歴史上に存在したピアニストの数を全て数えることは難しいと思います。
ハロルド・C・ショーンバーグの「ピアノ音楽の巨匠たち」を読んで、18世紀以降のヨーロッパとアメリカにおけるピアニストの数を知るにつけ、今日、我々が知る、あるいは、知っている、ピアニストというのは何だろうという思いになりました。この書物には沢山のピアニストが紹介されてますが、とても覚えきれる数のものではありません。当然、ベートーヴェン、リスト、ショパン、ゴットシャルク、カール・タウジヒ、クララ・シューマン、ルビンステイン、レシュテツキなど、その時点で特筆されるべき存在になった人達がいますが、そういった人達は一部で、今では忘れ去られた、有名だった人達が他にも沢山いました。
これは何もピアニストに限ったことではなく、野村あらえびすこと、野村胡堂の書いた「楽聖物語」を読むと、ここに紹介されている演奏家も現代ではほとんど聴かない演奏家の人達の名前が出てきます。こういうものを読んでいると今日我々が、「あの演奏家が一番だ」、とかいっている様子はあまりに惨めで小さなことかもしれないと思ってしまいます。
また、音楽之友社の「不滅の名盤1000」を読むにつれて、こういう本ができるのは悪いことではないですが、物事の真実を伝えているのかどうかは微妙だと感じるようになりました。
歴史が消してきた人達の人生の上に、こうしたものが出来上がってきているとなると、良いことばかりでなく悪い面も考えられるかとは思います。
「名盤ガイド」などは「こういう演奏を聴かせたい」という思惑は選定者にあるでしょう。基準はいると思いますが、どこを基準にしているか、ということは書かれるべきでしょう。
まあ、一般人はクラシック音楽など一種の娯楽にすぎませんから、この手の本は必要でしょうけども。アディクトな人々にはどうでしょう?
フランスの教養人であったミシェル・レリスは「オペラティック」(大原亘久、三枝大修訳)の中で次のように述べています。
<オペラのレコードやフェスティバルの数が増えてくると、最も評判の高い歌手であっても退屈なスターに堕してしまいがちだ。今日では、クラシック音楽の分野でも、レコードのベストセラーというものが生まれるようになった。カラス、テバルディ、デル・モナコなどがそうだ。一方で、こうした時代の寵児たちとくらべて商業的に弱いアーティストにとっては、まさに不遇の時代である。彼らが外国で売り出されることはほとんどなく、「偉大な」録音〔名盤〕となるべく制作されたレコードのおいても配役が回って来ることは稀である。かくして、売れっこ以外の歌手の歌声を聴こうと思ったら、一苦労せざるを得ないのである。
金銭的な理由からあたらしい作品をかけることがなく、有名なオペラの最高の上演―――出来ばえの保証されたもの―――ばかりを行おうとするフェスティバルは、なんと腹立たしいものだろう。
すべては観光産業の発展に、またレコードやラジオといった産業の発展に結びついているのだ。>
20世紀初頭、まだ録音技術が発達していなかった時代、ピアニストは自分達の記録をピアノロールに残しています。そのいくつかを古いLPで聴きました。
ここに収められているのはレオポルド・ゴドフスキ―(1870-1938)、ウラディミール・ド・パハマン(1849-1933)、フレデリック・ラモンド(1869-1948)、フルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)、アルトゥール・フリートハイム(1859-1932)、マルク・ハンブルグ(1879-1960)、ルドルフ・ガンツ(1877-)、ハロルド・バウアー(1873-1951)、オシップ・ガブリロヴィッチ(1878-1936)です。
個人的にはパハマンとブゾーニの名前は知っていましたが、他の人々は書物で確認などしないと分からない人達です。これらの人々も当時は有名人であり、それなりには名を知られた人達でした。ここにある全ての演奏家のピアノロールを初めて聴きましたが、本人が目の前で生き生きと演奏しているかのように聴こえました。
