憲法記念日だというので少し書きます。非常にざっくり書きます(もっと細かいことも書くべきですが、大量の文章になるのでそれは止めます)。
安倍総理が憲法改正に意欲を見せるコメントを出してます。現実的な視点でいうと多分、今後は安倍総理のいう方向に流れていくかな、と感じています。「現実」として、ということです。
一応中国なんかが軍事力を拡大しているので、日本も、というところですかね。護衛艦「いずも」も空母にするとかしないとか。いずもはたしか全長で250メートルぐらいあるんですよね。昔の日本の大型空母ぐらいの大きさがあります。就航したときからF35を乗せる気だと思ってきましたけど。マスコミが報道してますが、今さらという感じはあります。
改憲の議論がありますが、その哲学的側面の議論がほとんどないので、弱ります。そこをちゃんと詰めてくれるのなら、当面2隻ぐらいなら空母もありかな、とか思いますが、議論がないので、今のところはやはり反対です。
軍事予算をもっと増やせという人がいます。中国に対応しなくてはいけないから、ですか・・・。しかし、我々は一体どこまで軍事力を増やせば安泰なのか。まあ、どこまでいっても安泰、ということはないんでしょうが、今じゃ足りないとかで。
元々日本のまわりはアメリカ、ロシア、中国と大国ばかりで彼らは資源が豊富です。戦争は資源がないとできませんね。そんなところが相手だと多分どれだけ沢山の軍隊があっても厳しいのではないかと思いますが・・・。自衛隊の件を見直しても良いですが、やはり同時に外交と政治の在り方を見直さないとだめだと思います。
自分はあんまり日本史詳しくないですが、ちょっとだけ書きます。
第二次世界大戦前、一応日本は当時の大国の一つではありました。しかし、その時代の日本の指導者によって、日本は徹底的に叩き潰される運命に導かれます。どうしてもアメリカとの戦争だけは避けるようにいっていた人たちを無視して、戦争に突入します。ルーズベルトもアメリカと日本の国力の差は分かっていたでしょうから、アメリカ人の世論を戦争に導くために「最初の一撃を日本に」、とかいう意見を出すわけです。
日本がアメリカに開戦に追い込まれた、という意見も分からなくないですが、やはり反面自分達で追い込んでいった、という部分もありますしね。戦争を始めたタイミングも最悪で、あと数年たてばナチスがソヴィエトに敗れるのも分かったし、核兵器が開発されたことも認知された可能性があります。
満州を作った石原莞爾などは、最終的にアメリカと戦争になるだろうといいつつも、まず満州と日本においては「不戦10年」を唱え、ちゃんとした国力を育てる事が必要だとしていました。東亜連盟などは日中戦争に反対し、日本と中国が連携してアメリカと戦うことも模索していたようです。そういう形になれば「大東亜共栄圏」もそれなりに説得力があったかも・・・なんですね。しかしこういうものは当時の軍部の「統制派」に潰されてしまいます(石原自体を統制派と見る向きもあります)。結果的に東南アジア諸国を欧米の支配から解放したとはいえ、急ごしらえで、自存自衛の為がメインとなると、どう贔屓目に見ても、実質はナチスのレーベンスラウムに近いかなという感じですね。
当然資源の問題はありましたが、やはり、日本帝国軍は帝国憲法における「統帥権」を盾に、勝手なことをしすぎたように思います。当時の軍隊は天皇のもので、議会は必ずしもその影響力を行使できません。つまり日本帝国軍は天皇の名のもとに、自分達の判断で軍隊を動かし続けたわけです。軍人、それを支持した日本人に傲慢さがあったかと思いますし、それが日本を亡国寸前に追いやった一つの要素かと思います。
いわゆる右思想の人が東条英機を尊敬したりするのもありだとは思います。東京裁判では死刑を覚悟して、天皇を擁護したりとか、自分にもそれなりの人物像はあります。ただまあ、個人的意見では、ああいう戦争を指導するなら、あんなひどい負け方をしてはダメだとは思いますが。
