それぞれがそれなりの愛をお互いに出し合うから信じあえるのであって。
それがないから、金がものを言うわけで。
金は誰も裏切らないよ。
ぼくは大学時代に地域通貨というのを勉強していた。
それは、地域にしか使えない使えないものだ。まあ、名前からしてそうだろう。
あ、今日は妄想話じゃないから。
講義です、どちらかと言えば。
地域通貨とは、その地域の中でしか使えない通貨。元々、地産地消の促進をはかるために生み出されたものだ。なぜそんなことをするかというと、地元の人が地元のものを安値で買えば、さらにそれに手を加えることで色々なものが作れるようになる。
例えば、漁業の町なら魚を買ってきてソーセージを作ったり、畜産主体の町なら肉を買ってきてハンバーグを作ったり。それを、地元以外のおもに観光客などに提供することで外貨を流入しやすくするというシステムだ。物々交換以上、現金交換未満、商品券で買い物するっていう認識に近いかもしれない。
高齢化社会が蔓延しつつあるその町で地域通貨システムが取り入れられた。
雪国じゃないと想像できないかもしれないが、雪が降ると玄関戸の外に雪が降り積もって家から出られなくなることもある。そういう時は役場が出動する。
しかし、戸別の屋根の雪下ろしや、雪の日の買い物は老人には重労働になる。民間の介護システムで全世帯をカバーすることが難しいということでボランティアの促進をはかるために導入された。子守りや、犬の散歩にまで使用できる。
子どもにお菓子を振舞ってお使いを頼むような気軽さを取り入れたかったのだと役場で聞いた。ボランティアに対して、現金をつかませるのはあまりモラルがよろしくないのではないかという事。
その仲介役は役場がしていて、派遣業のようなかたちで執り行われる。
役場で概要を聞いたり、商店街ではどういう使われ方をしているのかを調査したり、街灯インタビューをした。
結果、地域通貨はほとんど使われていなかった。
なぜか。
地域通貨を利用したとしても、手伝ってくれた人にご飯を振舞ったり、お土産をもせたりと、現金を与えるよりも気を使うという反応があったからだ。
つまり、結局地域通貨があってもなくても気配りが必要だったのだ。
ただ、小学校の授業でボランティアをさせるときなど、子どもと老人の縁を結ぶ導入としては多少は効果があったという。しかし、その後継続して交流があるのかどうかは調査できなかった。
このことを通じて、町規模では役場以上企業未満の福祉というものの厳しさを知った。何度か福祉施設みたいなものもできたらしいのだが、存続にはいたらなかったという。また、近年郊外に大型スーパーが出店し、有料で商品配達もされるようになった。これによって利用目的のかなり大きな部分を占める部分が解消されたのである。
もう一つは、繋がりというのは愛と金のどちらかしかないのではないかということだ。こっちは論文には書かなかったけれど。僕はどちらも否定しない。愛をウエット、金をドライとするならば、その使い分けはでてくると思うが、別にそれが悪いことだとは一つも思わない。これが混ざってるのが危険だとは思うが。愛に関しては反する憎悪というものがつきまとうから、それを経て金へシフトすることも考えられるだろう。このバランス感覚が一番人間の本質を問われるような気がする。もちろん日々変化するだろうけれど。相性もあるだろうし。
僕は金がないので愛を振りまき続けている。それしかないんだもの。
傷つきたくなきゃ金の関係を続ければいいし、これ以上関係をもちたくないなら縁を切る。
人生は長いようで短いから、できるだけ自分のことを好きでいてくれる人と多く接したい。