の問題に手をつけ始めたのです。
ブッダは最初は世の中の苦しんでる人のための役に立ちたいとか人助けをしたいとか、そんな夢を持って出家したのではないそうです。
自分のこの悩みから解放されたい、心を平和にしたい一心から出家したそうなんです。
つまり、自分が楽になりたい❗️と言う思いですね。体を痛めつける苦行のあと、煩悩や苦しみは自分の中からやってくる事に気がつき、次は瞑想により自分と向き合うやり方に変えました、その時に選んだ場所は日差しの柔らかい涼しい木の下を選び、瞑想を始めました。
それが菩提樹の木の下と言われるようになりました。
仏教では、「自利」と「利他」と言う教えが基本にあり、慈悲と言う言葉も他人への慈悲と言う事ではなく、「自利と利他の慈悲」と解釈するのが正しいそうです。
ブッダが悟りを開いて自分の苦しみから解放された後に梵天さまが現れて、「ブッダよ、その悟りを広く伝え周り、他の人も助けてやってくれ」と強く頼まれ、仕方なく布教活動を始める事になったとの事です。
要約すると仏教は自己救済から慈悲の宗教へと変化していったと言えるそうです。
ブッダは自己救済の悟りを開いたので、後にそれを布教して回り、たくさんの人を苦しみから解放する仏教という形になっていた。。というのが正しい解釈だそうです。
大雑把な内容で恐縮ですが、私が学生時代に学んだブッダとはえらく違いがあるように感じました。また、仏教にもいくつか種類が増えて日本は中国経由の大乗仏教を確立していったと言う事だそうです。
2500年前に王子様であったブッダは心が高貴で愛に満ちていて、それでも人間としての煩悩や悩みがあったからこそ、今でも世界中に仏教が広がっているのですね。最近では当時のブッダの精神世界の悟りをもう一度見直そうと世界中に信者が増えてきているそうですよ(^ ^)
素晴らしいことですね。

あ、ちなみにこの佐々木先生も20代の頃には挫折感、無力感などから、うつ病になり最悪の人生を過ごしてきたそうです。その後にブッダの人生を学ぶ気になり、勉強を始めたそうです。
佐々木先生の師はブッダだそうです(^ ^)
すばらしいですね❗️

ブッダの教えは拝めば幸せになれるということではなく、幸せも不幸せも全ては自分の心から出てきている。自分と向き合う事でしか、自分を救うことはできない、という悟りを開いた人。という事になりますね。
佐々木先生の著書です。

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私も学生の時にこんな風に深いブッダの話を聞いていたら、もう少し仏教に対して興味を持っていたかもしれません(^ ^)。
でも、ブッダは人間であり、神様ではなかったと言うこともよく理解できました。

こんばんは(^ ^)
久しくブログを更新していませんでした。

本日はアポのため、日本橋で待ち合わせまして、その帰りに黒門市場を社会見学のため、ぶらついたんです、友達と(^ ^)

昔は商売人さんが仕入れをする市場だったように思うのですが、今や観光名所になっています。

中国人などの外国人たちが、ほとんどみたいで、聞こえてくるのは主に中国語なんですよ❗️

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このお店でタコ焼きを食べたのですが、たこ焼きだけは、そうボッタクリでもなかったですが、ペットボトルのお茶がボッタクリ250円でした。

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魚屋さんが多くあり、その店先でカキやホタテやエビなどを焼いて食べれるように小さなテーブルとイスが置いてあり、まるで韓国や中国の屋台のようでした。
ビックリしたのはその値段!

焼きカキや焼きホタテが1つ800〜1000円もついてるんです‼️
焼きエビ、焼きイカも同じく1000円。
焼きタラバガニも一足が1000円です。

大阪人の私にはボッタクリとしか思えません。

中国人たちはよくこんな高いものを食べれるんだなぁ、、、と感心しました。
今日は日曜日のため、閉まってる店が多かったせいか、観光客も少なかったのですが平日は満員電車の如くなんですよ(^ ^)

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アーケードの上にはタコやタイが飾ってあり、いつからあったのか?記憶にもありません。

今や日本には在日中国人が約65万6000人です。
これからもどんどん入ってくるようですね。
中国人相手にボッタクリ商売はウマミがありそうですが、正直いって、も少し良心的価格にしてもらいたいですね。

在日中国人の友達がいますが、彼は日本は何かにつけ素晴らしい国だと言ってました。
日本で商売しながら、一生懸命生きていました、家族を日本に呼びたいと、頑張っているのでした。
中国ではとてもマイホームなどは買えないそうです、高すぎて。彼は大阪で必死で仕事してマイホームを手に入れました。マジメに頑張っている中国人もいるんだから、観光客相手に一元客へのボッタクリ商売はどこか淋しい気がしますね。

昔の天下の黒門市場はどこへいってしまったのでしょうか?店員さんも中国人が多く、日本人の店員さんはカタコトの英語を話していました。

随分さま変わりしたものですね〜(^ ^)

こんばんは。久しぶりにブログを書きます。
先日、兄弟のお葬式がありました。
気づいたことがありました。それで、ブログにしてみようと思いました。

死後の世界とか臨死体験とか
天国地獄、意識とか波動とか
エネルギー、周波数、宇宙、、、
いろんな事がいろんな人により、書かれたり教えられたりしています。

そんな事が実に下らないことの様に感じました。

兄弟の死に顔をみて、触っても、語りかけても、
何も答えません。
その顔は平安で安らかで微笑んでいるように見えました。
それを見たとき、カラダは洋服のようだと、感じました。
脱いだもの、として写りました。ただの肉体という抜け殻でした。

彼のカラダが、人形のように見えました。
いのちとは呼吸であり、動きであり、すべてが
エネルギーそのものだったんだと、わかりました。


冷たくなり、血の気がなくなり、どんどん固くなっていきました。彼は、彼は一体どこへ行ったのだろう。

それで、一晩中彼の横で過ごしながら、感じました。

人は存在しているだけで、価値があり、
生きてるそのこと自体がすでに、幸せで満たされていたんだ、と。



私たちは大きな錯覚の中で生きているようにも思えました。

生きていて、なんでも出来る体を持っているのに、なおまだ、満たされない事に不満を感じたり、求めたりしている。

そんな事がつまらなく感じたのでした。

人生とは映画みたいなものですね。
その人の生きてきた活動全てが、つまりはその人自身であり、死んだ時にそれが、はっきりとわかるんだな、、、と。

失敗とか成功とか金儲けできた、できないとか、
そんな事ではなく、
どれほど人に慕われているか、
何人の人の生き方に影響を与えたか、
何人の人の役に立てたか。
それが問われるような気がしました。

彼は非常識に見えるほどきちがいじみた経験ばかりしてきました。
しかし、たくさんの人に貢献できました。

一人一人の心の中に、忘れようにも忘れられない衝撃的な印象を残していきました。

遠い国ケニアからも嘆きの声が届きました。
彼は世界中に足跡を残したようでした。

生きてるうちに、やりたい事は片っ端から
チャレンジして、命のエネルギーを燃やせ。
弁解やへりくつを言わず、命がけで生きてみろ‼︎

彼がそう語りかけているように感じました。

ありがとう、私の弟よ。
いつの日か再会しよう。