楓 邦也のブログ ☆カメラ狂の詩☆ -47ページ目

楓 邦也のブログ ☆カメラ狂の詩☆

内容は、写真とカメラに関する話題中心です。
興味の有る方も無い方も、良かったらお読み下さい。

 

カメラボディやレンズに必ずついているシリアスNO...。


有っても無くても使用するには別段不都合は無いのだが...。



このシリアスNOが消えてしまうと、


言ってみれば、出所の怪しいモノ扱いされて、


下取り等を店に断られるケースが多々ある。



まぁ、使い潰す気で、売却や下取りに出さなければ、別段影響は無いのだが.....(^^;)



昔のカメラなら、金属ボディにしっかりと刻印されていたりするので消える心配は皆無であったが、


今のデジタル機なんかは、シールを張られていたり、インクジェットの印字だったりするため、


結構、消えてしまう機種も少なくない気がする...。



今お手持ちの機種のNOが消えてしまって、将来売却処分するかもしれないのなら、


メーカーのサービスセンターに持ち込んで、NO再発行の手続きを行う必要がある。


これもメーカーによって対応がまちまちで、


一切受け付けない会社もあるので注意が必要だ。(家電系は期待薄であるような....)


まぁ、まともなカメラメーカーであれば、有料だけど対処してもらえるはず....。



ちゃんとした中古カメラ店なら、


規定でNOの判別できないものは買い取れないとなっているので、買うときも安心だが、


怪しいカメラ店やネットオークション等で買うときは、NOの有無の確認は必である。



まぁ、NO 無しであっても、


その分うんと安ければ、多少は揺らぐこともあるのはあるのだが.....(^ o ^ ;)






 

例えば、同一メーカーのカメラボディで、


最高級機と普及機で、同じレンズを使ったなら、


おそらく出来る画の画質はほとんど同じだと思う。



高いカメラボディだから、安いカメラよりも写りが良いということはあまり無いのだ。


レンズの場合は、高級レンズと安物レンズでは、はっきりとその差が実感できるのだが、


ボディに関しては、その差を区別できる人はほとんどいないと思う。



でも、巷では高級カメラボディが人気である。


特に、ほとんど写さないような年配カメラおじさんほど、高級機を欲しがる傾向が強い。


結局は、高いカメラを持っている!という自己満足と、一種のステータスのためなんだろうか....。


高いカメラボディだから、良い写真が撮れる?という保証は全く無いのだ。



実際、財力にモノを言わせてどんなに高級機を買い込んだところで、


得られる満足感は乏しいように思われる。



高いカメラであるほど、普通は写りの期待値が上がるため、


結果に対する落胆も大きくなるような気がする。



逆に、とっても安いカメラや、はたまたジャンク品などで、


たまたま良い写真が撮れたりすれば、そのお得感から、得られる満足度は高いと思う。



高級機と普及機のカメラボディの差といえば、


そのハード部分の丈夫さや耐久性がほとんどの要素を占めるので、


お仕事の方以外では、高級機である必要性はほとんど無いと思う。



見栄やステータスだけでは、


おそらく写真は良くはならないのでね....(^ o ^ ;)






 

最近、気になることの一つに、


写真が綺麗すぎる!ということが挙げられる。



デジタルの功罪のひとつかもしれないし、


カメラやレンズの性能が上がるのは喜ばしいことに違いないのだが、


それにしても、実物をはるかに越えた綺麗さは、少々違和感を感じずにはいられない。



100歩譲って、広告写真のように、


ある意味“作り物”で良いのならどんなに綺麗でもアリだと思うが、


猫も杓子も、とにかく全ての写真に綺麗過ぎる画を追求し良しとする風潮は、


気味悪さすら感じてしまうときがある。



あくまで個人的な考えだけど、


写真は、けして実物を越えてはいけない気がする。


カメラやレンズの描写性能以上に、レタッチや加工をしまくって、


徹底的に“美”を追求した“写真”って、もはや抽象画に近いような印象さえ受ける....。



今、モノクロ写真が密かに受け入れられているのは、


過敏な美に疲れた人たちが、実物から引き算された画に、安心感を覚えるからかもしれない。


たしかに、モノクロなら、どんなに高画質でも、実物を越えることは無さそうである。



現実の光景を忠実に再現するのは理想だけど、


現実プラスアルファの”作り物の画”は、やっぱり何だか馴染めないね....(^ o ^ ; )