価値感が変化したと書かれていますが、実は変化しておらず、ただ知識を上書きしただけです。

そもそも価値の掘り下げをしていないので、変わるわけないんです。

そうだったんですね。

通りで、空虚感がそのまま継続している感覚がある訳です。

自分が努力した結果に対して、喜べない。



そもそも価値とは何か?を掘り下げて再定義出来ていない

ノートで掘り下げしてみます。考察になると思いますが、やってみます。



頭で理解すれば主体性が構築できると思っている

行動しないと無理です

はい。行動していません…脳内で完結しています。

夫に対して思うところがあっても、言えない。

飲み込んでいる。



中二病的な人は、スゴイ自分を求めていて、パートナーもスゴイ人を選びたがる。

夫の仕事をスゴイとは思うものの、それは業務をこなせる能力をスゴイと思うだけで、人としての個人として尊敬はない。

はい。尊敬とは…?と疑問に思っています。

スペック以外の価値基準が私にはない。


大手企業、本社勤務、会社で表彰🎖️

私は、夫のスペックだけに価値を置いている。

だから、他の大事なこと(夫個人への尊敬する部分)が見えなくなる。



条件付きの愛情で息子を育てている。だから子供はずっと寂しい。

スペックで見られていると、何も楽しくない。

私は息子の気持ちを理解出来ていません。

私は母からスペックで認められる事に固執して生きてきました。

母に認められる為に自分を歪めてきた。


息子は反発している。私の兄と同じ。

だから私は内心、息子の事を軽蔑してしまっている…?

