ちょっとだけ暖かくて、長袖と帽子がとっても似合う季節のころだったんだ。
ズボンの裾をひきずってくるせに、チェックシャツに黒いハットでカッコつけて歩いてた。何もかも面白くないなって思いながら近所の小さな橋の上でメンソールに火を点けて何とはなしに空を眺めたときだった。
見慣れないものが空を飛んでいた。
ぽっかり口をあけ、慄然とした。煙草は火の粉をあげて地面で爆ぜた。
最初は自殺者かなと思った。人間だと思うぐらいに、とにかく大きかった。そして影だとおもった。
だけど、理解した。そいつが一言鳴いたからだ。野太くて、腹にずっしりと響く。死ぬ人間がそんな太い声を出すなんてことはないだろう。
コンドルだった。
いや、ハゲタカなのか、アホウドリなのかはよくわからない。恐らくコンドルだった。
コンドルは2つ鳴くと僕の真上を旋回し始めた。そして、汚い声をあげながら時折急下降して威嚇してきた。肩口にベットリと白い糞をつけられた。
「嘘だろ・・・。」
攻撃の態勢と受け止められうる威嚇を何度も繰り返しながらぐるりと旋回を続ける。頭がはげあがっていて、全体的に焦げ茶の毛に覆われながら、首元に白い毛で大きなブローチをつけているように見える。
てか、なんでコンドルがいるわけ?せめて鷹とか鳶だろ。コンドルって。コンドルは夕陽に向かって飛んでいくもんじゃねぇのかよ。何をどう間違えたら人を威嚇するんだよ。
30メートル向こうでは電車がいつも通りに通過していく。橋の上は遮るものがないから電車の音がうるさい。時間が昼時なのもあって、乗客はまばらで立っている人は少ない。そして、誰もこっちを見ていないようだった。コンドルが飛んでるんだぜ?もし僕がお前らの立場なら窓辺で携帯握って写メとってるぞ。そんで、たいして言うことも聞かないくせに飯をおごるって言ったときにだけ喜ぶ後輩に自慢してやるはずだ。コンドルだぜコンドル。
そうか、携帯だ。
僕は素早く右ポケットに手を突っ込む。あせるな、落ち着け、相手は人間じゃない。ポケットに手を突っ込んだぐらいで襲ってくるような小ざかしい生き物なんかじゃない。履きなれないズボンのせいですこしもたついたが、携帯を取り出した。
よし、電話をかけよう。
・・・。
誰に?
冷静に考える。
僕は誰に救いを求めればいいんだろう。相手はいつ襲ってくるかもわからないコンドルだ。今にも襲いかかってきそうな感じがする。さっきから涎がぽたぽたと滴ってアスファルトに水玉模様を作っている。
警察か?いや、信じるはずがない。過去に自分の車を囲まれるように路上駐車されたときも警察を呼んだが、要請から1時間後にやってきた。それじゃあ遅すぎる。
友達か?昼時のこんな時間帯に急いで迎えに来てくれるような奴はいないだろう。
それ以前に、誰がこんな話を信じるだろうか。
僕が逆の立場なら話にのったとして、迎えには行かないだろう。いくら切羽詰った演技をしていたとしても・・・だ。
電話は無駄なのだろうか。いや、誰かの声を聴くことで少し落ち着くかもしれない。何よりも、この状況が現実だと限らないし、電話の向こう側にいる人のほうがこの状況よりは現実的じゃないか。
よし。
短縮ダイヤルの4番に親友と呼べるやつの番号が入っている。
「もしもし。」
「もしもし。僕だけど。」
「おお、久しぶりじゃん。元気か?」
「ちょっと聞いてくれ。こういう時、たいてい僕が相槌をうち続けてゲームオーバーになる。そういうもんだ。」
「何のことだよ。」
「まあ、とにかくまず話を聞いてくれ。ああ、ありがとう。よし、いいか、単刀直入に言う。僕は今、コンドルに襲われてる。」
「うん。」
「で、どうしたらいい?」
「うん。意味わかんねえな。」
「いや、僕が一番意味わかんないから。なんでコンドルに襲われなきゃならないんだよ。」
「ショー?」
「そんなわけないだろ。」
「なに、今どこにいんの?」
「近所だよ。さかえ橋。ほら、年末二人で飲んで帰ったときに一緒になって川に吐いたあそこだよ。」
「はいはい。ああ、懐かしいな。」
「で、さっきコンドルが出てきたんだよ。」
「なんでコンドル?」
「知るか。知ってたら対処のしようもあるわ。」
「まあいいけどさ。で、何?でっかいの?」
「でかい。人間ぐらいあると思う。」
「今どうなってんの?」
「ああ、上でグルグルまわってるわ。ほら、な、いま鳴き声きこえただろ、な。」
「聞こえないから。ちょっとハンズフリーモードにしてみ。」
僕は受話器を耳から離し、ボタンを押した。
