加藤典洋著、「戦後入門」。
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少し前に読んだ本などから、ちょっとだけ書きます。あんまり書くと日本型のファシズム礼賛ともいわれそうな気がします。しかし自分は本来この手の話はあんまり詳しくないので、ほんの触りだけですね。
引用から始めます。
<ドーアは現在のように「ボーダーレス状態に近づいた世界」における主権国の外交の目的は、1、国の安全保障、2、国民の経済的福祉の増進、3、国民に誇りを持たせることの三つに大別できるといっています。そしてそのうち、第三の「誇り」の内実として、
外国人に接したり、あるいは新聞で外国人の時刻に対する評価を読んだりするときに、「何々国に生まれてよかった」という感じが湧いてくるような感じを確保すること。
と述べています。そのうえで、この三つを安全欲、利益欲、プライド欲と呼び、「日本人の日本外交に対する不満」は昭和初期以降、現在に至るまで「第三のプライド欲に集中している」と指摘するのです。>
日本は戦後、経済大国になり、そのせいで、上に引用した、加藤氏のいう、「プライド欲」が緩和されてきたように思います。しかし、その経済力も中国に抜かれ、今後はアジアや南米諸国の躍進などもあり、どうなるか分かりません。55年体制が崩壊し、経済力に陰りが出てきた現在、われわれの「プライド欲」はむき出しとなり、そこを何で埋めるかが問題の一つになっているように思います。
今回はあんまり説得力もないですが、簡単に書いておきます。
自分もこのことは考えたことがありました。一点はやはり真っ先に思いつくことは「日本が戦争で負けたこと」、ですかね。戦後は特に自由主義の考え方を教えられて、それ以前の日本の歴史との断絶を生んでいることです。だから、我々は自分達を「どれぐらい日本人か」と考えても分からないでいる、ということです。「どれぐらい日本人か」、という問いかけ自体、変ですけども。
個人的には世界史には色々裏側があるかなと思いますが、ちょっとだけ触れてみます。もしかしたら日本は敗戦せずに済んだかもという視点で見てみます。
日露戦争以来、日本陸軍の最大の敵はロシア(ソヴィエト)でした。個人的には今でも中国よりロシアの方が本当は怖い気はしますがね。
明治時代から、大陸の関東州が植民地だということもあって、日本軍(関東軍)は大陸に出て行っています。その後、朝鮮半島も日本の領地でしたが、中国をバックアアップするアメリカ、ソ連のおかげもあり満州鉄道沿線の領地などでも排日運動が激化し、その沈静化のため、石原莞爾や板垣征四郎によって満州国が作られます。昭和初期の頃ですね。ポイントは日本がこの満州国をどのように扱ったかですね。大分端折って書きますが。
大本営の方はこの満州国を植民地として扱いますが、この満州を作った立役者、石原莞爾はそれに異を唱えました。この地には日本人、漢人、朝鮮人などを含む5種の民族がいて、これらの人々をできうる限り平等に扱いたかったようです。国家経営初期には日本が手を出さざるを得ないですが、後には独立国家として認めたかったようです。しかし、軍の本部はこれと異なり、植民地化していったため、軋轢ができ、石原莞爾は東条英機らともめ、若干52歳で軍を去ります。
ちなみに、石原莞爾や板垣征四郎らは軍本部の意向を離れ、彼らの独断といってよいやり方で満州国を作りました。そのため彼らは英雄視されます。現代に活躍している、指揮者の小澤征爾の名前はこの二人の軍人からとられているといいます。
話を本筋に戻しますが、ここに見えるのは当時の原理主義的な考え方の解釈の違いですね。当時の日本軍は朝鮮や中国を一つ下に見ていたと思いますが、石原莞爾は当時の日本の考え方をもっと詰めて考えていますね。
大東亜共栄圏の思想の根本には「八紘一宇」の思想があると思います。今日、これは大日本帝国が世界征服を掲げた根本の思想だとしていますが、本来は必ずしもそうではありません。ただ多くの日本人はこうした言葉の内容を、日本人の尊大な義務感と一緒くたにして考えていた感じはあります。原理的なことは扱いが難しく、人によって毒にも薬にもなります。戦前、戦中の日本はほとんど毒だったような気がしてます。
さて、この原理的な言葉を使いだした一人にこの石原がいたようです。
石原莞爾著、「最終戦争論」。
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石原莞爾の著作から引用します。
<・・・(中略)・・・これは石原の信仰の師、田中智学氏が、日本書紀に出ている神武天皇建国の詔勅の中の、
・・・・・・六合を兼ねて以て都を開き八紘を掩(おお)うて宇(いえ)を為さん・・・・・・
から、その意味を端的に表現して作った新しい表現である。今は詔勅の前後を、すべて省略したが、真意は全く日本の世界征服でなく、道義に基づく世界統一の理想を述べているのである。田中智学氏が造語したのは昭和二年だとのことであるから、石原たちは「流行」するよりも大分前から、日本建国の理想を表す言葉として盛んに使っていたのであった。>(最終戦争論、石原莞爾。用語の解説から)。
