スペインのソプラノ、ビクトリア・ロス・アンヘレスが歌う、椿姫(1959)。指揮はトゥリオ・セラフィン。ASD359-361、ED2。
レコード屋にいくと割と多く置いてあるのが、ロス・アンヘレスのレコードです。マリア・カラスやシュワルツコップ、テバルディなどに比べて少し地味な印象がありますが、レコード屋で沢山目につくので購入。
当時のレコード用内包袋に載っている、アーティストの写真の中、3人の女性のうちの1人(カラス、シュワルツコップ、アンヘレス)で、時代の花形だったことが分かります。
↑)これは別のLPの内包袋ですが、当時のスターたちの顔が並んでいます。多分1950年代後半から1960年代にかけてです。
↑↓)フィッシャー・ディースカウ、メニューインらに並んで、ロス・アンヘレス、マリア・カラス、エリザベート・シュワルツコップなどの顔が見えます。
ヴェルディの「椿姫」はこの作曲家の1番の人気作で、この作品の主役を歌えるのは、実力と人気を兼ね備えた、本当の歌手だけです。
アンヘレスの声は少し濃い、癖のあるものだと思っていましたが、全くそんなことはなくて驚きました。よくクリュイタンスの指揮した、フォーレのレクイエム(ステレオの方)に参加していることが話題になりますが、必ずしも印象に残っていなかったのは、その歌い口の自然さが原因だということでしょう。最初はちょっとヴィオレッタの印象とは違うかな、と思っていましたが、聴いているうちにヴィオレッタにしか思えなくなりました。
透明感のある、声の艶が美しいです。
少しテンポが遅い気がしますが、さすがにイタリアオペラの大家、セラフィンの指揮でこの曲の魅力が良く伝わってきます。聴いていると、ヴェルディがいかに巧みに物語の核心と、その意味合いを簡潔にまとめ、悲劇ですが、決して暗すぎない甘美な音楽に仕上げたかが、伝わってきます。しっかりした物語の一本の筋道に沿って、音楽が力強く構成されています。
原題の「ラ・トラヴィアータ」は「堕落した女」という意味合いで、これは高級娼婦ヴィオレッタの物語です。デュマ・フィスの原作だと主人公が生理の日に「椿」を身に着けたということから、特に日本では椿姫と呼ばれるようです。「椿」自体、日本から西洋に渡ったもので、「日本の薔薇」と呼ばれたものです。それ故、日本には「椿姫」という邦題を、何者かが定着させたのかもしれません。
高級娼婦ということで、本来の愛を知らない女性が、純粋な青年アルフレードの求愛によって「愛」に目覚めますが、ジェルモン家(アルフレードの家)の事情から身を引かざるを得ず、悲劇となる、というもの。確かに悲劇になったせいで、「娼婦」とはいえ、一途に男性を思う女性の心持が「マダム・バタフライ」同様に、より浮き彫りにされています。
アルフレード役のカルロ・デル・モンテも作為性のない自然な歌い方で、魅力を感じました。モーツアルトの「ドン・ジョバンニ(ドン・ファン)」が女漁りを続ける、いわば「最低の男」の像を力強く描いていますが、アルフレードは好感の持てる、女性への尊敬の念を持った男性として描かれています。
仮に「椿姫」のような悲劇が本当にあったとしたら、当事者などはかなりつらいものですが、これを甘美な音楽に仕上げることで、聴き手の我々はそこで起きている意味合いを冷静に、あるいは感動をもって理解することができます。「ドン・ジョバンニ(これは一種のファンタジーでもありますが)」や「マダム・バタフライ」などにしても、悲劇などが芸術的に高められることで、教訓といいますか、私たちの人生観に整理された悲劇としてストックされていくわけです。
そういう意味では「音楽の美しさ」などは重要なわけで、中々美しくない悲劇は受けいれられない、という意味においても、芸術上の美しさは重要である、といえると思います。
さて、このアナログ盤ですが、これは初期HMVのレコード(ED2)です。コロンビア・HMV・デッカはステレオ・レコード期の初期において3大レーベルといって良いと思います(英国において、コロンビア、HMVは合併してEMIとなります)。
