災害がありましたので、自粛していた話題がありましたが、他に書いていきたいこともありますので、進めます。
「ランメールモールのルチア」全曲(1959)。33CX1723、33CX1724。
「ランメルモールのルチア」全曲(1953)。33CX1131、33CX1132。
↑)マリア・カラスによる新旧有名なLPです(ちなみに、マリア・カラスにおいて、最も名演といわれているのは1955年によるカラヤンとのライヴです)。こちらはスタジオ録音。
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「ランメルモールのルチア」はイタリアの、ガエタノ・ドニゼッティ(1797-1848)による歌劇です。同時代のジョアキーノ・ロッシーニ(1792-1868)、ヴィンチェンツォ・ベッリーニ(1801-1835)らと共にまとめられて、ヴェル・カント・オペラと呼ばれることが多い作品を書いた作曲家です。
今日我々はワーグナー、ヴェルディ、プッチーニ、R・シュトラウスという作曲家の時代を経てきているため、ロマン派のオペラには親和性がありますが、ヴェル・カント・オペラには中々なじめないものがあります。ロマン派のオペラは歌だけでなく、管弦楽による味の濃い内容を有しますが、ヴェル・カント・オペラの多くが管弦楽だけで魅力を感じさせる場所が少なく(ロッシーニの書いた前奏曲はどれも魅力的ですが)、内容を「歌」に頼ることが多いために、歌を単にメロディー・ラインだけでなく、内容に即して追う必要があります。我々日本人にしてみると、台本と付きっ切りで鑑賞する他しかないのが現状でしょう。
また、ヨーロッパにおいても、20世紀半ば、マリア・カラスが出現する前まではイタリア歌劇におけるヴェル・カントの歌唱は失われており、彼女によって再演されることによって、ベッリーニ、ドニゼッティの作品が再び日の目を見たといえます。「アンナ・ボレーナ」、「清教徒」、「ノルマ」そしてこの「ランメルモールのルチア」などです。
ロマン派の歌唱に慣れてしまった歌手たち(特に女性歌手でしょうか)にとってみると、「ノルマ」やこの「ルチア」における歌い手の比重は相当なものがあり、その長大で劇的な歌の内容を、「歌」そのもの、またその技術そのもの、によって表現するという難しさは頭を悩ませたに違いありません。「ルチア」についてはカバリエなどが録音を残しているらしいですが、聴いた評論家によると、あまり魅力が感じられなかったとのことです。
例えばこの「ランメルモールのルチア」においては「狂乱の場」という有名な場面があります。特に今回はこの場におけるカラスの歌唱について書いておきます。
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舞台はスコットランドで、そこに住む敵対する貴族のお話です(ランメルモールは地方の名称です)。敵方のエドガルドを愛しているルチア、しかし、ルチアの兄エンリーコは窮状にある自分らの状態を脱するために、ルチアを政略結婚させてしまいます。
こうして愛する人と引き裂かれてしまうという、「惨状」に襲われたルチアは気がふれてしまいます。そして遂に、愛していない夫を手にかけると、1人幽霊のように現れ、仲を引き裂かれてしまった最愛の人、エドガルドとの結婚の喜びを歌い出します。ここが「狂乱の場」で、15分はかかるような長丁場のアリア、それを歌い手は一人で歌い切られねばなりません。
気のふれた女性の心理を歌うのにもかかわらず、ドニゼッティの書いた音楽は常にルチアの心理に寄り添い、美しくはかない、現実には起こり得なった、繊細な彼女の結婚の喜びを歌い上げていきます。そしてそれを強調するのが、高難度の装飾的歌唱が求められる、コロラトゥーラを駆使した後半部分で、このオペラの頂点を築きます。
技巧とルチアの心理が一体と成って織りなすアリアが完璧に歌われると、聴き手は息をのみます。
ベルリンでカラヤンと共演した1955年とのライヴと、初めてカラスがEMIのスタジオに入って録音した1953年の録音が双璧でしょう。(↑カラヤンとのライヴはCDによる。)
個人的にはフィレンツェでのスタジオ録音である1953年盤をとります。ジョン・アードウィンによって、最も満足のゆくレコード「LP時代の栄光」といわしめたレコードです(ユルゲン・ケスティング、「マリア・カラス」から)。
当時29歳のカラスはまだ若く、声も素直に出てきます。技巧も完璧、LP特有の情報量の多い柔らかい音、同時にまた、決して美しいとも思えない彼女の声ですが、気の遠くなるような装飾を施した歌を聴き終わるとき、その美的空間の創造性に圧倒されます。
控えめなドニゼッティの管弦楽は優しく、自然で透明感があります。そこに不吉な、なおかつ宝石のような装飾にみちたアリアが、かかります。その奥行きのある彫塑性を体験すると、イタリア人の作り出した美の世界に魅了されます。
これに比べると55年のライヴ盤は若干声に陰りがあるような気もしますが、カラスのライヴ特有の緊張感のある歌い方と、躍動感が素晴らしいと思います。デズモンド・ショー・テイラーは次のようにいったといいます。「あえてこう言おう、彼女がいまよりうまく歌うことはもうないだろう、と」(これもケスティングの本からの引用です)。
自分の場合、どうしてもライヴ盤はCDしかないので、LPである1953年盤を推します。
59年のスタジオ録音は本来ステレオ録音です(自分のLPはモノラル。当時はまだステレオが普及しておらず、ステレオ録音を沢山普及していたモノラル録音の装置用に、あえてモノラル盤としても販売していたようです。音は良いです)。
カラスの声には明らかな陰りが見えますが、それをカヴァーするために陰影の濃い、円熟した歌声で聴かせてくれます。これはこれで魅力があり、味わい深いものがあります。
技巧については明らかに衰えており、コロラトゥーラも明晰さを失い、ルチアの心情の吐露をすることで補っていきます。最後の決め所も金切り声に近い声になっており、これを好むか好まないかは個人の嗜好によるでしょう。
はたして、これらは現代でも体験できる、伝説といっても過言ではない録音たちに間違いありません。