映画「チャイコフスキーの妻」を、吉祥寺で鑑賞。
去年から今年にかけて、音楽家の作品2本、バーンスタインとラヴェルの伝記映画を観て、中々面白かったです。それに味をしめて、チャイコフスキーに関する映画もやるというので、楽しみにしていました。しかし、鑑賞してみると、結構えぐい映画でびっくりしました。
チャイコフスキーが、内向的なホモだったというのは有名な話で、それを苦に自殺同然で生水を飲み、コレラにかかり死亡したといわれています。当時のロシアで同性愛は死刑でした。
彼はバレエ音楽を芸術の域まで高めたことで知られていますが、彼がバレエに拘ったのは、同性愛者が多い、バレエの世界が好みだったからだ、という説もあります。映画の中でも、それを匂わすようなシーンもありました。この映画の監督も、バレエの演出などをしていたといいますが・・・。
そんなチャイコフスキーは1度若い女性と結婚をしています。名前をアントニーナといい、この映画の主人公にあたります。チャイコフスキーも世間体を考えたのか、自分を更生させようと思ったのは分かりませんが、年の離れた音楽院の教え子と結婚したのでした。しかし、結婚は6週間で破綻し、チャイコフスキーは川の水に身を浸し、自殺未遂を起こします。この女性との結婚生活が相当苦痛だったようです。
この結婚の話なども、チャイコフスキーの伝記などでは有名です。しかし、アントニーナがどういう人物だったかは中々、我々には分からないところです。ところが、この作品は、そのアントニーナを掘り下げている変わった映画で、気がふれていく彼女の姿をしつこく描いています。
アントニーナは、端的にいえば、愚かで淫乱だったといわれています。映画なので、何かしら救いがある描き方なのかと思っていたのですが、全くそんなこともない映画で、驚きました。
音楽に関してもチャイコフスキーの音楽はほとんど出てくることがなく、映画独自の怪しい音楽が鳴り続けます。
正直、監督は一体何が撮りたいのだろうと考えてしまうような内容でした。
特に男性の裸が繰り返し出てきます。まあ、チャイコフスキーの映画なので・・・みたいに思っていたのですが、どうなんでしょう、この監督自体もそういう傾向がある監督なのでは?芸術系の映画なのかもしれませんが、性器もボカシなく映し出され、ちょっとしつこいぞ、と自分は思っていました。
所詮推測なので分かりませんが、ラストに置かれた、主人公のダンスを含めたイメージカットなど、男性の体を繰り返し映像に映しますが、必要あるんですかね。これって監督自身のパラノイアなんじゃないのか、という印象を受けました。
映像は、どのシーンもまるで絵画のようで、非常に美しいのですが、色々と不吉さを感じさせる表現が多い映画でした。
アントニーナの住むアパートの室内は、まるでハマスホイの絵画のようで、精神的な不安定さを表現していて、不気味です。
↑、デンマークの画家、ヴィルヘルム・ハマスホイの「白い扉、あるいは開いた扉」。人のいない室内を描きながら、人間の心理的不安定さを描いています。アントニーナの住処はこのような雰囲気で描かれていました。
他にも初めの方から「蠅」を繰り返し、映画のモチーフとして扱っていますが、そういうのも気持ちが良いものではありません。「蠅」から来るイメージといえば、やはり「腐敗」とか「死」とか。チャイコフスキーのおでこに蠅が止まるシーンがあったりして、所々不吉さを感じさせます。
前半は割と史実通りなのかな、という感じがしますが、後半、アントニーナが不幸になってからは、監督の想像がかなり入っているようで、監督のこの「不幸さ」、とか「不吉さ」に対する執着は一体なんなのだろうかと思ってしまうような映画でした。
監督自身が、何らかの倒錯的な考えの持ち主で、それをアントニーナという女性を用いて、自分自身の内面を吐露している、という風にも、個人的には見えました。
チャイコフスキーという有名な作曲家にフォーカスせず、本当にタイトル通り、その「妻」を描く作品です。
映画で描かれている、アントニーナのチャイコフスキーに対する執着は異常ですが、実際の本人もそのような性格だったそうです。映画を観てから、ウィキペディアを見ると、割とそこに書かれている内容はそのまま映画になっているような印象を受けました。
彼女は1917年に亡くなっていますが、最後の20年は精神病院にいたといいます。
しかし、何も考えず観に行って、「楽しかった」とはならないような、暗い映画だと思います。