日本書紀の内容から作り出した言葉ということです。「八紘」は八方で全世界を指し、それが一つの「宇」(家)となる、ということです。そしてその家長は天皇、ということになります。ただこの言葉も結局は造語なので、そこにあんまり神秘性を求めるのもどうかとは思います。
石原莞爾は東洋文明は「王道」であり、西洋文明は「覇道」である、と主張します。王道は仁義に叶うもの、覇道は手段を選ばず目的を達するもの、といえばよいでしょうか。覇道主義派は「力」に頼りますので、とても強いですが、世界を治めるには「力」だけでは道義性を反故にすることにもなり、人の道の反するということになります、故に東洋文明の「王道」こそ世界の統一には欠かせないといいます。色々問題あると思いますが、引用します。
<われらは、天皇を信仰し心から皇運を扶翼し奉るものは皆われらの同胞であり、全く平等で天皇に仕え奉るべきものと信ずる。東亜連盟の初期に於て、諸国家が未だ天皇をその盟主として仰ぎ奉るにいたらない間は、独り日本のみが天皇を戴いているのであるから、日本国は連盟の中核的存在即ち指導的国家とならねばならない。しかしそれは諸国家と平等に提携し、われらの徳と力により諸国家の自然推挙によるべきであり、紛争の最中に、みずから強権的にこれを主張するのは、皇道の精神に合しないことを強調する。日本の実力は東亜諸民族の認めるところである。日本が真に大御心を奉じ、謙譲にして東亜のために進んで最大の犠牲を払うならば、東亜の諸国家から指導者と仰がれる日は、案外急速に来ることを疑わない。日露戦争当時、既にアジアの国々は日本を「アジアの盟主」と呼んだではないか。>
これは石原莞爾の言葉ですが、前半は当時の日本人の天皇信仰を良く表していると思います。石原らしいのは後半だと思います。彼は諸民族と平等にならなければならないといい、強権的であることをやめるべきだといいます。こうした発言は石原の他の書物にも見られます。はたして、満州国を作った石原莞爾の建国の理想は、満州において各異なる民族が平等に暮らせる「5族協和」の理念を掲げます。これを実現できれば確かに、東アジアでの新しいコミュニティーのシステムができたかもしれません。これを発展させれば、「大東亜共栄圏」もそれなりの意味も持ったでしょう。
そしてその後は満州と日本が10年かけ、共同で国力を蓄え、アメリカとの戦争のそなえるというものでした。歴史のIFとしてもう少し書いておきます。
保阪正康著、「太平洋戦争を読み直す」。
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別の著作から引用します。
≪高木清寿は、東亜連盟の副代表(代表は石原)という立場であったが、石原が中国とのルートを使って、しきりに蒋介石と終戦工作の打診を行っていたとも証言している。その打診は結局は実らなかったのだが、その折に石原の世界最終戦争論の一端を耳にしていた。次のような内容だったという。
<蒋介石政府と和平交渉を実らせたあと、日本は南方要域とオーストラリアを一気に占領してしまう。南方はすべて中国軍と日本海軍にまかせる。1939年から40年は、アメリカもイギリスも手を出すことはできない。関東軍は満州国と共にソ連と対峙する。その間に東亜連盟の徹底的建設を決行して、アメリカを一撃で倒す体制を東亜に作り上げる。そのあとに絶対平和の建設に入る。>
高木は、これは決して夢想ではなかったといい、東亜の国々がそれぞれ独立して連携していくという石原の構想は、もっと国際社会で知られれば意味を持った、とも述懐していた。≫(太平洋戦争を読み直す、保坂正康著)。
しかしこれも大陸の人々を下に見る軍部の中央によって、失敗、満州国は傀儡化し、植民地同様の扱いとなっていきます。しかし日本の軍部がこの線にある程度沿っていったなら、あのようなひどい敗戦を体験せず我々は歴史の連続性を持てたのかもしれません。東条英機らのような傲慢さが軍部になければ歴史の連続性を保つことができ、またずっと日本人である、という認識を我々は保つことができたかもしれないと思ってます。
まあただ、このルートは戦争をすることを前提としていて、色々問題もあるし、戦争を避けるなら他のルートもあったかもしれませんが。実際には満州国を作ったせいで国際社会の非難を浴び、アメリカに戦争に誘導される原因ともなったわけです。また、満州国を作るために軍隊を動かす必要があったわけですが、その原因となった柳条湖事件は石原たちのやらせです。結局こうした事件を起こすなら戦争に勝利しないと意味がないわけです。当然敗戦したのですから、石原莞爾もまた批判されてしまうのは当然だといえましょう。
しかし、やり方によっては日本は今のような状況にいなかった可能性もあるということがいいたかったです。その場合は我々がちゃんとした「日本人」なのか、という命題も今日のような形でなかったでしょう。プライド欲もそれなりに満足していたかもしれません。
