ヴァイオリンの音色 |  ヒマジンノ国

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LPを聴き始めて、一月ぐらいですが、色々と迷走しながらやらせてもらっています。この前もレコード針の扱い方を知りたくて、少しばかりいじっていたら、急に再生されるLPの音が悪くなってしまいました。

 

針圧を低くすると、針がレコード盤を跳ねてしまうし、ノイズも良く拾います。反対に針圧をかけすぎると、レコード盤を痛めるとかで、これもダメなのだそうですね。

 

  

 

レコード盤に埃が乗ります。それが嫌で、何の知識もなく、軽くティッシュ・ぺーパーで払おうとしたら、今度はティッシュ・ペーパーから大量に埃がこぼれ、さらに悲劇が増しました。おかげで一時期、ピアノの音は割れるは、ノイズがひどいはで、泣きたくなるぐらいになりました。仕方なく、色んな清掃道具を購入し、針圧を調整し直して、再び元の音を取り戻します。

 

 

アナログ盤を聴くのは色んな掃除をしてからでないといけないようです。ほとんど儀式みたいな感じといえます。

 

アナログ盤を聴くのはできるだけ朝の良い時間に、常に針先と盤面を掃除しながら聴くことに決めました。('ω')ノ

 

 

さて、ローラ・ボベスコのLPを聴いて、ヴァイオリンの音が格別美しく再現されるのだと思うに至りました。芯のある、厚みのある音が暖かく再現されます。

 

フルトヴェングラーの演奏もLPで聴いて、全く今までと印象が変わってしまいました。CDで聴いて当然フルトヴェングラーという指揮者の実力は知っていましたが、どこか完全に好きになり切れませんでした。しかし、LPで彼の演奏するべートーヴェンの交響曲を聴くと、弦の厚みと、その合奏から流れ出てくるメロディーのまろやかさが、CDでは聴き取れていなかったものだと感じるようになりました。彼の演奏は考えていたよりもずっと滑らかだったのかもしれません。CDで聴くとどうしても音の汚さが目立ちますが、LPで聴く限り、むしろ美しいと思うようになりました。彼の演奏する田園のまろやかな美しさは以前から好きでしたが、愛聴するほどでもありませんでした。しかし、今後は違うかな、と感じています。

 

ボベスコのライヴ盤も好きです。ヴァイオリンの高音がすっと抜けていくだけで、こんなに感動するものだとは考えてもいませんでした。LPで聴くと何より音の像が大きいと思います。CDでも音を大きくすると良いのかもしれませんが、楽器の音以外の、空気の音というのか、そういう部分も大きくなるので、ちょっと落ち着きません。しかしLPだと楽器の音だけが大きくなるように思えます。おかげで、楽器の音色(弦楽器とアナログ盤は相性がいいように思えます)が隅々まで見渡せるので、その音色の繊細な移ろいが楽しめます。なおかつ、音の押し出しが強いので、音が部屋を満たします。

 

ボベスコのライヴ盤は選曲が、ヴェラチーニのソナタ、ショーソンの詩曲、ブラームス、ドビュッシーのソナタという組み合わせで、品と色気を併せ持つこのヴァイオリニストの美しさが良く出ています。音色を生かそうとして、フランスの作曲家だけで固めてしまうと結構べたつきますが、絶妙な選曲で、だれることがなく、色気のある音色を楽しめる構成ではないでしょうか。

 

 

LPはヴァイオリンの音色が良いと感じたので、集めようかと思います。

 

早速ですが、ヒラリー・ハーンのバッハ(2017)を聴きます。彼女のデビュー盤はこのバッハの無伴奏を半分録音(1997)したもので、20年ぶりにその続きを録音したことになりますね。過去の演奏のCDは持っています

 

 

当時は17歳でこれほどの演奏ができるのか?とかで、センセーショナルなものだったそうです。自分はタイムリーで確認してないので、詳しくは知りません。

 

デビュー盤のこの演奏は構えた様子がなく、非常に素直な様子で弾き切っていますモーツアルトのようとでも申しましょうか。そういうものをどう評価するかは難しいですね。

 

新しい方はもう少し円熟味があるようです。いくらか構えた様子も感じました。

 

最近の人は感情をあんまり出さない演奏が多いですね。この演奏もそうだと思います。感情を出し過ぎると、節回しが付きすぎてべったりしますが、調子が合わせられれば感情移入ができるので、のめり込める要素になります。そういう類の演奏ではない気がしました

 

録音も最近は繊細で、アクを感じさせないものが多いように思えます。ショスタコービッチとかプロコフィエフなんかの精度の高い演奏をそんな録音で聴くと、真に近代的なスタイリッシュな美を堪能できるように思います。こういうクールな態度は自己コントールを主体とする理性からくるように思われ、下世話な人間の感情を超克したものを感じさせます。当然ボベスコとは違う世界です。ボベスコが下世話ということではありませんよ。

 

パルティ―タ1番が始まって硬質で透明なヴァイオリンの音色が部屋に満ちた時、まさにバッハの持つ理性と調和とを感じました色彩は純白を思います。透明な大理石、とでもいうような感じです。これはヒラリー・ハーンの円熟味がさせる技というよりも、彼女の高い技術と、その精緻な録音からくると思われました実際、埃一つない空間だと思いました。

 

ボベスコのヴェラチーニのソナタを聴いた時にも思いましたが、音の像が大きいので自分は聴き手として、作曲家の作り出した世界に飲み込まれたような気がしましたそこは数百年前のバロックの世界であって今の我々のいる喧騒の世界とは違う、という印象です。これは必ずしもバロックの作品だけでなく、古典派とかロマン派の作品でも同じような効果は得られると思います。

 

古い作品はその内部に作られた時代の空気を宿していると感じます。だから我々聴き手は、その作品を聴いているとその時代の空気に触れるような気がします。

 

その世界は現代のように「何か一つの価値観」に裁かれる世界でなくてもっと寛容な価値観に彩られた世界だったように思えます。価値観という考えさえあったか分かりませんそれ故、そこにいると誰しもが存在を許されるような気がするのだと思います。仕事から帰って来た人達がクラシック音楽に癒されるの一つの原因は、そういった過去への一時的な回帰にあるような気がしています

 

果たして、自分の眼前にもハーンによってチリ一つない様な清潔なバッハとバロックの世界が顕現した気になりましたその演奏の正確さ故に、普段よりもっとリアルな世界があるような思いでした繰り返し聴けば、慣れてしまうでしょうがこういう瞬間が自分は音楽を聴いていて本当に好きです。

 

音楽の美しさと使命とを思います。