日本の戦国時代のように、軍隊で日本を統一するような傾向が、世界史にもあっても良いとは思います。しかし、日本国内なら同じ民族同士の戦いですが、世界規模になれば戦争の敗北は一民族の絶滅につながりかねないものです。本来あのような博打のような戦争はすべきではありませんね。
今となってみると、あの戦争そのものはやはり容認しがたいものがあります。あの段階がぎりぎり日本が軍事的に成功する可能性のある時代だったかな、ということです。それを完全に失敗したんですね。ここはどうしたって立ち止まって考えてみるところだと思います。単純に自虐史観とかそうでないとかでなく、やはり一個の事実として、ですね。
最近の極右の人達がかつての軍指導者達を純粋に尊敬するとなると、色々不安がよぎります。特に政治に影響のある日本会議の人達とかね。彼らの改憲の目的が帝国憲法、明治憲法のことですが、それの復活にあるといわれています。国体と統帥権の復活でしょうか・・・中々そこまでは分かりませんが・・・。ただ元々の自民党の改憲案にはその傾向が出ていることが憲法学者から指摘されています。
確かに今の日本の国家像の原型には明治憲法があると思います。今は象徴となってますが、国の王に近い形で皇室を定義したのはこの憲法です。個人的には天皇を国家元首にしても特に文句はないです。しかしあんまりそこに原理的にこだわるのはきびしいですね。旧態も、皇室崇拝が行き過ぎたように思います。天皇を現人神とし、そこを家長とする世界家族を作ろうとする目的がかつての「八紘一宇」の思想にありましたが、これも原理的なところがないと中々発想として出てこないものだと思います。一見世界家族の思想は中々面白いですが、どうしても神に選ばれた選民的な感触が付いて回ります。
ヒトラーもドイツ人を優勢人種と位置付けましたが、こうすることによって為政者は大衆コントロールがしやすくなるのです。皇室についてもおそらく江戸時代の人はほとんど存在すら知らなかったのではないでしょうか。また皇室の伊勢神宮参拝も明治以降のようです。明治以降、皇室が強力に神話化されたのは事実だと思います。先にもいいましたが、自分は皇室そのものに文句などありません。しかし、それを自分達の思惑でやたら持ち上げるのはどうかと考えています。皇室を信仰の対象にするのも構いません。しかしどこで線引きをするか、考える部分があると思います。
ナチスドイツ、イスラム国、大日本帝国、あるいは現代の中国など強力な独裁制の国家は、必ずといっていいほど、広大な領土目標を設定してきます。つまり自分達が生き残るためには「これだけの領土がいる」、という主張です。独裁制は孤立しやすく、特に自分達だけが頼りだと思っているのですから、沢山の領土を必要としてきます。しかしこの調子で各国が領土を主張しだしたら地球がいくつあってもたりません。どうしても強いもの勝ちの思想となっていきます。
さて、まあ・・・話を戻しますが、先に当時の軍人に傲慢さがあったといいましたが、そういうものが極右の人達にもあるのかな、という気はしてます。インテリジェンスがないんじゃないかと。まさにアナクロニズムでしてね。
日本会議の母体の一つに「生長の家」の存在があるといいますが、これは我々の感覚でいえば、宗教団体、といっていいものです。もう亡くなりましたが、教祖の谷口雅春氏は天皇信仰の強い教えで、戦争中も軍閥などに多くの支持者がいたそうです。どうしても原理主義的な傾向は強いですね。それが悪いとか一概にはいえないですが、閣僚に10人以上も日本会議に属する人がいると、ちょっと妙かな、とは思います。
変な話ですが、実際原理的な傾向を持つ人は政治的に扱いやすいようにみえます。独裁者、あるいは宗教的原理などで文句が言えない状況を本人が認めてしまうと、当人はその原理が与えられる場合は、ロボットがボタンを押されたように自動的に動いてしまします。