(↑これが当盤のレーベル・デザイン。一応セミ・サークルとしておきます。しかし、HMVはこれと似たデザインが多くて、中々区別がつきません。)
このレコードはHMV(HIS MASTERS VOICE、つまりニッパー犬と呼ばれる、ワンコが、亡くなった自分の主人の声を蓄音機から聴くというマーク)のもので、初期盤は金縁ゴールドですが、その1個型落ちのセミ・サークル・レーベルになります(レコードは金型がプレスを繰り返すほど劣化するので、初めの頃のレコードほど音が良くなります。それ故、初期盤とかオリジナル盤が中古市場で高価になるわけです)。
(↑イギリスの風景画家の愛犬だったそうです。噛み癖があるのでニッパー犬とか。)
(↑これがHMVの初期ステレオのオリジナル・デザイン。コロンビアだとアミコロに当たると思います。金の縁がついています。これはコンヴィチュニーのオランダ人。)
(↑HMVとコロンビアの初期盤についている、EMIのシール。勝手に商品の価値を保証するものだと思っています。)
ED2(オリジナルの次の第2版のこと)辺りまでは箱に金色の「EMI」のシールが貼って有り(ED1とは別の位置)、オリジナルに比べると落ちるかもしれませんが、音はかなり良いです。第1幕の前奏曲はヴァイオリンの音色を生かした音楽ですが、芯のある、艶々とした良い音色で、美しいです。
CDが登場し、レコードは無くなる、といわれたようですが、今聴くと単純に音質と共に当時の作り手たちの雰囲気がレコードに残っているために、音質プラス・アルファの音色になっているといっても過言ではないでしょう。その辺がレコードの面白さでしょうか。
ストリーミングが流行りだし、今度はCDが無くなるとかいわれてますが、どうでしょうかね。ストリーミングは巨大なインフラがいりますから、良いことばかりではないと思いますけどね。
最近はあんまり単純に物事を割り切る意見に、ついていけない時があります。
ビクトリア・ロス・アンヘレスの歌う、「マダム・バタフライ」(1954)。アンヘレスはステレオの新盤もあるそうですが、こちらは旧盤。指揮はガヴァツェーニ。ALP1215-1217。
ロス・アンヘレスの声が若く、本当に嫌みのない歌い方で、新鮮です。若干音が固い気もしますが、中々美しいと思います。
「椿姫」、「マダム・バタフライ」、「カルメン」は全て初演が失敗しました。それがジンクスなのかはよく分かりませんが、この3作を3大オペラという場合もあり、特に人気のある作品となりました。
しかし、「バタフライ(蝶々さん)」は我々が日本人ということもあり、逆に親しみにくい部分も多いと思います。日本のことを良く知っている我々にしてみると、これは「日本」じゃない、ということが多いわけです。指揮者の朝比奈隆がいったように、これは「イタリア・オペラ」であり、時折日本の音楽が流れますが、その辺の折衷を楽しむ音楽ともいえるでしょう。
3大オペラにおいては、オペラの主題となる、女性の一途な心と、男性の嫉妬心、というものが、良く表れている場合が多く、この「バタフライ」には蝶々さんの一途で兼気な心が、聴き手の心を打ちます。
確かにこれはイタリア・オペラだと思うのですが、蝶々さんのキャラクターには、日本の女性像がちゃんと表現されているように思います。アンヘレスも若々しい声で、初心な蝶々さんの雰囲気に合っています。
蝶々さんの年齢はわずか15歳。それをアメリカ人のピンカートンは自分の楽しみのために弄んでしまいます。ピンカートンはドン・ジョバンニ的人物で、こういう台本を読んでいると、西洋のオペラの台本は人間のタイプをよくよくより分けていて、論理的に書いているなと思わせます。
プッチーニの音楽は蝶々さんの登場シーンから泣かせますね。美しくも切ない音楽で、幼い蝶々さんの悲劇をはじめから予感させます。物語はかなり残酷なんですが、音楽のせいで聴いている者は幾分でも救われる思いがしますね。
しかし、それは単純な物語の美化ではなしえないということです。










