23 ペナン・12(コーンウォリス要塞) | シニアのマレーシア滞在記

シニアのマレーシア滞在記

73歳のシニアによるマレーシア珍道中の記録。2024年5月から6月の43日間滞在記です。

 ペナン島の観光で行きたいと思っていたところの一つは「コーンウォリス要塞」です。これは1786年に作られた要塞の遺跡です。


 ペナン島観光の3日目、つまりクアラルンプールへ戻る日です。幸い飛行機の出発が45分遅れるというメールが届いています。そのためなんとか観光の時間をなんとか捻出できました。ジョージタウンの中心部からはそれほど離れてはいないので歩いて要塞をめざしました。とにかく暑いので手元の水を飲みながらの徒歩移動です。


 Googleマップで見ると要塞に近づいているはずなのに、海とその前の広い道路が目に入るだけ。横は工事中。釣りをしている人がいたのでたずねるも、期待していた返答はありません。
 道に沿って少し歩いてみるとなんと石積みの擁壁があります。要塞というべきかも。さらに50m程進むと、期待していた大砲の砲身が海側を向いて鎮座しているのが分かります。大砲は数m程度の間隔を置いて並んでいます。


 さらに足を進めるとようやくコーンウォリス要塞の入り口にたどり着きました。あまり時間はないけど、20RMを払って中に入ります。こんなところでもカード決済が可能です。
 
 この遺跡について。1786年にイギリス東インド会社が作ったという説明がネットにはありますが、正確に言うと今残っている砲台は1810年に作られたものだそうです。イギリスが東インド会社としてこのペナンを占領し、オランダやフランス、海賊からペナンを守るためにコーンウォリス要塞が作られたとのことです。コーンウォリスというのは当時にイギリスの総督とか。マラッカ海峡に面した海上交通の要衝にあるペナン島のコーンウォリス要塞は、マラッカのサンチャゴ砦、シンガポールのセントーサ島と並んで重要な拠点であったようです。


 遺跡として入場料を取りながら観光地となってはいますが、ペナンにしてみたら負の歴史といえます。現在は壁と海の間に道路がありますが、かつては壁が直接海に面していたそうです。
 
 コーンウォリス要塞を見た後はGrabで空港に急ぎます。数分でGrabが見つかりました。

 これでようやく「ペナン島旅行記」が終わります。12回シリーズです。目を通していただいた皆さん、ありがとうございます。マレーシア滞在記はまだ続きます(汗)

 帰りもプロペラ機。たくましい飛行機です