私が資格取得に奔走していた時、お昼休憩は休憩室ではなく、広い会議室で一人で食べていた。


勉強に集中できるから…というのが名目上の理由で、本音を言うと

「休憩室が怖いから、居られない」

という恐怖があったから。


銀行は時間帯を分けて休憩を取るから、どの時間帯でも常に誰かがお昼を食べている。


そこに「お疲れ様です」と入っていき、お弁当をレンジで温めて、そのまま会議室に行っていた私は、衆目が怖かった。


批判されるのが怖くて。(理由はない恐怖)

みんなの会話に入っていけないのが怖くて、そんな自分が惨めで。

居た堪れない。


何より誰かの前で飲食するのがこの上なく苦痛だった。これは昔から。


…ずっと、休憩室から逃げていた。


資格取得が一段落しても、会議室に逃げていた。


でも最近は休憩室でお昼を食べられるようになった。


セッションのお陰だと思う。

誰かに批判される恐怖や、会話についていけない自分を責めて鞭打つような自分のエゴが、綺麗になくなった。


「なんで批判されるの?意味わかんない」

「会話についていけない?それが何か?惨めって、どうして?」

と、あっけらかんと開き直れるようになった。


自分が自分を虐める事をやめた。


だってカッコ悪いもんね。自己卑下って。


周りもそんなの知らんし。


何より自分が自分を苦しめていたんだなぁー

それを周りのせいにして、自分を正当化していたんだなぁー


そんな自分ってカッコ悪いなぁ。


そう思えた。


休憩室は、怖くない。


人目を気にせず、笑って会話出来るようになった自分に、乾杯🍻

最近、大好きな画伯の画集を買った。

美麗な絵をうっとりと眺めているだけでは飽き足らず、スケッチブックを購入して模写している。


あぁ、幸せ。
完全に自己満の世界。

自分を満たす為の行為に没頭している。


セッション前の私だったら、
「絵を描くだけで何も生み出していない時間」
に耐えられなかったと思う。

「こんな無駄な時間を過ごして、私は何をしているんだ!」
と、自分に対して憤り、すぐにスケッチブックを閉じてしまうだろう。

暇な時間があるなら、資格の勉強をして、自己啓発の為に時間を使うだろう。

自分を満たす事に、意味がないと思っているから。

他者からどう見られるのか、常に警戒して、戦闘モードで経験値を上げることにだけ注力する。

だから好きな事も分からなかった。

わかろうとしなかった。

だから、価値を生まない作業に没頭出来るようになれた自分にビックリしている。

誰かに褒めてもらえる為の手段を常に求めていた私だから、
絵を熱心に描いている姿を、夫や子ども達も珍しそうに見ていた。

母としての役割をおりた私を、夫や子ども達に責められないか、最初は不安と恐怖があった。

でも子ども達は、「ママ、絵が上手〜!」と言って、同じテーブルで過ごしてくれる。
夫も私が楽しそうにしているのを見ると安心するみたいだ。

肩肘張って家事育児をやってますアピールをしていた私より、今のゆるゆるな私のほうが、家族にとっては良いのかな?
と思っている。

コインの表裏だな、と思う。


相手の言動にいちいち怯えて萎縮し、被害者のように振る舞うのと。

「私はあなたに傷つけられた!あなたが悪い!」と糾弾するのと。


被害者として振る舞うことで、

相手を加害者に仕立て上げる。


自分が傷つく事で、相手を責める。


そうやってずっと、受け入れてもらえなかった自分の傷を誤魔化し、慰めてきた。


子どもの頃の私は、母に受け入れてもらえなくて、地団駄を踏んで駄々をこねていた。


そして大人になった私は相変わらず、受け入れてくれない周りの大人達に対して、駄々をこねているのかもしれない。


「私のことを分かってほしい」

「受け入れて欲しい」


そう期待するから傷付く。


他人なんだから、分かってもらえなくて当たり前なのに。


母に求めるものを、周りの大人に求めている。