モスクワ・ライヴ |  ヒマジンノ国

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アジアン・リゾートをイメージしたコーン・インセンス。


安物ですけど、焚くと南国の柑橘系の雰囲気が広がります。またもや・・・メイド・イン・チャイナですが・・・。


綺麗な日差しの日でしたから。良い香りは、外出して郊外の緑に触れた後で・・・格別です。






久々ケイティー・ペリーの「プリズム」を聴きます。「レジェンダリー・ラヴァ―ズ」が香りと最高に合います。透明な空気、そして新鮮な感触。




ケイティーのクリーミーな声が、パワフルに無垢な気持ちを伝えます。昼も夜も、陽光が、あるいは月光が、水晶にきらめいて輝くような、解放感が素晴らしいです。



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ウラディミール・ホロヴィッツ、「ドイツ・グラモフォン・コンプリート・レコーディングス」からモスクワ・ライヴ。

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ケイティー・ペリーを切りのいいところで切り上げ、今度はウラディミール・ホロヴィッツ(1902-1989)のモスクワ・ライヴから・・・。


本当に・・・ラフマニノフのプレリュード5番から、スクリャービンのエチュード12番までの4曲が格別美しい・・・。ラフマニノフのプレリュード5、12番、スクリャービンのエチュード1、12番という並びです。


ラフマニノフのプレリュード5番の透明感はどうでしょうか。みずみずしく、芸術的感触に溢れてます。ホロヴィッツの鋭い感性がここでは生き生きと羽ばたいています。そしてスクリャービンのエチュード12番の素晴らしい歌謡性も・・・。


聴衆のブラボーの意味も分かるというものです。
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これはウクライナ生まれの名ピアニスト、ウラディミール・ホロヴィッツの晩年の録音集(6枚組)です。


ホロヴィッツぐらいのピアニストになるとマニアの方も多いはずで、僕なんかが色々いえるような立場ではないんですが、今日は聴いたものについて一応感想を書きたいと思います。


ここに収められているのは1985年から1987年までのもので、モスクワ・ライヴは1986年になります。


晩年(1983)のホロヴィッツの演奏を聴いて、「ひびの入った骨董品」といったのは批評家の吉田秀和氏です。本来、鋭い感性と天才的なテクニックで魔術的なまでの演奏を繰り広げたホロヴィッツですが、晩年は衰えを示し、演奏に淀みが出るようになりました。


例えば、彼の実力を示した録音として、1951年に録音されたムソルグスキーの「展覧会の絵」があります。


壮年期のこの大ピアニストは、華麗さ、あるいは、鋭いタッチなどを駆使して、貴族的なまでに美しく、ダイナミックに弾き切っています。



これこそまさに天才のなせる業で、生命力と華麗なピアニズムが融合し、ため息の出るような演奏を繰り広げています。


しかし、彼としてはほとんど直観的ともいえる感性が、タッチに直接に伝わってこそ、その世紀の天才ともいえる能力が発揮されるわけで、そこには危ういバランスが必要なようです。


グラモフォンの録音集にもシューマンの「クライスレリアーナ」などが収められていて、こうした感性に訴えかける音楽はホロヴィッツにはふさわしいものと思えます。僕はアルフレッド・ブレンデルなどでこのシューマンの名曲を楽しみますが、衰えをみせているはずである、このホロヴィッツの演奏を聴いてしまうと、ブレンデルでさえ物足りなく思えます。


ホロヴィッツの個性はそれほどに強く、インパクトがあります。


・・・ですが、ここに収められている、ホロヴィッツの演奏する、その「クライスレリアーナ」にしても、その他の演奏にしても、若いころに持っていた「感性」の連続性が欠如していて、聴いていて気にならない、といえば嘘になります。


この録音集でも感性が漲って、恍惚とする瞬間を生み出しはするのですが、時折彼は、「次の音」を迷っているような時間もまた、あるのです。テクニックの衰えなのか、あるいは頭脳の衰えなのかは分かりませんが、恍惚に至ろうかという瞬間にそうした「淀み」にあうと、興が冷めてしまいます。


それはほんの一瞬の出来事で、小さな傷には違いないのですが、聴き手である自分には、演奏の中に「淀み」がポツリ、ポツリと顔を出されると、残念な思いをするものでした。



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そんな中でも1986年に61年ぶりに古巣ソヴィエトに戻り、演奏したライヴは、相当彼自身思うところがあったのでしょう。彼の実力が発揮された瞬間が幾度もあり、美しい瞬間があると思います。