最近聴いたもの |  ヒマジンノ国

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ヤニック・ネゼ・セガンによる「ブルックナー交響曲全集」(2006-2017)。

 

最近聴いた音源から気に入ったものについて書きます。
 
まずはセガンによるブルックナー(10枚組)。
 

結構良かった全集です。音に透明感がなく、曲の構造の素晴らしさを表現するというより、感情的な表現を優先させてますが、テンポは動かさず、インテンポです。スケールは大きく、迫力もあります。モントリオール・メトロポリタン管弦楽団の響きの味わいも独特で、輝きと情感とを一体化させています。

 
最近はネルソンスのブルックナーを頑張って聴いてきましたが、セガンのブルックナーを聴いて、求めていたのはこれか、という思いです。セガンの演奏で、交響曲はメンデルスゾーンしか聴いてなかったものですから、驚きました。ブルックナーは良いと思います。何よりブルックナーを始めて聴いた時のような、ブルックナー特有の旋律にある新鮮な感動が蘇ってきて、それが何より嬉しかったです。
 
ジュリーニに影響を受けているそうですが、旋律の歌わせる際の粘り方は、確かにジュリーニを思い出しました。ただジュリーニよりはあっさりしてますかね。比較すれば、ですけども。自然体で、のびのびと歌っていますね。
 
 
マウリツィオ・ポリーニによる「ドビュッシー、前奏曲2巻」(2016)。
 
ポリーニのドビュッシーは初めてです。しかも2巻だけの発売なんですね。内へ内へと研ぎ澄まされるような演奏です。音は固く、強音部もドビュッシーならもっと甘い響きの余韻を味わっても良いかと思いますが、彼は殆ど粘りません。感性よりも知性、静的よりも動的の演奏という感じです。初めてこの曲の1巻を聴いた時、コルトーの演奏でしたが、初めの一音からして鮮明な赤色を思い出した記憶があります。色彩と感性が生きる曲だと思いますが、ここでのポリーニは鋭い演奏です。ミケランジェリでももうちょっと響きに頼ってた気もしますけどね。
 
神経質なまでの繊細さもありますが、円熟味も感じました。
 
今の時代にふさわしい感じがします。結晶化した美的空間の演出をしようとしているのでしょうか。美演というところではないでしょうか。
 
 
ロヴロ・フォン・マタチッチによるワーグナー、「ローエングリン全曲」(1959)。
 
マタチッチとかクナパーッツブッシュだと、オーケストラの響きを透明でマスにまとめ上げて、豪快に鳴らします。フォルテシモはちょうどゾウの咆哮のように響きますね。
 
最近、恐竜の研究が進んで、カモノハシ竜にある後頭部の突起が空洞になっていて、コミュニケーションのために、楽器の役目をしたのではないかといわれ始めています。昔は空気をためて水に潜るため、とかいわれてましたが。
 
象の鼻も楽器の役目をするんでしょうね
 
それは鼻の形状からしても金管楽器を思わせるものがあります。同様に巨漢マタチッチでの指揮でも金管楽器群は強烈な咆哮を奏でます。金管群が物をいうことの多いワーグナーの楽劇において、それは強烈な印象を残します
 
正直最高です。マタチッチのワーグナー全曲は他にマイスタージンガー(イタリア語歌唱)ぐらいしかないのかなあ、残念です。自分の中ではローエングリンはこれで決まりかもです。やっとたどり着いた感じです。
 
久しぶりに聴いていて幸せを感じました。
 
テンポは野暮ったくて、ちょっとのろめですが、前奏曲からして呼吸が深く、峻烈です。クナの表現はロマンを感じましたが、マタチッチの表現はリアルですね。少し物足りないと思ってましたが、スケールが大きく、ローエングリンの世界に入っていくのに無理がなくて良かったです。
 
それでも第1幕はもう少しロマンティックな感じは欲しいかな。しかし第3幕、豪快な結婚行進曲から始まって、ローエングリンの出生を語る口上の瑞々しさ、スケールの大きさと彫りの深さ、その巨大さのまま全曲を幕引く迫力と感動。
 
垂涎の憧れと、遠いかなたの聖杯の城。神秘がきらめきます。ローエングリンの育った故郷のモンサルヴァ―トがどんなに美しいかと思います。
 
マンネリで、こういういい方はしたくないですが、「これぞワーグナー」。
 
録音は残念ながらモノラルですが、悪い音質ではないです。比較的パリっとして、デッカを思わせます。オーケストラの音も良く入ってますね。自分は許容範囲です。バイロイト音楽祭のライヴです。