しかし「ビロードのような音色」といわれたパハマンの演奏などは、正規の録音があるらしいのでそれを聴かないとちょっと分からないかと考えています。
ゴドフスキ―の演奏はクールな技術的達観があってなされているように聴こえました。現代に通じるものがあると思います。それでも感情の流れ方は自然で、魅力がありました。
他で個人的に記憶に残ったのはガブリロヴィッチです。
<彼は非常なニュアンスの幅と究極の音楽的エレガンスを掌中に収めていた。批評家たちは初めから彼の音色を激賞した。1906年にウィーンの『Deusthes Volksblatt(ドイチェス・フォルクスブラット)』の批評家は、ガブリロリッチの「歌うようなタッチ、影のようなピアニッシモ、そして決して聴き手に押し付けない強さ」について書いた。>(「ピアノの巨匠たち」、ハロルド・C・ショーンバーグ著、後藤泰子訳。)
ショーンバーグは著作の中でそう書いていますが、こういった評論が分かるような、繊細で滑らかなショパンがピアノロールからも聴かれました。
「コジマの時代」と題されたワーグナー歌手の録音集。CDで12枚組。
我々の時代のワーグナー歌手といえば誰になるんでしょう。自分は勉強不足なので現代のものはちょっと分かりませんね。
自分なんかだとどうしてもハンス・ホッタ―とか、フラグスタート、ブリギット・ニルソンなどになってしまいます。
ヴォ-タンはハンス・ホッタ―、アルベリヒはグスタフ・ナイトリンガー、ジークフリートはヴィントガッセン、ブリュンヒルデはアストリッド・ヴァルナイあたりが最高でした。そして1951年バイロイト音楽祭録音の「神々の黄昏」のハーゲン役のルードウィッヒ・ウェーバーはこれ以上望めない程の上手さでした。
しかしここに記録されているのは1900年から1930年までの録音で、その時代に活躍した歌手と一部、指揮者のものが入っています。記録されているのは90人以上にのぼります。
マリアンネ・ブリント(Ms/1842-1921)、リリー・レーマン(S/1848-1929)、ヘルマン・ヴィンケルマン(T/1849-1912)、ヴィルヘルム・グリューニング(T/1858-1942)、エルネスティーネ・シューマン=ハインク(A/1861-1936)、エルンスト・クラウス(T/1863-1941)、エレン・グルブランソン(S/1863-1947)、パウル・クニュプファー(Bs/1865-1920)、マルタ・レフラー=ブルクハルト(S/1865-1954)、エリック・シュメーデス(T/1868-1931)、テオドール・ベルトラム(T/1869-1907)、アルフレート・フォン・バリー(T/1873-1926)、アドリエンヌ・オズボーン(T/1873-1951)、ヴァルター・ゾマー(T/1878-1955)など。
指揮者としてはジークフリート・ワーグナー、R・シュトラウス、フェリックス・モットルなど。
例えばヘルマン・ヴィンケルマンなどはパルシファルの初演で主人公のパルシファルを歌った人物です。
彼の録音はマイスタージンガーからの一節です(1900年の録音)。しかし、今となっては何を考えて聴いて良いかは分かりません。今の歌手と歌い方が違い過ぎて、録音されている人達の特性の区別がつかないのです。90人分も入っていますから、当然といえば当然でしょうか・・・。
ジークフリート・ワーグナーはローエングリンの前奏曲などを演奏していますが、現代ほど音の角が立たず、ダイナミクスもこれ見よがしのところがありません。歌手達もそうですが、皆が皆、現代の演奏家のようにつんのめって、焦った様子を見せないのが興味深いところです。
こうして色々聴いてみると、今我々が名盤として語っている録音というのは、今まで生きていた人々が演奏したり歌ったりしてきたもののほんの一部だということを実感します。沢山の人たちが演奏し、歌った、そこにかけられた彼らの情熱と努力があったかと思うと、歴史の壮大さとか、自分の小ささを改めて実感させられたのでした。
我々の知性や知識など、たかが知れているのだと感じました。




