音楽語法が音楽語法でのみ表現されなけらばならないのならば、音楽はより自己目的的な性格を持たねばならないことになる。
故に古典派の時代は新たな音楽体系に対する準備から完成に至る過渡期であった。
だが、古典派、もっというのならベートーヴェンが完成させた「音楽の絶対性」はロマン派に入りその応用として各自の表現力の拡大を求めていく形となった。
ここで重要になるのはベートーヴェンが行った音楽による「表現の完成度の高さ」である。
ベートーヴェンの出現によって「音楽」は「音楽」のみによって、つまり「音楽」自身で存在することを許されたのである。「音楽」は単に雰囲気を醸し出すだけの貴族の慰み物でなく、よりはっきりと「音楽」のみで「雰囲気」を超えた、「意図」を表現できるようになった。これにより「音楽」は人々がもっと真剣に対峙できる「芸術」となり、「音楽」そのものの独立を促した。
そしてまたベートーヴェンはより音楽表現の域を広げ、世俗的なものから超俗的な音楽までを書き、さらにいえば、単純に感情表現でなく「田園」シンフォニーのような描写性の高い作品までを書いた。
こうした試みがロマン派の天才達に受け継がれ、めいめいが思い思いにその目指すところによって、ベートーヴェンを受け継いでいったのだった。
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その中でベルリオーズからリスト、ワーグナーに至る道は、超俗世性と描写性を合わせもった未来志向の音楽であり、より細部にこだわった、説明型の音楽となっていった。そして、当時の人々はこれらの音楽はまだ彼らが見たことのない、新しい音楽だと思った。
ベートーヴェンは次のようにいっている。
「描写は絵画に属することである。この点では詩作さえも、音楽に比べていっそうしあわせだといえるであろう。詩の領域は描写という点では音楽の領域ほどに制約せられていない。その代わり音楽は他のさまざまの領土の中までも入り込んで遠く広がっている。人は音楽の王国へ容易には到達できない。」
ベートーヴェンは音楽の描写性に一定の距離を取ったが、ベルリオーズ達は違った。つまり高い描写性を保つ音楽はまだベートーヴェンが手を付けてない領域であり、そこを追求することが「新しい音楽」を作ることになると考えたのである。
しかし、である。音楽はベートーヴェンのいうように「目に見えぬ」芸術であるのだから、当然「描写」には向かない。
確かにR・シュトラウスの「アルプス交響曲」を聴けば、まばゆく輝く太陽、壮大なアルプスの光景、目の前を通りすぎて行く牛の群れが、目に見えるように描かれている。だが、この音楽を「初見」でそのように理解できる者は「音楽」のことをいくらか分かっている者でしかないだろう。なぜならそこには生きた人間の感情が少なく、いわば、状況を説明した音が並んでいるに過ぎなからだ。だからこれらの作品は、音楽というジャンルそのものを「初めて聴く」人々を獲得することができない、玄人達の音楽である。
<最初に人々はメロディーをその環境とともに創り出した。これが古典主義様式の意義である。やがて主題だけの創作(ヴァーグナー)、つづいて「環境」だけの創作(印象主義)が現れた。両者ともにもはや完全な自然に即応していない。シュトラウスの後期の交響的な作品、あるいはリストに見られる環境なしのメロディーは、メロディーの造形的な凝縮を抜きにした環境(ドビュッシーやレーガーにしばしば見られるような)が考えられないのと同様に、そもそも不可能なものである。>(W・フルトヴェングラー著「音楽ノート」、葦津丈夫訳)。
とは指揮者フルトヴェングラーの言葉である(この際の「環境」、という言葉は、その「土地そのもの」のことを示す言葉か。つまり、R・シュトラウスの環境なしの音楽というのは、ドイツ聴衆という環境なし、というぐらいの意味か。人間が感情的な理解を示すには凝縮の作用がいる。単に開放的な音楽には直接的な感情の流入がない)。
故にこれ等の音楽は「音楽のみで表現しうる」埒外の音楽である可能性が強まった、ということができる。音楽で絵画を描くことは本来不可能である。その「本来」の音楽の意義に頼ることが音楽の自律性を確保できる。
つまりそこには「状況の説明」、「ニックネーム(標題)」等を取り除いた音楽がなければならない。音楽は「リズム」、「感情」、「雰囲気」などのやや曖昧とした事柄の表現が「本来(本質的)」に許される芸術であり、その事柄の組み合わせが「本当」に「自律的」に音楽が「存在」できる状況を作ることができるのである。
果たして、ブラームスは「依存性」の音楽であるワーグナー、リストの路線に音楽の独立的存在の危機感を覚え、より自覚的に「絶対音楽」の創作に向き合っていったということができるだろう。
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ブラームスはハンブルグの貧民窟に生を受け、作曲家シューマンによってその価値を見出されると、やがてはドイツ音楽の巨匠となっていた。その存在はバッハやベートーヴェンに比肩する存在として考えられている。
その作風は先に書いた通り、バッハからべートーヴェンにいたる、彼らが完成させた「絶対音楽」の語法をもとにして、「音楽」を聴いてのみ分かる「音楽」を書いた。その内容は深い思慮と堅実な書法に支えられ、複雑で奥行きのあるものとなっている。
