カラヤンのブラームス全集 |  ヒマジンノ国

 ヒマジンノ国

ブログの説明を入力します。

 
 
カラヤンによるブラームス全集。全集といっても交響曲4曲(1963-1964)、ヴァイオリン協奏曲(1964)、ドイツレクイエム(1964)、ハイドン変奏曲(1964)が含まれているものです。ピアノ協奏曲やダブルコンチェルトなどは含まれていません。
 
SKL133-SKL139。
 
 
カラヤンはブラームスの交響曲全集をDGに3回録音しています。ベートーヴェンの交響曲全集の時と同様に1960年代、70年代、80年代に分かれます。
 
これらの全集の中ではこの60年代のものは1番影が薄いかもしれません。カラヤン特有のオーケストラの重厚さは後年にその威力をゆずります(3回共に全てベルリン・フィルを使用しています)。この全集は表現が自然で、意欲的な迫力などはなく、全体に素のままのカラヤンを感じさせるものがあります。
 
60年代のベートーヴェン全集がトスカニーニを意識した、非常に意欲的なものであったのに対し、カラヤンの同時代の演奏としては、これはやや意外ともいうべきでしょうか?
 
カラヤンとトスカニーニを比べた場合、圧縮と中央に対する集中力は良く似ています。しかし、トスカニーニの情熱は一ヶ所にじっとしていられないような激しいものでしたが、カラヤンの場合はその逆で、物事を一ヶ所に引き留めて、じっくり表現していくのに向いているように思えます。トスカニーニは常に前のめりになって進行しようとしますが、本質的にカラヤンは違います。それ故、60年代におけるカラヤンの、前のめりになったベートーヴェンの交響曲の表現というのは、彼としてはやや無理をしているところもあったようにも見えます。
 
しかし、それがベートーヴェンの音楽の本質の一部とでもいうべきもので、ブラームスの音楽の本質ともまた異なるわけです。
 
ブラームスの音楽というのは、前のめりにならない音楽が多く、これはカラヤンの本質的な素養と良く合うのだと思います。それゆえ、ここでは意欲的に変わったことをしなくとも、カラヤンの演奏であれば十分に満足にできる演奏に仕上がっていると思います。
 
ブラームスの第1交響曲、その1楽章はカラヤンに特別良く合う音楽のように思います。ミンシュのような鬼気迫る迫力はないにしても、重厚で情熱的な音楽をじっくりと表現していくカラヤンのスタイルは、この曲にふさわしいものがあります。70年代以降の「氷上の重戦車」ともいわれたカラヤンのスタイルに合うのが、この音楽、ともいって過言ではないでしょう。逆にいえば、70年代以降、完成に向かうカラヤンの交響曲の演奏は、極論すれば全体に「ブラームス」を思わせる雰囲気がある、といって良いかと考えています。これがトスカニーニであれば、ドヴォルザークの新世界やシューマンのラインのように、時折まるでベートーヴェンを思わせる、激しい、なおかつ構造的な演奏になったわけです。
 
60年代のブラームスの表現は、カラヤンの素性をそのまま表現しているような演奏で、聴いやすいものがあります。第1など70年代の録音であれば、よりスタイリッシュに磨きあげられていて、脂っこい情熱も見せます。80年代ともなると、物々しいティンパニの連打で始まり、ベルリン・フィルの機能的な表現をここぞとばかり生かして、内声一杯に楽器を弾かせ、感情は乾いているものの、分厚いハーモニーを充満させていきます。完熟の表現です。こういったカラヤン後期の表現に比べると、60年代のカラヤンは決して背伸びをしない、自然な表現になっていると思います。
 
 
↑、カラヤンのブラームス交響曲全集。こちらは80年代と70年代のものを含みます。CD。
 
その他の交響曲についても同じような表現です(基本的な解釈は、3回の全集共に、それほどの変化はないです)。
 
カラヤンのドイツレクイエムは初めて聴きました。瑞々しい表現だと思いました。ヴァイオリン・コンチェルトはムターと共演したものが有名ですが、これは当時のカラヤンのお気に入りだった、フランス人、クリスチャン・フェラスとの共演盤です。
 
 
↑、ムター盤。CD。
 
この演奏も上述のような、自然な表現だと思います。ムター盤(1981)のオーケストラは、はち切れんばかりに鳴り、じっくりとかみしめるようなテンポで分厚い音作りです。晩年のカラヤンのスタイルらしい、充実した濃厚な音の世界です。それに比べると、ここでのカラヤンはずっと大人しいように思えますが、自然で素直な音楽の流れはもたれません。
 
 
 
↑、ブラームスの交響曲1番。カラヤンに向いている音楽だと思っています。彼が自然にふるまっても充分に迫力ある音楽になる感じです。後年の、いわば「権力志向」みたいにいわれるような雰囲気はなく、ナチュラルに聴こえるのが60年代盤です。
 
 
↑、ブラームスのヴァイオリン・コンチェルト。49歳で自ら命を絶ったクリスチャン・フェラスはカラヤンとベルリン・フィルとのコンビで多くの録音を残しました。ピアノだとワイセンベルグと同じ役回りといっていいのでしょうか。こちらもカラヤンはあまり力まず、素直な演奏に聴こえます。フェラスのヴァイオリンもそれに良く合っており、ムターよりも素朴ですが、繊細な美しさがあると思います。色気あるムター盤とは一味違った美しさがありますね。カラヤンも自分に合うソリストだと、良くまとまった演奏になるように思います。先日書いた、リヒター=ハーザーとの共演盤は火花散るような雰囲気がありましたが、ああいうのはお互いの個性が違う場合に起こる現象でしょうか。