アルトゥーロ・トスカニーニ(1876-1957)による、ベートーヴェンのエロイカ交響曲(1949)。ALP1008、英盤で初出?かはやや疑問ですが、音は良かったです。
CDで音楽を聴くことに飽きてきたせいもあり、クラシック音楽に対する興味を失いかけていたところへ、LPの洗礼を受け、また音楽鑑賞に戻ってきた感があります。ここまで来るのにかなり時間がかかりましたが、その価値はあったかと最近は思っています。LPは管理にそれなりに手間がかるし、CDのように気軽に聴けませんが、かつてCDも高価で、一枚ごとに丁寧に聴いていたことを思い出しました。
トスカニーニの1949年盤は有名です。今さらという感じもありますが、フルトヴェングラーの時と同様、義務感で購入しました。しかし、結局感銘の度合いは高く、その価値を再び見出します。
LPで聴くとCDで聴いていた時のように「音の輪郭」をなぞって聴くのではなく、音響体の内部に入り込み、曲を内部から聴く感じになりました。別のいい方をすれば、コンサートホールで、目の前で演奏を聴いているような感じになります。
トスカニーニのベートーヴェンは3,7,9番あたりを良く聴いていましたが、今回は同じ音源を聴きながら、その印象が全く変わってしました。これには音の良さが原因の1つでもあります。モノ針で聴くと、音のヴェールがはがれ、音色の純度が増し、決して古さを感じません。高音部の弦の合奏など、艶と煌めきに満ち、金管群の強奏もくっきりと浮かび上がります。
逞しくも、生気に満ち、生き生きとコントロールされたトスカニーニの演奏に驚愕の度合いを強くしました。CDの時とは違い、演奏の細部に目が行きます。第1楽章はもちろん素晴らしいですが、第2楽章の葬送行進曲の迫力に度肝を抜かれ、スケルツォ、変奏曲形式のフィナーレへと素晴らしい輝きを発揮しながら、一気呵成に突き進む音楽に、決して音楽を飽きさせるこという事がないのです。
感情の高ぶりが音楽に乗り移り、白熱した感動が聴き手を満たします。
ジネット・ヌヴ―(1919-1949)によるブラームス(1948)のコンチェルトとソナタ3番(1949)。
ターラ音源のLP。音質にそれほど魅力は感じませんでした。
シベリウスのコンチェルトに比べると、感銘は落ちると思いました。シベリウスのコンチェルトは、ヴァイオリンの独奏者が自分の感情を目いっぱい入れこめる瞬間がありますが、ブラームスのコンチェルトはソロとオーケストラの一体感がシベリウスのそれより強く、ヌヴ―を中心に聴くと、その期待値は満たされませんでした。
それでもなお、カンデンツァに入る直前のオーケストラと共に弾き上げる白熱する感情はヌヴ―そのものだし、そしてカデンツァは彼女の独壇場だと思います。聴きどころはその辺りという感じです。
ソナタの方がヌブーを聴くには良いと思いますが、曲調そのものが必ずしも白熱する要素が必要ではないので、例えばデ・ヴィ―トなどと比べると、頻繁に聴けるような感じはしません。ヌヴ―の演奏は力が入り、やや疲れます。
ヌヴ―の演奏はトスカニーニと同じで、聴き手に勇気を与えます。感情が演奏に乗り移るのです。それは生きる力そのもので、その瞬間瞬間に命を懸けて生きるものにしか宿ることのない力です。
オットー・クレンペラー(1885-1973)によるベートーヴェン4番(1957)、7番(1955)。マトリックス番号は33CX1702と33CX1379。英国盤でモノラル。
LPについて、4番はステレオが存在するらしいです。7番はモノしかないと聞きました。現在クレンペラーのLPを聴いて、トスカニーニを聴いたときほどの感銘は受けてません。60年代録音のステレオを求めた方が良いのかな、ということかなあ。とはいえ、悪くはないです。
各所で乾坤一擲のように入る迫力のフォルテは、さすがにクレンペラーです。すり鉢の底ですりつぶされる様な迫力は出ています。
エーリッヒ・クライバー(1890-1956)よる田園(1953)。
アムステルダム・コンセルトヘボウを振ったもので、マトリックス番号はLXT2872。英国盤。
個人的にエーリッヒ・クライバーは「フィガロ」と「薔薇の騎士」というオペラをCDで聴いてきたぐらいです。その印象は、無駄なことをしないあっさりした指揮をする人だという感じでした。この「田園」もあっさりしていて、表現に対するくどさがないのが魅力です。
第2楽章が美しく、デッカの音質がものをいっているようです。1955年の発売で英国では初出でしょうか。確かに初期盤や初出のLPは音に重量があり、底光りがするようです。明らかにCDでは出ない音だと思います。
近頃のCDはかなり音が良いものも多いので、一概にはいえないですが、こうしたLPの音質によって昔の演奏が当時の人々に享受されていたとなると、CD時代になって黙殺されてしまった演奏家も沢山いるように思います。CDでは本質が伝わらない人もいるということです。
エーリッヒ・クライバーもその口かなと思わされる音源です。第2楽章の自然描写が、それこそ自然であって、生々しいデッカの音質によってそれがリアルによみがえってきます。ステレオ音質のCDと比べてもあまり遜色は感じません。
おかげで、時代ごとにフォーマットを変えないと、中々理解できない演奏家もいるのかという感じがするようになってしまいました。
アナログ・レコードがブームになってきているといいますが、昔のレコードもそんなに沢山残ってはいないだろうし。結局、残念な話ですが、余程の業績を残さない限りは消えていく人たちの方が多いのだろうと思います。






