自分個人として、CDで聴いて中々魅力が理解できなかった指揮者の一人に、イタリアの指揮者、カルロ・マリア・ジュリーニ(1914-2005)がいます。
アルトゥーロ・トスカニーニ、ヴィクトル・デ・サバタの後を継いで、スカラ座の芸術監督として期待されましたが、およそ3年で辞任してしまいます。ジュリーニの歌劇、もっといえば彼の芸術に対する完成度のこだわりの高さが災いしたようです。利益と効率性が重視されるこの世界で、ジュリーの態度は必ずしも懸命とはいえなかったということでしょう。
しかし反面、彼の芸術監督としての完璧性が発揮された、1955年の「椿姫」の公演はオーケストラ、演出(ルキノ・ヴィスコンティ)、装置、衣装、演技(マリア・カラス)が本物の総合芸術として称えられています。
↑)マリア・カラスの歌唱と共に、ライヴで燃え立つジュリーニの指揮(特に後半)が聴きもので、スカラ座の黄金時代の貴重な記録です。
その後は、1968年にオペラ指揮者として完全に身を引くと、オーケストラ指揮者として、主に独墺系のレパートリーを得意として活躍しました。彼の指揮は本人の完璧主義を反映して、一部の隙もない緻密さ、豊かで重厚な響きを旨としています。これを楽しみで聴けるか、あるいは、緻密すぎて息苦しいと取るか、で大分聴き手の印象も変わってくるでしょう。CDで聴いてきた限り、自分は後者で、重苦しい演奏が多いと思っていました(CDで聴く限り、有名なマーラーやブルックナーよりも、ブラームスが最善ではないでしょうか。・・・だからといって、マーラーやブルックナーも聴かない訳でもありませんけども)。
LPではとりあえずグラモフォンは避けてます(LPの音質であまり良い思いをしたことがないからです)。EMIはやや古い録音ですが、音質は良くて素晴らしいと思いました。
以下は最近探してきたLPです。中古LPは必ずしも欲しいものが手にはいる保障がなく、その時々で聴きたいものを見繕っています。
モーツアルトの「レクイエム」(1978、1979)。ASD3723。
CDで駄目ならアナログ盤で、ということで最近はクラシック音楽を聴いています。ジュリーニに関しても、CDで聴いていた時とは違う魅力を見出すようになりました。特に、彼の指揮するオーケストラの音色の充実感と、濃い味わいです。CDの時のようにツルツルした音の感触でなく、もっとオーケストラの音が生で伝わってきます。音が解放されて伝わってくるように思われ、音楽の中で呼吸しているような感じがします。
LPで聴くとジュリーニの作り出す響きは、オットー・クレンペラーのような力感溢れる、緻密さがあるもののようです。そして悠揚と歌う歌唱性があります。
モーツアルトのレイクエムでも、ソロよりも、コーラスとなった時の押し出しの強さが目につきます。緻密で一点もおろそかにしない迫力、そして内面から盛り上がってくるような感情の流出で歌われると、その偉大さに打たれます。高貴で、荘厳な演奏です。最近の愛聴盤です。
ブルックナーの「交響曲2番」(1974)。ASD3246。
ブルックナーの音楽としては、比較的起伏が少ない、田園風の曲をジュリーニの指揮で聴きます。決して先を急ごうとしない、真摯な指揮ぶり、重厚なフォルテでブルックナーの自然描写を聴くことができます。滑らかな歌謡性は特筆されるべきでしょう。
曲に対する解釈で特別気になることはないのですが、聴き終わった後の充実感というのか、部屋に漂う重厚な美の残り香というのか、そういうものを彼の指揮から感じるようになりました。豊かな音楽を聴いているという実感があります。
オットー・クレンペラーとか、アンドレ・クリュイタンス、ジョン・バルビローリという、名指揮者達の初期LPのステレオ録音の魅力と同じものが、ジュリーニの録音にもあるように思います。LPから流れ出てくる音質の魅力、美感は素晴らしいと思います。
やはり個人的にはアナログ盤で聴いて、初めてジュリーニの音楽の美しさを実感できるようになりました。彼の音楽をつくり出す際の緻密さは、この指揮者の持っている真摯さや真面目さの表れであって、芸術そのものに打ち込んだ人間の持っている、荘厳さが各所からにじみ出てくるような印象です。
「音楽の聖なる神殿」ともいえるような雰囲気があることを、LPで、彼の指揮から初めて実感しました。
さらにジュリーニのLPが欲しくなりました。コロンビアのSAX盤ステレオを1度聴いてみたいです。