私は総じて年上の女性が苦手だ。


最たるものは義母だが、今回は、義母の話は置いておく。


職場の年上の女性の上司は、

とてもハキハキしていて仕事が出来る人だ。


でも私は彼女が苦手だ。


ハキハキしていて物事をはっきり言う白黒思考の彼女に話し掛けられると、心臓がバクバクする。

何故か、責められているように感じる。

詰問されている気分だ。


…何故だろう?

セッションの効果だろう、

彼女自身の問題ではなく、私の捉え方の問題だという自覚はある。


先日仕事でミスをした。

部署の管理体制の不備もあるが、私がミスの発端だ。

直属の上司(男性)からの指摘は冷静に受け入れられる。

男性ならではの、感情を入れない注意だから、私も感情を揺さぶられる事なく、「あぁ、申し訳無かったなぁ。」と反省出来るし、次は無いようにしよう!と素直に思える。


でも、その女性の上司からの叱責は、殊更に心臓をえぐられるような気分になった。


感情を込めた叱責。

「なぜ〜なの?前も言ったよね?」


…私は感情を揺さぶられる。動揺する。


泣かないように精一杯だ。


反省会が終わり、私はトイレで泣いてしまう。


羞恥心、情けなさ、悔しさ、至らなさ…


色んな感情がごちゃ混ぜの状態。


同じ事を男性に言われても、私はここまで打ちのめされない。



私は年上の女性に注意されると、

母の事を重ね合わせてしまうのかもしれない。


母に叱責された時の、惨めな自分を思い出す。


そのトラウマが蘇るのかもしれない。


…私の中の根深いトラウマの芽を摘まないと。


私は先に進めない気がする。

セッションで気づかせてもらった事。


私は他者評価を上げる為に、ハイスペを常に求めている。


何をするにも損得勘定。


「エリナさんはスゴいね!」

賞賛される事でドーパミンが分泌され、生きている実感が得られる。


褒められる事、自分の価値を上げることに生き甲斐を見つけている。


そう、母親の価値感を引き継いでいる。


でも私は、そこを抜け出したいと藻掻いている。


もう、自分の好きな事を、真っ直ぐに見つめたいんだ。


夢中になれることを、自分の内面の世界だけの、密かな楽しみを、大切にしたい。


自分の価値なんていう幻想の評価軸から、抜け出したい。


そう思ったのは、昨日、水墨画教室を探していた時だ。


テレビで水墨画の特集をやっていて、私は

「水墨画、良いかも…」

と、にわかに思い立ち、水墨画教室や水墨画の講座を探していた。


有名な水墨画の先生を見つけて、通信講座を申し込もうかとスマホにかじりついていた時だ。


「これって、私が夢中になれる事なのか?」

「今までと全く同じ価値感で動こうとしているのではないか?」

と、自分に問う声が聞こえた。


確かに私は思ったんだ。

「水墨画を習って綺麗に絵が描けるようになったら、SNSにあげて賞賛されるかも…」


「今住んでいる付近に水墨画教室は無いから、将来的に講座を開いたら小金が稼げるかも…」


「水墨画が描ける女性ってカッコイイと周りから思われるかも…」


全て他者評価だ。


目先の人参🥕を得る為に走り出すようなものだ。


これじゃあ、私は変わらない…


そう思って水墨画講座を申し込むのはやめた。


代わりに、お気に入りの画家(私の好きなファンタジー小説の挿絵を描いている人)の画集の購入ページを見る。


一冊3630円を2冊。

今までの私にとってはかなり大きな額だが、思い悩んだ末に購入。


これはトレードオフではない。


いや、強いて言えば、私の夢中になれる時間に価値を見出したんだ。


「イラストを見てウットリと小説の世界観に浸る時間」

「お気に入りのノートにイラストを模写し、綺麗な色を塗る。その絵を見ながら大満足する時間」


…これ、めちゃくちゃ贅沢だし。

自分が幸せになれる時間を、自分に提供してあげる。


これ、めちゃくちゃ自分を大切にしている証拠なのでは?


と、気付いてしまった。


気付いたら、やるしか無いよね。


ズレてるかもしれない。


でもとにかく、間違っても良いから、自分を大切にしていると思えるような時間を作りたい。

最近はずっと雨や曇りの日が続いている。

低気圧の影響か、身体もダルいし重たい。
ジト〜っとした湿気がまとわりついてくる。

そんな室内の空気から逃れようと、朝から公園に行く。

雨粒が葉っぱにのっかって、めちゃくちゃ綺麗!!






雨粒のジュエリーでお洒落した葉っぱ🍃

こうやって見ると雨って良いね。

しっとりした空気も、外に出ると心地良く感じる。

ゆっくりと歩きながら、ふと気付くと、かよさんとのセッションから大分月日が流れている事に気付いた。

セッションを始めてから日課になった公園散歩。

冬の寒い朝
春の芽吹いた朝
夏のカラッとした朝
雨の日
晴れの日

振り返ってみると、いつだって公園は私を迎え入れてくれて、その多種多様な草花や虫、生き物を見せてくれる。
空の色も雲の形も、いつも違うけど、どんな時もそこに居てくれる。

辛かった時も、ほのぼのした時も、私がどんな状態でも、自然は変わらないし、私に構わず移ろってゆく。

いつだって私には居場所があるんだと気付かせてくれる。

肩の力を抜いて良いんだよって教えてくれる。

そのパワーが私には必要だ。

まだまだ、私は飢えている。

自然からもらう、パワーに生かされている。