「な、な、聞こえるだろ。」
「どこのじいさんだよ。」
「ちげぇって。ほらほんとなんだよ。」
「わかったわかった。仮にそうだとして、俺にどうしろって?」
「わかんないよ。一人じゃわかんないから電話したんだよ。」
「あいにく車ですぐ迎えに行ける状態じゃないし、どうすればいいかなあ。」
「ちょっと、マジで頼むよ。」
「まわりに誰もいないの?」
「いねえよ。車も一台もこねえし。電車が通過したぐらいだよ。」
「うーん。困ったな。」
「お前が困ってどうすんだよ。泣きたいのは僕のほうだよ。」
電話越しに途方に暮れる男二人を嘲笑うかのようにコンドルは鳴いている。そしていよいよアタックを開始し始めた。
「あ、おい、きてるよ。帽子に足があたったよいま。もうヤバイって。」
「なんか武器ないのかよ武器は。」
「ライターぐらいしかない。あと、財布。」
「銭投げしろ銭投げ!」
「きかねえよ!」
「とりあえずライターで威嚇しておけばいいんじゃない。動物は火が苦手だろ。」
言われたとおりジッポに火をつけたが、悲しいほど火は大きくならない。しかし、それをいっぱいに伸ばした腕を振り回す。嘲笑う声が空から聞こえる。
「警察呼べば?」
「どうやって信じてもらえばいいんだよ。」
「まあな、さっきから全然俺にも聞こえてこないからな、鳴き声。」
「おい、いまさらになってまさか信じてないのかよ。」
「まあ百パーセントかって言われたら、違うけど。」
「いや、マジだって。マジだから。嘘だったらお母さんのストッキングはいて、そのうえ短パンで町内一周してもいいぐらい本当なんだってば。」
「そんな趣味あんの?」
「ねえよ馬鹿やろう!」
怒りに任せて電話をきってしまった。
コンドルはけたたましい叫びをあげている。お気に入りのハットが糞まみれだ。バカヤロウ。もうどうにでもなれよ。こんな世の中も、コンドルも、あいつも、僕も、もう全部バカヤロウだ。僕は走り出した。最寄の建物までは5分ほど走り続けなければならない。しかも最悪なのはそこがスタバなのだ。しかも僕が2ヶ月前まで勤務していたスタバ。ええいもうバカヤロウだ。なんにも怖くなんかねえんだよ。糞まみれの姿でトールアドショットアーモンドキャラメルマキアートでも頼んでやるぜバカヤロウ。
しかし野生の動物というものは動くものには敏感で、すぐに頭めがけて攻撃を仕掛けてきた。けつまずく僕。やばい。のしかかられたら終わりだ。見れば見るほどコンドルはでかい。二メートルはある。僕が昔プロレスラーと握手したとき、彼の身長と体重は百八十三センチ、百三キロだった。コンドルはゆうにそれを越えているようだ。慌てて地面を掘るように素早く手を動かし態勢を立て直そうとしたのもつかの間、ついにコンドルはのしかかってきた。
ああ、終わった。走馬灯が流れ出した。高校に入るまで、お年玉は親が預かるという名義ですべて回収していたなあ、あれ返してくれないよね。とか、門限破って家にはいれなくて泣いてたらお隣さんが家にいれてくれて、自分のうちじゃ考えらないうまい焼肉を食べさせてくれたから月一回で同じことををわざとやってたこととか。
目を閉じた瞬間だった。近づいてくる車の音。はっと目を見開いた。最後の大声で助けを叫ばなくては。そのとき、車の方から大声がした。
「待たせたな!」
「ああ。やっときた・・・。」
車を急停車させ、助手席でコンドルを強く殴りつける。
「乗れ!」
蜘蛛の糸のごときその助手席のシートを目指し、ほふく前進した。腰に力が入らない。それでもようやくたどり着くと、親友は車を発進させる。
「シートベルトしろよ。」
「無理だ、力がはいらない。」
「まったくよ。写メとればよかったよ。課長から早退理由を何度も聞かれるから、友達をコンドルから救いに行きますって言っちゃったよ。明日から完全にキチガイ扱いだ。」
「悪いな。」
「まあいいよ。本当にコンドルだったんだし。嘘は言ってない。」
「ああ。」
「あんなとこで、なんか用事があったのか?」
「いや、なんもなかった。散歩してただけだ。」
「そうか、じゃあカラオケでも行くか。」
「ああ。」
かくして男二人で向かったカラオケルームで、中盤の盛り上がり曲『YAH!YAH!YAH!』を歌う頃にはコンドルのことなんて忘れて夢中になっているのだった。ただ、帰るときにやっぱり帽子も服も糞まみれだったので、とてもげんなりしてしまった。このタイプの帽子ってクリーニングできたっけ。そんな事を考えながら今日もまた日が沈む。