かよさんのブログに取り上げて頂いた記事、読みました。


私はLINEセッションを通して母親の信仰を抜け出したと思っていましたが、それはとんだ勘違いだったようですね…

お母さんの事は、どうでも良くなりました。


でも私は、息子と娘の母親という役割に、固執しています。


これは「I LOVE毒親」状態が、現在も進行中という事ですね…



自分が、親の役割を生きる価値にしている間は、憎しみから解放されることはありません。

はい。

私は未だに、

「ちゃんと母親やっていれば、生きていて良いよ」と、条件付きで自分の存在価値を許可している感覚があります。

「子供達を差し置いて、自由にするだなんて、そんなの母親失格だよ」

「ちゃんと躾けないと」

「周りに迷惑かけないように」


そうしないと私の価値がないと思い込んでいる。



喧嘩はしたくない、でも分かり合いたい。

都合よく手に入れようとしてる。

はい。私は夫と衝突するのが怖い。

夫が不機嫌になって、家庭内の空気が悪くなるのが怖いです。耐えられない。


だからいつも空気を悪くしないように、当たり障りのない会話しかしない。

だから仮面夫婦。


そんな事、子ども達もお見通しですね。

そうやって親から不健全な人間関係を学んでいく。

継承されていく。



我が子の現実を認めたがらない迷惑な親は沢山います。

そういう傾向がある子の親である自分を認めるのが嫌だったという方が近い。

そこに差別意識があるからですね

はい。当時は無自覚でした。


担任から指摘される度、息子を否定されたような気持ちになっていました。

でも本当は、母である私自身を否定されたような気持ちになっていました。

惨めでした。

だからクリニックに通ったり、放デイに見学に行ったり、必死になっていた。


息子が楽に生きられるようになる為の補助ではなく、「息子は普通!だから私も母として失格ではない!」と証明する為の、私が自己価値を失わない様にする為の努力でした。


息子の発達傾向を認める=自己価値がなくなるなんて、私の歪んだ思考なのですが…


そう思い込んでいる。


私の母は、発達障害者を毛嫌いしていました。

「あー嫌だ!」

「近づいたら駄目よ」

「親御さんも何で野放しにしてるんだろうね」

等と、子どもの私に常々言っていました。


だから自然と私は、

「発達障害=社会不適合者」

「みんなから嫌われる」

「避けられる」

「虐められる」

という認識があります。


それは差別意識なのですね。

母ほど露骨には出さないけど、心の中では差別意識が強い。

だから息子に傾向がある事を認められないし、拒否している。


息子がみんなから嫌われて、否定されて、罵られるような気がしてしまう。

それは私に差別意識があるから。



本当に子どものためになら、さっさと特性を認めて対処するのが正解です。

はい。

クリニックの相談員さんや放デイの先生からは、

「タイマーを使って時間内に行動させる」

「気が散るものを周りに置かない」

「衝立などを利用して集中力を上げる」

等のハウツーを教えてもらいましたが、いずれもその場しのぎの対処にしかならず…


ちゃんと息子の特性に合った対処ができていないと思います。

生活面や親の対応の仕方など、不適切な対処が息子を生きにくくさせているんでしょうが…


私自身が生きにくい思考を手放せないので、息子の対処を出来る余裕がない。



子どもそのものに関心がない

だから人間をスペックで見てしまうんです

はい。

私は幼少期から葛藤してきました。

「私はなぜ、こんなに他人の目ばかり気にして、自分を生きられないんだろう。

のびのびと振る舞えないんだろう。

言葉一つ、自由に発することが出来ない。

私はおかしい。」


小学中学と、私は根暗でブスで、クラスの男子にからかわれていました。

幸い友達はいましたが、いつも合わせてばかりで自分が分からず、苦しかった。


大学生になり、メイクやファッションを覚えて、会話も出来るようになりましたが、表面的な変化。

私の根本はずっと変わっていない。


目の前の相手に興味が無く、自分がどう見られるかで頭の中がいっぱいです。


相手の事を観る余裕がない。


母になっても、子ども達を観てあげる余裕なんて、ほぼない。



価値を外に置いた時点で、永遠に満たされない構造になるのは当然。

私は優れている時だけ価値がある

この信念が捨てられないんですね、私は。


カントの言う民度が、私はとても未熟です。

外の評価ばかりに気を取られて、理性や自分を律する力が未発達です…


そのへんの小学生以下のレベルです。


大人なのに…

スペックしか気にしていなかったツケですね。