デューン パート2 |  ヒマジンノ国

 ヒマジンノ国

ブログの説明を入力します。

 

3月18日、デューンのパート2を鑑賞。

 

映画版デューン |  ヒマジンノ国 (ameblo.jp)

 

↑、パート1の時の記事。偉そうなことを書いてますが、原作は20年以上前に読んだきりで、かなり忘れています(^-^;。他に、手前勝手な政治的意見は、ご愛嬌ということでお許しください。

 

パート1は、94回のアカデミー賞で6部門受賞したとかで、好評だったようです。おかげで続編の製作が決定。パート1、パート2で、一応原作の第1部の完結に至りました(多分)。

 

D・リンチ版、ドラマ版、ホドロフスキー版ときて、4度目の正直というところで、やっと決定版の登場となったと思います。

 

このドラマの映像化が難しいのは、スケールの大きさと同時に、特殊な世界観の創出、単調なドラマの劇的演出などだと思います。CG技術によって、スケールの大きさをクリア、デザインも現代的な雰囲気を合わせつつ、原作のイメージを美しく再現しており、個人的に、一部気になったりするものもあったんですが、多くの人が満足できるものだったと思います。

 

後はドラマです。純粋に娯楽映画としてみると、物語の展開自体、独自の世界観の演出が多いだけで、劇的効果自体は弱く、単調にみえます。この難しい問題に対し、監督は、長回しの美しい陶酔的な映像と、没入感の多い音楽の効果で対応。

 

以前書きましたけど、デューンはやはり「準世界(パラレルワールド)」の創出があってこそ、成り立つものがあると思います。小説を読んでいても、1ページごとに、アラキスの砂漠の熱風が差し込んでくるごとき感触があり、読み手には、その場にいるような没入感があったわけです。

 

こういう部分を映画という別ジャンルを用いて、成功させたと思います。最近の音響効果の優れた映画館で観ると、大変な臨場感があります。ハンス・ジマーの音楽の素晴らしさは、まさに映画にしか使えないような音楽ですが、出色です。2時間40分の間、しばし鑑賞者は宇宙の彼方の砂の惑星の、大気を吸っている気になれます。

 

この作品を映画で初めて触れたという人の多くは、多分その単調なドラマ性だけを追って、面白くない、とか、無駄に長いと感じるのが普通でしょう。欧米の芸術に多くあることですが、原作を知っていないと意味が分からない(音楽における交響詩など)というものが、普通に存在しているのが事実で、今回映画を観た限り、このデューンのその部類に入るかなと感じました。この辺の事実は、我々東洋人には悲劇ですね(^-^;。

 

相性が良ければ原作を知らなくても、理解できると思います。しかしそれでも、物語が古い、とか、物語の投げかける意味が分からないとか、感じるのはありうる話だと思います。

 

自分としてはシェークスピアと同じなんですよね。この映画の原作は「古典」なんです。

 

ポールが皇帝ムアドディブになって、人類の先行きの危機を悟り、やがてその危機の解決を、レトとガニマに委ねるとき、その解決法は今の時代にはそぐわないと思います。しかし、時代にそぐわないといっても、この小説が与えた各界への影響力を考えると、その価値はもう中々否定できないでしょう。

 

この作品は既に、欧米の文学作品の歴史の、1部になっているのだということです。

 

「古典」を理想的な映像として見せるという、映画の持っている1つの使命、そういうことをやりたい人は大勢いるのだと思います。「デューン」はその中でも、最も難易度の高いものの1つではなったのではないでしょうか?だから成功させた監督は名前が残りますね。

 

「指輪物語」も「デューン」も、映像化に半世紀かそれ以上かかった、ということになると思います。オペラだったら、作曲家と台本作家という関係で、同時代に生きていますが、映画は作家と映画監督が別の時代に生きて創作するというのが、興味深いです。そう考えると、この手の作品はまさに時代を股にかけた、大作です。

 

個人的にはかなりレベルの高い映画だと思います。

 

 

原作で描かれている、ハーバート自身の考えによる、紛争の解決法などは好きにはなりませんが、1960年代におけるその試みと、ドラッグ・カルチャーとエコロジーを合成した特殊な雰囲気の怪しさなどは、映像でも伝わってくるものがあるんじゃないでしょうか。

 

前作でフレーメンの描き方なども、ちょっとポリコレの感じなどがあるのかと思っていたのですが、今回は全く気になりませんでした。やはりフレーメンの習慣などがちゃんと描かれることによって、鑑賞者は、アラキスに滞在する没入感を得られるのだと思います。

 

映画なので、ラストの戦闘シーンは引き延ばすかと思っていたのですが、比較的小説の通りであっさりと終わりました。逆に闘技場のシーンなどが引き延ばされて描かれています。闘技場の場面はこんな場面あったかな?と思って観ていました。他にも原作にない部分や、削られた部分もあるそうです。自分には全部は分かりません。

 

また、続編があるような終わり方で、どういう感じで続編を作るのか、不明な感じの終わり方でした。

 

小説における、「砂漠の救世主」につながる結末なのか、あるいは、小説にない、ポールと大領連合のとの争いを描くのかは、分かりませんね。