今年の2月初めにイタリアのピアニスト、アルド・チッコリーニ氏が亡くなりました。89歳でした。
僕は、現在14枚しか聴き終わっていませんが、去年、EMIの集成であるボックス(56枚組)を手に入れてからその魅力を知りました。彼の場合、一般にフランスもの、特にエリック・サティの録音などが有名なようです。
確かにサティも素晴らしいのですが、どうも彼の演奏は、フランスものだけが素晴らしいのではなく、どの作曲家の演奏も一定の水準を示していて、嫌味がありません。チャイコフスキー、モーツアルト、ショパン、リスト、ボロディン、アルベニスなど、どれも明晰な解釈で、音色も明るく、楽しいです。
ざっくりと、人種的な色分けをすればどの演奏もラテンの香りがあって、渋さは皆無です。音楽も粘るようなこともなく、あっさりしてます。
チャイコフスキーのコンチェルトも伴奏がクリュイタンス(1951)、あるいはシルヴェストリ(1957)であろうと、色彩感と透明感とが合わさった、爽やかな演奏で、ロシアのゴージャスな美しさを、くどさなく感じさせてくれました。
日本に何度も来日されていた方だそうで、東日本大震災には心を痛めていたそうです。
ご冥福をお祈りいたします。
ソロモン・カットナー、ピアノ名演集。7枚組。旧EMI。
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神童といわれたソロモン・カットナー(1902-1988)による名演集。
「この芸術家のディスクはどれもみな、大切に保存されるべきだ。ブラームスとベートーヴェンのソナタと協奏曲、そしてショパンの演奏は、すべてのレパートリーと同様に、作品それ自体のあるべき演奏に毎回肉薄しているので、批評のコメントを挟む余地がほとんどない。」(「偉大なるピアニストたち」、アラン・ロンペッシュ著、東川愛訳。ヤマハ・ミュージック・メディア・コーポレイション。)
ソロモンは日本人にとってあまり有名ではないピアニストでしょう。ソロモンの短いキャリアがそうさせると思われます。彼の同世代、ホロヴィッツ、ゼルキン、アラウが大成したのを考えると、彼は不幸でした。
ソロモンは1911年、8歳の時ロンドンのクイーンズ・ホールでデビューしたそうです。しかしその後、第二次世界大戦前に脳出血で片腕が動かなくなり、さらに1956年に病気でピアノが弾けなくなってしまったそうです。その後、32年間コンサートから離れた後、亡くなりました。そのためここには古い録音しかありません。
録音は全て1950年代と1940年代のものばかりです。
個人的にはコンチェルトの演奏が一番心に残りました。特にベートーヴェン。
収められている曲は3番(1956)と5番(1955)。メンゲスの伴奏で、オーケストラはフィルハーモニアです。
それにしてもソロモンの音色は明るく明晰です。
このベートーヴェンの演奏は、指揮者共々、快活でしつこくなく、イギリスのオーケストラではない様なカラリとした美しさがあります。彼らの演奏で聴くとベートーヴェンの音楽の持つ若々しさが際立ち、健康的な感触などが魅力だと思わせます。
ブラームスやチャイコフスキーのコンチェルトも同様な爽やかな演奏で、美しいです。
このボックスにはショパンが収められていないのが残念ですが、リストなども詩情があり良かったです。
アリシア・デ・ラローチャ、ピアノ名演集。8枚組。旧EMI。
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最後はスペインの女性ピアニスト、アリシア・デ・ラローチャ(1923-2009)による名演集です。
「アリシア・デ・ラローチャは、アルベニスとグラナドスの二人の作曲家を世界中に広めた、ほとんど唯一のピアニストである。彼女はこの二人の作曲家を、ただの音色の戯れに惹かれた浅はかなピアニストによって演奏され、彼らがまどろんでいた民謡あるいは時代遅れのロマン主義から、第一に、二十世紀の巨匠に仲間入りさせ、第二に、シューマンとショパンに連なる真正なスペイン系子孫の地位へと導いた。」(「偉大なるピアニストたち」、アラン・ロンペッシュ著、東川愛訳。ヤマハ・ミュージック・メディア・コーポレイション。)
ということで、ここにはそのイベリア半島の作曲家2人を中心に音楽が収められています。大昔、僕はコルトーのアルバムを聴いているとき、聴きなれない音楽が流れてきて何だろうと思ったことがあります。確認するとそれはアルベニスのピアノ曲で、ドイツとかフランス風でない、エキゾチックな雰囲気と詩情をないまぜにした美しい音楽でした。
イサーク・アルベニス(1860-1909)はトマス・ルイス・デ・ビクトリア以来、最大のスペインの作曲家だそうで、代表曲は「イベリア」、あるいは歌劇「マーリン」。僕はさすがに彼の歌劇は聴いたことはないけれども、このボックスには「イベリア」が収められています。
もう一人はエンリケ・グラナドス(1867-1916)。イギリス客船の沈没によって亡くなった彼は円熟期にあったそうで、有名な作品はピアノ組曲「ゴイエスカス」。これは全曲を通すと50分を超える大曲で、華麗な音色を散りばめながら、豊かな詩情を湛えます。
ピアノ組曲「ゴイエスカス」は、ゴヤの絵画をヒントに、シューマンやリストの影響を受けつつ、美しく華やかなスペインの空気を伝えます。ラローチャの演奏は素晴らしく、華麗さと輝きを発揮しつつ、時には水を滴らせるように、あるいは、カラッとした陽光を浴びて照り返す如く、ピアノの音色を弾き分けます。
ラローチャの演奏もチッコリーニ同様ラテン系で、音色には明るい屈託のなさがあり、内に秘めた情熱を感じます。ここには確かに、フランス、イタリア、ドイツの音楽にはないエキゾチックな香りがあります。
ラローチャのように、演奏家の力によって、未知の作曲家が世間に知れるというのは、演奏家冥利に尽きるのではないのでしょうか。

