ブラームス、交響曲4番。ブルーノ・ワルター指揮、コロンビア交響楽団(1959)。
エバー・グリーンともマイル・ストーンともいえる演奏で、語るのも惜しい。曲の情緒、スケールなど非の打ちどころがなく、一切の無理無駄がない。
20世紀前半の最高の指揮者の1人ブルーノ・ワルター。その演奏がステレオで残ったという文化遺産のような価値を知ることが出来る音源。
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<第4交響曲>
ブラームスの書いた最後の交響曲で、強く先人を意識し、楽想の(書法でなく)アイデアの盛り込み方に習作的な感触を残している第1、ブラームスらしい彼独自の言葉で書かれ、ややもってりした第2、室内楽風の第3に比べると、第4は特に彼自身の本当にいいたいことが表れている曲のような気がする。ブラームス自身の実感がこもっている曲だという感じが強いと思う。
彼はこの曲に先立つ3つの交響曲において、音楽内における自己コントロールに執心していたように感じられた。また同様に、この第4にもバランス感覚は働いている。そして、これまでの交響曲において、彼は楽章によっては情熱を表現し、いくらかの激しさを見せもした。それはこの作曲家自身の内面の声には違いないが、その深みはこの第4において最も深い、といって良いだろう。
この第4の各楽章の楽想において、自己の苦労、そして諦念を主体として内面からくる力強い力感は、聴衆にブラームスの意見をはっきりとぶつけてくる。ここで感じられるのは彼が生涯続けた絶え間ぬ努力と、そして諦念を含むしぶい感情である。
ブラームス、交響曲4番。エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮、サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー管弦楽団(旧レニングラード・フィル、1973)。
鋭利な切れ込みと、冷徹な指揮で描き出す、ブラームスの諦念。強烈な金属的なまでの響きと、真剣さが出色だと思う。第2楽章はロシアの凍てつく大地を思わせる。
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この曲を聴くと自分は思う。「ブラームスは本当に書きたい音楽を書いて来たのだろうか?」と。彼はもしかしたら多くの人々の期待に応えるように、自己を犠牲にしたのではないのだろうか、と。確かに第4は努力とそこからくる充実感も感じられるが、同時にそれは嘆き節のようにも聴こえ、自虐の声にも思える。このような内容を音楽にしたのはブラームスだけではないだろうか。
「人間の混じりっ気のない感情」を表現したベートーヴェンの第5がある。これは後年のように自然の霊と一体になったベートーヴェンの音楽ではなく、激情そのものによって書かれた音楽であり、貴族的なモーツアルトと比べても、その生々しさ故にユニークな性格を持っていることは間違いがない。
自分はこの傾向のある音楽(人間の感情を強く書いた作品)として、ブラームスの第4を加えることにしたい。当然第1楽章の、冒頭、木枯らしに吹かれて散る枯葉ような主題は、いくらかの描写性を感じなくもないが、これはそれでもブラームスの音楽である。
ベートーヴェンの第5は「標題性」を感じさせるほどに書かれた内容がはっきりして粗削りである。だが、ブラームスの音楽はもっと複雑で、諦念、円熟、詠嘆などの感情が入り混じり、入念である部分は異なりはする。
だが何より、ベートーヴェンの第5同様、大衆に訴える力があり、室内楽的な第3に比べても、彼の本心を力強く歌うこの音楽はブラームスの書いたユニークな傑作の名に恥じない名曲だろう。
曲想にも独創性がある。第2楽章なども美しい。つかみどころのない第2交響曲に比べても交響曲としての貫禄があることは疑いがない。
しぶい内容なのは確かだが、批判のしづらい彼の作品群の中にあっても、最も批判の少ない作品といえるだろう。
ブラームス交響曲4番。スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮、ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団(2011)。
ムラヴィンスキーと同じような厳しさがある。曲は見事にシェイプ・アップされ、曖昧さや、緩慢さがない。一見、緩やかで充実した世界がこの曲の特色のように思われるが、ベートーヴェンの第5のごとく、筋肉質で力感ある音楽だと悟らせてくれる演奏だと思う。