アルカイダなんかは元々ソヴィエトに対抗しようとして、アメリカに武器の供給なんかを受けていた訳ですが、後にアメリカ軍のアラブ駐留に反対して反米になりました。確かにアメリカも同時テロなどで被害はありましたが、結局オサマはアメリカに殺されてしまいます。イスラム国なんかもそうですが、最後はアメリカ軍の餌食になります。
何でこんなことを書くかというと、そうしたイスラム系の原理主義者と戦争前の日本の体制も良く似ていたと思うからです。国体、というべきですか。戦争前の日本は、太平洋戦争(大東亜戦争)は聖戦だともいってました。イスラム風にいえば「ジハード」です。アメリカはそこを見抜いていたはずです。
結局いつも思うのは、アメリカとかイギリスのような自由主義体制は、必要なら原理主義的な人々を利用するし、対決姿勢なら打倒してしまう、ということです。そういう意味ではこんなに判に押したように動き方の分かる人々は扱いやすいだろうと思います。
日本会議にしてもメディアで取り上げられた時期もありました。その時はアメリカやイギリスのメディアもカルトだといって反応していた訳です。しかし、今となってみると海外メディアは黙っている。多分これは日本に改憲して軍隊を公然と持ってほしいからだと思います。日本に軍隊ができれば、特にアメリカなど、色々利用価値があると思っているはずです。そのためには改憲しないといけないし、日本会議のような圧力団体が必要なら黙っておこうとか、そういうことじゃないかなあ。いつでも手のひら返すと思いますね。
原理主義者は欧米のある種の人々には美味しい相手に見えるんじゃないかと思いますよ。彼らはそういう人達を挑発するんですよ。やり方さえ間違わなければ、彼らの考えた方向に動かしやすいですね。釈迦の手のひらの孫悟空みたいなものでね。
イラク戦争を含め、アメリカが「テロとの戦い」で使ったお金は、第一次世界大戦と第二次世界大戦で使った金額より多いといいます。どれぐらいの金額が軍産複合体に流れたかよく考えなければなりません。アメリカなどは戦争、つまり喧嘩をすることで自分達が利する体制を作っているわけです。同時テロなんかがあったとしても、結局得をしてしまう人がいるわけです。戦争がなくなるわけがありません。アメリカとイギリスは中東にイスラエルを作ったことによって、中東を分断し、今では軍事と原油でもうけを出すような状況を作ってきたように・・・自分には見えます。
そういう意味では大航海時代以来、欧米の覇権を行使するやり方自体に問題がある訳で、多くの右翼などもその辺りの不満はかなり強いかと思います。だから、本来はその辺まで立ち戻る必要もあるんですが、欧米のプロパガンダは世界の隅々まで行き渡ってますし、中々難しいようです。
そういう状況の中で、単に戦争といっても本当に自衛のためなのかとか、あるいは、もっと別の目的があるのかとか・・・色々出てくるはずです。軍隊を持つのなら、ちゃんと理由を考えてほしいです。その辺安倍さんがちゃんと煮詰めてるかといえば、そうではないと思います。むしろもっと別の用途を考えてるような気もしますが・・・。
・・・すいません、疲れました。もう書くのをやめます。しかし、理屈に穴開きだらけで、これではとても足りませんね。
左翼がいうみたいに軍隊がいらないというのもかなり無理がありますね。「平和が大事」といっても順序とかやり方はあると思いますよ。
アメリカに対する批判を書きましたが、現状だとアメリカと軍事同盟を結ぶのは仕方ないと考えてます。ただ、政治的には日本は相手方にもっといえることはあるだろうと、政治家にはいいたい気持ちもあります。平和憲法は変えるにしても、理念は残せるかなと思います。ベトナム戦争で日本が参戦しなかったのは今の憲法のおかげだと思います。それに畢竟、日本を守るのは軍隊だけではないと思うので。政治家はもっとやってくれないといけないと思います。
安倍首相は急いでいるようですが、全然議論は成熟してないと思いますね。