兄と同じように見下している。

そんな気がします。



夫婦で尊敬しあっていたら、お父さんとの約束を破った子供を許さない。

子供は感じるのです、夫婦間に尊厳がないという事を。

はい…私は夫を尊敬していません。

私自身も尊敬していない。


夫も同じ。きっと、私を含め誰も尊敬していない。夫自身も尊敬していない。


夫の母は、私の母と似ています。

世間体第一、プライドが高い、恥をかく事が何よりも嫌いです。 

夫もその信念を受け継いでいる。



息子と真剣に向き合うのが悪いことした時。

だから子供はこういう事をしてでも真剣に向き合ってもらおうとする

息子が乱暴な事をするのは、私に見てもらうためだったのですね。

それだけ、私は息子の事を見ていない。


私は世間体を優先しているから。

義母や夫に対して言いたいことを言えない。

あれこれ言われるのを恐れている。


その恐怖に向き合う必要がある。


問題は子供ではなく、私自身にある。

かよさんのブログに取り上げて頂いた記事、読みました。


私はLINEセッションを通して母親の信仰を抜け出したと思っていましたが、それはとんだ勘違いだったようですね…

お母さんの事は、どうでも良くなりました。


でも私は、息子と娘の母親という役割に、固執しています。


これは「I LOVE毒親」状態が、現在も進行中という事ですね…



自分が、親の役割を生きる価値にしている間は、憎しみから解放されることはありません。

はい。

私は未だに、

「ちゃんと母親やっていれば、生きていて良いよ」と、条件付きで自分の存在価値を許可している感覚があります。

「子供達を差し置いて、自由にするだなんて、そんなの母親失格だよ」

「ちゃんと躾けないと」

「周りに迷惑かけないように」


そうしないと私の価値がないと思い込んでいる。



喧嘩はしたくない、でも分かり合いたい。

都合よく手に入れようとしてる。

はい。私は夫と衝突するのが怖い。

夫が不機嫌になって、家庭内の空気が悪くなるのが怖いです。耐えられない。


だからいつも空気を悪くしないように、当たり障りのない会話しかしない。

だから仮面夫婦。


そんな事、子ども達もお見通しですね。

そうやって親から不健全な人間関係を学んでいく。

継承されていく。



我が子の現実を認めたがらない迷惑な親は沢山います。

そういう傾向がある子の親である自分を認めるのが嫌だったという方が近い。

そこに差別意識があるからですね

はい。当時は無自覚でした。


担任から指摘される度、息子を否定されたような気持ちになっていました。

でも本当は、母である私自身を否定されたような気持ちになっていました。

惨めでした。

だからクリニックに通ったり、放デイに見学に行ったり、必死になっていた。


息子が楽に生きられるようになる為の補助ではなく、「息子は普通!だから私も母として失格ではない!」と証明する為の、私が自己価値を失わない様にする為の努力でした。


息子の発達傾向を認める=自己価値がなくなるなんて、私の歪んだ思考なのですが…


そう思い込んでいる。


私の母は、発達障害者を毛嫌いしていました。

「あー嫌だ!」

「近づいたら駄目よ」

「親御さんも何で野放しにしてるんだろうね」

等と、子どもの私に常々言っていました。


だから自然と私は、

「発達障害=社会不適合者」

「みんなから嫌われる」

「避けられる」

「虐められる」

という認識があります。


それは差別意識なのですね。

母ほど露骨には出さないけど、心の中では差別意識が強い。

だから息子に傾向がある事を認められないし、拒否している。


息子がみんなから嫌われて、否定されて、罵られるような気がしてしまう。

それは私に差別意識があるから。



本当に子どものためになら、さっさと特性を認めて対処するのが正解です。

はい。

クリニックの相談員さんや放デイの先生からは、

「タイマーを使って時間内に行動させる」

「気が散るものを周りに置かない」

「衝立などを利用して集中力を上げる」

等のハウツーを教えてもらいましたが、いずれもその場しのぎの対処にしかならず…


ちゃんと息子の特性に合った対処ができていないと思います。

生活面や親の対応の仕方など、不適切な対処が息子を生きにくくさせているんでしょうが…


私自身が生きにくい思考を手放せないので、息子の対処を出来る余裕がない。



子どもそのものに関心がない

だから人間をスペックで見てしまうんです

はい。

私は幼少期から葛藤してきました。

「私はなぜ、こんなに他人の目ばかり気にして、自分を生きられないんだろう。

のびのびと振る舞えないんだろう。

言葉一つ、自由に発することが出来ない。

私はおかしい。」


小学中学と、私は根暗でブスで、クラスの男子にからかわれていました。

幸い友達はいましたが、いつも合わせてばかりで自分が分からず、苦しかった。


大学生になり、メイクやファッションを覚えて、会話も出来るようになりましたが、表面的な変化。

私の根本はずっと変わっていない。


目の前の相手に興味が無く、自分がどう見られるかで頭の中がいっぱいです。


相手の事を観る余裕がない。


母になっても、子ども達を観てあげる余裕なんて、ほぼない。



価値を外に置いた時点で、永遠に満たされない構造になるのは当然。

私は優れている時だけ価値がある

この信念が捨てられないんですね、私は。


カントの言う民度が、私はとても未熟です。

外の評価ばかりに気を取られて、理性や自分を律する力が未発達です…


そのへんの小学生以下のレベルです。


大人なのに…

スペックしか気にしていなかったツケですね。

義実家の家族と金沢旅行中の出来事。


目的地に向かう途中、子ども達が山に登っていき、池で鯉を見つけたらしい。


息子は興奮しながら

「ママ〜!こっち来て!鯉がいる!!」

と私を呼んだ。


私は義母と義妹、夫と地図を見ながら目的地に向かって歩き出していて、

「こっちだよ〜!」

と息子を呼んだ。


目的地まで急いでいて、息子のいる山の上には行かなかった。


息子は怒り出した。


「全部ママのせいだ!」

「ママのせいで今日は最悪だ!」

「ママが約束破ったから、もう人生終わりだ」

「ママのもとに生まれたせいだ」

「ママはバカだ!」


私は次々と放たれる息子からの言葉に内心ショックを受けたが、

「うん、ママのせいだね」

「そうだね、ママはバカだよね」

等と相槌を打ちながら、息子と歩いた。


息子は砂利を蹴飛ばしながら、怒りを発散させるように乱暴な身振り手振りで歩いていた。


息子が、こんなに怒りをあらわにして、乱暴な行動をするのも初めてだから、動揺した。


そして息子が地面に投げた石が跳ね返り、義妹の後ろ姿スレスレのところに飛んでいった。


私は息子の手を掴んで、

「人がいるところに投げちゃダメ!」

と、息子の目を見ながら怒った。


息子は私の手を振り払い、私から離れる。

…なんで、こんなに乱暴な事をするんだろう。


その後も息子は私をなじってくる。


「ママが鯉を見てくれなかった!」

「金色の綺麗な鯉だったのに…」


私はこの時、やっと息子の気持ちに気付いた。


息子は私に、綺麗な鯉を見せたかったんだな。

私と思い出を共有したくて、私を呼んだ。


でも、私はスルーしてしまった。


息子の怒りが少しずつ収まってきた。


私「鯉、綺麗だったんだね。金色だったの?」

息子「うん。ホテルの玄関の金箔よりも金だった。ゴージャスだったよ」

私「そっかぁ。私に見せてくれようとしてたんだね。」

息子「うん。」


それだけ話して、息子と手を繋いで歩いた。


怒りには理由がある。