レフ・トルストイ4 |  ヒマジンノ国

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小説家としての社会的な成功はトルストイにとって喜ばしいことだったろう。だがその成功のおかげで彼は新たな悩みを抱えるようになった。


1881年、モスクワで都会の生活を始めたトルストイはその贅沢な生活にうんざりし始め、その生活が自身の理想とするものと異なることを感じ始めていた。贅沢な生活が原因で、妻ソフィアとの間にも溝ができ初め、トルストイは遂に家出を決意する。


超俗的なトルストイと、世俗的なソフィアではもう、互いを理解することが困難であった。


1910年に学生から世俗的な生活を捨てたらどうかという手紙を受け取った後、その年の10月に家を出た。しかし、彼は途中の駅で体調を崩し、11月7日息を引き取った。肺炎だった。享年82歳。


死後、遺体はヤースヤナ・ポリャーナに戻され、埋葬された。


芸術分野だけでなく、政治的な問題を超えて発言できる偉大なるロシア人の一生はここに幕を閉じた。


それは常に人生を自問自答し、何が本当で嘘かを問い続けた人生であり、本当の意味で真理を追究した人生であった。


どんなに権威が威張ったところで、そこに真実がなければ単に暴力でしかない。しかしトルストイは人生には暴力が不必要であること、また、必ずしも権威がなくとも実直にさえ生きれば、人々は幸せになれることを説いている。


しかしながら、実際の政治や宗教などの世俗の権威が恐れたのはそこであった。


人々をうまく騙し、自分達に従わせることを望む人々は、「本当のこと」をいう人々を弾圧する。なぜなら、彼らは巧妙なやり方で、あるいは暴力で人々から富と自由とを搾取するからだ。そしてその搾取する生活こそが「彼らの生活」となり、世間が「権威」というものになる。そして「騙されている人」がいなくなれば、彼らの生活は成り立たなくなることを、本人達は分かっている。


トルストイの人生は「本当」の意味で、私達の生活に何が必要で必要でないかを教えてくれる。それは現代に生きる我々には茨の道にも見える。


だがそれは私達が一度は考えてみるべき重要な問題であり、「そうであること」を、一度でも真面目にとらえようとした人々には、一筋の光明にも見えるだろう。


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<まとめ>


トルストイは現実社会の権威に対する厳しい批判を行った。それは結局、権威側にいる多くの人々が堕落しており、社会のためになっていないと思ったからだ。


そしてそれを正当化するために彼らは多くの思想や考え方を自分たちのために利用してきたといえる。


特に近代では「科学」を代表とする「合理的な思考」がそれであり、その身勝手な合理性は「科学」に無理やり結び付けられることで力を得てきた。


そうしてそれを学んだ人々が育つことによって、世間は形作られていく。かつてインテリゲンチャの出現で指摘されたように、ドストエフスキーのいう「知恵のある獣」が育つのである。


人生の教師としてのトルストイは当然そうした思想的な問題に対しても批判を行っている。


最後はそのことを覗いて終わりにしたい。