思考の場2 |  ヒマジンノ国

 ヒマジンノ国

ブログの説明を入力します。

 

ベートーヴェンは有名な第9交響曲を完成させるために四半世紀をかけたといわれています。

 

この作曲家が頭の中に抱いた、高い理想はその完成までに長い時間を要しました。そしてその理想(この場合は第9交響曲のこと)は長い間、彼の「頭の中」にだけあった、ということになります。

 

先に見てきたように、私たちが「頭の中」で得た「理想」はそのままでは現実には全くマッチさせることができません。ですので「現実に合う」ようにその理想に手をいれなければなりません。彼の場合は自分の理想を表現するのに必要だったのは、作曲上の技術だったのでしょうか?あるいは人生の経験だったのでしょうか?いずれにせよ、単に「頭の中に理想がある」としても、それを現実に実現するには「理想」以外の他の情報を含まなければなりません。そして実際「現実」に完成させた理想に関しても、初めにひらめいた「理想」の一体何パーセントの完成度なのかは、それをひらめいた本人にしか分かりません。100パーセント合致する、ということは先の考察から見てもまずありえないでしょう。

 

しかし逆にいえば、私たちが「現実」を生きる際、「頭の中の理想」は必ず必要で、それがない限り、私たちは日々の行動を指針を失うのは間違いないわけです。もっといえばおそらくは100パーセント絶対に無理だろう、その理想に対して(現実と理想の差がある故)、一体どこまで迫れるか、私たちは日々試されているといって良いと思います。

 

政治思想などにしても、「原理主義」といわれる人たちは「頭の中の理想」のみで生きている人たちといって良いと思います。彼らは自分の理想のみを求めます。しかしこれも先に見てきたように、現実上では「思想」とか「理想」というものは常に「逆の考え」を含みます。

 

数字のたとえ話でいうのなら「数字」は「数」と「量」の概念両方を必ず含みます。政治においても「中央集権」と「市民政治」のような、一体への志向と、拡散への志向は同時に表れてくるもので、これをどの程度のものにするのかということが現実への対処となります。「原理的」に「中央集権」だけでは人々は圧政に苦しむ可能性がありますし、「市民政治」のみであれば国としてのまとまりを欠く可能性があるわけです。

 

もっといえば数の多い少ないということもありますが、右翼といわれる者も左翼といわれる者も、結局はそれを両方含む「思考の場」から各自が自分に都合の良い意見を抽出した政治思想でしかなく、自分たちの思想だけでは存在できないという状況を、その対立自体が説明している、ということになります(まさに原理的に)。そして「頭の中のみで考える」者は頭の中で考える行為の特徴である、「ほかの純粋概念を放棄させる」行為となり、自分と異なる考えを一切認めようとしなくなります。そしてそのように動く限り、現実への対処法を失っていくか、強権的にならざるを得なくなります。

 

いずれにせよ「思考」というのは頭の中で考える限り「純粋概念」として働きますが、現実にそれを合致させようとすると、「思考」は「思考の場」というべき、対蹠的な意味を含む、複数の情報を網羅した1種の「場所」へと導きだされる、ということです(点ではなく)。

 

これを知らないものが現実に物事を行う時には必ず混乱を伴うでしょう。このような二局面について、あるいは、純粋概念についての観察は、人が考えているよりも重要であることが多いといえます。日本人はヨーロッパのやり方(二元論)をやるとカッコよく思えるのか、やりたがりますが、結局その元となる状況を無視してやるので、形だけになります。あるいは真面目過ぎて、そのまま二極にこだわることだけを「是」としたがります。二元化を一元化する、という方向に向かわずに、一元化を二元化する、ということになります。それは元々日本人が、一元化を自然なものとして考えていたゆえだと思います。今の人は中途半端に西洋哲学を学ぶので、結局バラバラになっていきます。

 

「思考の場」の意味を理解するのなら、私たちはどの状況も「実は一体化された状況の一場面に過ぎない」ということを理解するわけです。

 

以前引用したラー文書の言葉です。

 

<私たちは「一なるものの法則」に属しています。私たちの波動の中では、あらゆる両極性は調和しています。あらゆる複雑なことがらは単純化しています。あらゆる逆説(パラドックス)は解明されています。私たちはひとつです。それが私たちの性質であり目的なのです。>

 

パラドクスの解明はそれぞれの立場が結局、全体の中の一部でしかない、ということと同時に、その一部がなければ全体も存在しないということを理解することです。その時に初めて自分の立ち位置と、他者への理解となります。

 

それができないものは自ら崩壊を望むものでしかないでしょう。

 

「そなたは、現実世界のことばかりより分からんから、現実ことばかり申して、一に一足す二だとのみ信じているが、現実界ではそのとおりであるが、それが平面の見方、考えかたと申すもの。いくら極めても進歩も弥栄もないのじゃ。一に一足す一の世界、一に一足す無限の世界、超現実、靈の世界、立体の世界、立々体の世界のあることを体得せねばならんぞ。」(日月神示、月光の巻)