ヨハネス・ブラームス9 |  ヒマジンノ国

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ブラームス、ヴァイオリン協奏曲。ベルナルト・ハイティンク指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団。ヴァイオリン、ヘンリック・シェリング(1971)。

 

愛聴していた、といえば語弊があるかもしれない。ただ長らくこれを聴いていたことは事実だ。淀みなく、標準的ともいえる演奏で、美しいと思う。

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ブラームスにも中期の傑作が多い時期があった。ピアの協奏曲2番とヴァイオリン協奏曲はその代表作といえる。最後はこれらの有名なコンチェルトを覗いておくことにしたい。

 

ブラームスの生涯は他の作曲家と比べて比較的平和であり、悲劇ともいえる傾向が少なかった。自己との葛藤を繰り返すような部分もあったとは思うが、それほど目立つこともない。また天才特有の短命でもなかった。1つあるとすれば女性の問題だろうか?真面目な彼はシューマン夫人と親密になったようだが、恩師であるシューマンに義理立てしたのか、生涯結婚もしていない。ワーグナーとかモーツアルトなら、何の問題も感じなかったであろう問題に関して、彼は常に考えを馳せた。

 

社会の常識的な人間として、彼は頑固なまでにその行為を抑制した。頑固過ぎて常識を逸脱しているようなときもあったが、本質的に彼はヒューマニズムに溢れた人間であり、1個の人間として尊敬に値するものがある。

 

これ等の作品も彼のそういった作曲家の性格を反映してか、安定感と安心感のある名作となっている。

 

<ピアノ協奏曲2番とヴァイオリン協奏曲>

 

 

ブラームス、ピアノ協奏曲2番。カール・ベーム指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。ピアノ、ウィルヘルム・バックハウス(1967)。

 

腰の据わったバックハウスのピアノ、往年のカール・ベームとウィーン・フィルとの組み合わせで、文句をいう人が少ない演奏の1つ。

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これらは彼の充実した創作時期に書かれた曲である。協奏曲といいつつも、分厚いオーケストラの伴奏やスケルツォを挟むなど、まるで交響曲のような趣をみせる、ブラームスの作品である。

 

ブラームスの本質的な気質として、全体を強力に統一していこうとする性質、それは解体的(デジタル)な集中力でなく、連続的(アナログ)な集中に向いているように思われる。

 

解体的(デジタル)な楽器であるピアノにおいて、その響きは平面的な広がりを見せるがゆえに、各音に対する距離が明確となる。だから、作り手はその音の距離(響きのこと)を意識することが多い。しかし、ブラームスの書いたこのピアノ協奏曲2番で優先されるべき事柄は、その距離感を意識的に扱った、「響きの美しさ」でなく、その語り口であった。もっといえば哲学的(衒学的)とでもいうべきまでの饒舌さと、内容の複雑さである。

 

このピアノ協奏曲2番は、全4楽章にまで広げられた構成と共に、まさにピアノを伴ったという交響曲という風情がある音楽である。

 

 

ブラームス、ヴァイオリン協奏曲。レオ・ブレッヒ指揮、ベルリン国立歌劇場管弦楽団。ヴァイオリン、フリッツ・クライスラー(1927)。

 

昔の演奏家は大仰でなく、必要なことしかしなかった。アドルフ・ブッシュとかフリッツ・クライスラーとか。ブッシュに比べればクライスラーは華があり、メロディーを心から楽しむ風情がある。

 

古い録音だが、トーキー映画を思わせるような音質が美しき骨董品を思わせる名演だと思う。

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ブラームスはピアノよりもヴァイオリンのような楽器の方が美しさを導きやすいように思われる。メロディーが1本の線のように途切れなく響いていく様はブラームスの気質によく合っているのではないのだろうか。

 

ブラームスはヴァイオリン協奏曲の初めの楽章において、奥ゆかしく上品だが、華やかにゆったりと広がる旋律を創作している。前のめりにならない、落ち着いた音楽であり、その場に漂うような美しさがある。

 

哲学的な印象を見せるピアノ協奏曲2番と違い、ブラームスにしか書けない優美な作品といえよう。