ブッダの話 | マライカのブログ

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こんにちは、面白い話を聞いたのでシェアしたいと思います(^ ^)
「ゴータマシッダルタ」とは、誰でも知ってるお釈迦さま、ブッダさまのことですよね。
ブッダはインド人ではなく、ネパール人だと知っていましたか?
私は6年間某宗教学園に通いましたが、ブッダがネパール人だと、学んだ記憶はありませんでした。
では誰が言ってたか?
仏教研究家であり、花園大学文学部国際禅学科教授、文学博士である佐々木閑(ササキシズカ)氏の講義で知りました。
生まれはヒマラヤ山脈のふもと(ネパール)で釈迦族で、出家した後長い旅の間にインドへ渡り、そこで悟りを開かれたので、インド人と認識されるようになったそうです。
仏教はブッダ自身が始めた宗教ではなく、後に仏教と言う教えになった、という事だそうです。
当時2500年前のインドでは、人間に階級がつけられていてカースト制により、4段階に分けられていることは知られていますよね。
アーリア人が持ち込んだバラモン教と言う宗教で、しかもその階級は神様が作ったと言われているのです。
日本のように八百万(八百万)の神様がいてトップは梵天さまだそうな。
何1つ不自由なく生きているゴータマシッダルタ(王子)は成人してから、城の外の世間を知る事になり、バラモン教に反発と不合理を感じ、苦悶が始まりました。
生まれてきた人間に階級のレッテルが貼られ、優劣がつけられ、どう頑張っても出世も成功も不可能という世間に強く矛盾と反発を感じ、何とかならないものか?と毎日悩んでいたそうです。
反バラモン教の第1人者としてブッダは立ち上がったわけです。
出家以来、自分の苦しみを取り除くための道を探す苦行を続けました。
ココ注意点です、最初の動機は他人ではなく自分の苦しみを取り除く事でした。
肉体を痛めつけ、ガリガリの骨と皮だけに瘦せ細るほどの苦行を6年間も続けた末に「こんな苦行は何の役にも立たない」と悟った後、心の問題に手をつけ始めたのです。
ブッダは最初は世の中の苦しんでる人のための役に立ちたいとか人助けをしたいとか、そんな夢を持って出家したのではないそうです。
自分のこの悩みから解放されたい、心を平和にしたい一心から出家したそうなんです。
つまり、自分が楽になりたい❗️と言う思いですね。体を痛めつける苦行のあと、煩悩や苦しみは自分の中からやってくる事に気がつき、次は瞑想により自分と向き合うやり方に変えました、その時に選んだ場所は日差しの柔らかい涼しい木の下を選び、瞑想を始めました。
それが菩提樹の木の下と言われるようになりました。
仏教では、「自利」と「利他」と言う教えが基本にあり、慈悲と言う言葉も他人への慈悲と言う事ではなく、「自利と利他の慈悲」と解釈するのが正しいそうです。
ブッダが悟りを開いて自分の苦しみから解放された後に梵天さまが現れて、「ブッダよ、その悟りを広く伝え周り、他の人も助けてやってくれ」と強く頼まれ、仕方なく布教活動を始める事になったとの事です。
要約すると仏教は自己救済から慈悲の宗教へと変化していったと言えるそうです。
ブッダは自己救済の悟りを開いたので、後にそれを布教して回り、たくさんの人を苦しみから解放する仏教という形になっていた。。というのが正しい解釈だそうです。
大雑把な内容で恐縮ですが、私が学生時代に学んだブッダとはえらく違いがあるように感じました。また、仏教にもいくつか種類が増えて日本は中国経由の大乗仏教を確立していったと言う事だそうです。
2500年前に王子様であったブッダは心が高貴で愛に満ちていて、それでも人間としての煩悩や悩みがあったからこそ、今でも世界中に仏教が広がっているのですね。最近では当時のブッダの精神世界の悟りをもう一度見直そうと世界中に信者が増えてきているそうですよ(^ ^)
素晴らしいことですね。

あ、ちなみにこの佐々木先生も20代の頃には挫折感、無力感などから、うつ病になり最悪の人生を過ごしてきたそうです。その後にブッダの人生を学ぶ気になり、勉強を始めたそうです。
佐々木先生の師はブッダだそうです(^ ^)
すばらしいですね❗️

ブッダの教えは拝めば幸せになれるということではなく、幸せも不幸せも全ては自分の心から出てきている。自分と向き合う事でしか、自分を救うことはできない、という悟りを開いた人。という事になりますね。
佐々木先生の著書です。

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私も学生の時にこんな風に深いブッダの話を聞いていたら、もう少し仏教に対して興味を持っていたかもしれません(^ ^)。
でも、ブッダは人間であり、神様ではなかったと言うこともよく理解できました。