現代の極右はまた嫌韓で中国の批判ばかりとなっています。大陸の方も排日教育ばかりしていますからそれも問題ですが、仮にせめて石原莞爾の思想を少しでも引き継ぎたいと思うなら、現状は皮肉としかいいようがありません。
個人的には太平洋戦争は侵略戦争だと思います。しかし一応建前で、元々日本は米英の植民地支配に立ち向かうはずではなかったのでは?というのもあります。それにしては右思想の人々が中国や韓国の悪口ばっかりいうのも、どうかなという気はしますね。いえばいうほど軍事的にはアメリカべったりになりますし。その時にいわれたことにすぐ反応するのも昔の大本営のようで嫌だなあ・・・。
中国や韓国だってある程度分かっていて日本の戦時中のことを批判していると思いますけども。国連だって未だに敵国条項が残っているわけです。日本がまた極右みたいのに支配されれば、アメリカだって軍事的に支援しなければいけない理由もなくなります。第二次世界大戦の戦勝国である中国、アメリカ、ロシアは下手をするとまたすぐに敵国になるかもしれないです。もしポイントを事前に絞るのなら、せめてアメリカなりに今の彼らのやりは良くないんじゃないかといわないと。逆説的ですが、身内のアメリカのやり方がおかしいということです。中国なんかも認めるところがあると思います。
現在日本はアメリカの強い支配下にあります。その状況下で、中国はかつてお前たちは偉そうなことをいっていたが、今はどうだ、といってきてるようなものです。その矛盾は日本人自身にあって、アジアの盟主になるといいながら、大陸のアジア人を下に見ていたその在りよう、ですね。ちゃんとした理屈があって、アジアの盟主に成ろうとしたが、アメリカに負けたせいでそれはどこに行ったのだ、と。その正しい理屈は一体何だったのか、と。
本当の本丸はそこにあったんじゃないのかな。自分達の中にあったものです。結局現在は昔考えた戦争の大義とは全く逆の方へと少しづつ誘導されてる感じじゃないかなあ、と感じています。旧軍指導部と同じ傾向を日本から導き出すために、その点ばかりを刺激する。
プライド欲を何で埋めるかよく考えないと、どうなっても知りませんね。
自分は何もアメリカと戦争をしろ、とかいいたいんじゃないんです。日本型のファシズムを呼び起こそうとかいうのではないです。かつて日本人の考えた中にも、大事にしていい部分は確かにあるかな、という意味で、です。我々のアイデンティティーに関わるところでしょうか。
アメリカとの軍事同盟は必要だと思ってますし。仮に現在のフィリピン政府がやった時のように一度は米軍に出て行ってもらうにしても、です。日本が軍事的に完全に独立するのはもう多分無理だと思いますよ。太平洋戦争中どれだけ資源の確保に苦労したか考えてみるべきです。一体どれぐらいの領土がいるか、ということを考えるともう無理だと思いますね。
しかし、今でも戦争をしているアメリカのやり方が実は世界規模で我々を苦しめていることに対する批判とかはすべきだといってるんです。必要最低限以上のことをやっているでしょう。もっと道義のあるやり方はあると思いますね。石原莞爾などの思想を受け継げばその片鱗ぐらいはいいうることもありそうだと思いますね。軍事力だけで何でも解決するのなら、石原莞爾のいった「覇道」のやり方で、最終的には欧米の進めてきた「力」の支配する世の中になりますね。
<なぜ、自由主義史観者たち、あるいは日本会議論者たちの、「自虐史観」という謝罪反対の姿勢の対案が「自賛史観」に立った日本国内でしか通用しない「誇りある国づくり」となるほかないか。それが、しっかりと相手に向き合うことからの撤退をしか生み出さないのか、その理由もまた、同時に見えてくるはずです。そこにあるのは相手に必要な謝罪要求を行うことができない自らのふがいなさ、屈辱感を、別の相手からの謝罪要求に応えることへの否定によって埋め直そうという、後ろ向きの、ひ弱な心理的代償作用にすぎないのです。
なぜ、日本政府は自分のかつて行った過ちについて、アジアの隣国にしっかりと謝罪できないのか。このことは、なぜ、日本政府は原爆投下という誰の目から見ても非人道的な行為について米国に対し、抗議できず、謝罪要求を行いできたか、という問いと一対です。「自虐史観」批判と「自賛史観」肯定は謝罪及び謝罪要求の回避という一枚のコインの、裏と表なのです。>(戦後入門、加藤典洋)。
また加藤氏の言葉を引用しました。原爆を一方的に批判することは難しいと思いますが、他は基本的に賛成です。侵略戦争と軍部の暴走などの部分を反省して、そのうえでもう一度、世界平和のためには石原流にいう「覇道」政治ではないやり方を考えないといけないと思います。その部分で日本にできることはあると思いますけど。大陸の反日教育も、日本が戦後、アメリカと同じ路線に乗ったと思われているのもあるんじゃないか、ということです。どの国とも一気に敵国となるわけではありません。戦後の平和憲法と合わせて、ある程度軍隊も持ちつつも、アメリカとは路線を異にした平和主義とかできないものですかね。


