集団的自衛権のこと |  ヒマジンノ国

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昨日、安倍総理がじきじきに集団的自衛権の行使について説明をしました。


これは賛成反対どちらの意見があっても、現実的にみると、その行使を「する」ということになっていきそうです。日本とアメリカが同盟を結んでいる限り仕方ない、ということですか。


「邦人が戦って死ぬ」ということが現実味を帯びてきたわけです。このままいけば、いずれ事件はおきるでしょう。


他国から攻撃を受けて全く反撃をしない、ということは確かに問題なのでしょうから、自衛隊、を活動しやすくするのは分かりますが、自衛隊を「軍隊」として、一度「軍」として認めてしまえば、その廃棄はそう簡単にはできなくなります。


片方で、軍備の廃棄をうたった平和憲法がありますが、自衛隊が軍隊としての意味を増せば、その存続は難しくなるか、骨抜きになるか、ということになっていくと思います。


昨日の安倍首相の発言は、楽観的に考えて、アメリカを主体とした国際社会について行けば、世界平和が実現する、ということも織り込んでいるかと思われます。ただ、この点は実際にはかなり無理があるといわざると得ず、今はオバマ政権でかなりアメリカも大人しいですが、政権が変わったりすれば、また力付くで国際社会を引っ張っていこうとするかもしれません。


安倍さんは、そうしたアメリカの独走には集団的自衛権を行使しないといっているわけですが、うまくいきますか・・・。近隣国とのバランスを取るのと、あくまで自国を守るためだけに、集団的自衛権の行使をしたいそうですが、過去の自衛隊の成り立ちや、歴史をみると、この言葉は鵜呑みにできないところもありそうです。別に安倍さんが「嘘」をついている、というのではなくて、それぐらい「力」のある「組織」を扱うのは難しいのだ、といいたいですし、今回の件は日本だけの意向だけではないとも思えるからです。


また、そのことに付随して、現状の憲法が他国民によってつくられた押し付けのものであるから、変えなければいけない、という人も多いようです。しかし、僕などは平和憲法の理念は素晴らしいと思っているので、この辺りは憲法を変えたとしても、残す余地はあると考えています。


そして、現在の憲法9条について考えるのなら、この憲法を残すことによって、国の平和を守るためには、別の側面もみえてくることになると思います。確かに「世界平和」といえば、現代人にとって、ほとんど「机上の空論」のような体を示していますが、昔はそのことを大真面目に考えた人々が多くいたわけです。このことは「現実味がない」ではなく、恥ずかしがらずに、もっと大真面目に取り上げるべきだと思うんですが、中々そうはならないようです。日本は、戦後、60年、70年近くもあって、そうした時間もあったはずなんですが、結局今のような状況になるまで、この問題をほったらかしにしてきたのが、本当は一番の問題のように思います。


人は物事を「黒」か「白」かのどっちかだけで考えようとしますが、現実社会はその「黒」と「白」の混合物ですから、そのうまい舵取りをしなければなりません。急進的な「右寄り」、「左寄り」の思想ではなく、基本的な目標を決めたなら、当面の矛盾は我慢しながら、どちらの考えの人も、「協力して」、国や世界のために尽力すべきです。


厳密な、思想的理想は頭の中にしかないものですから、人は間違いますが、現実社会が相違する物を両方内包する物だと考えたとき、もっと別のやり方がみえてくると思います。自分の頭の中の理想のみを実現しようとすると、必ず反対者が現れ、争いになります。結局、そのこと自体が「戦い」なのですから、そうした、軍備派の、あるいは、反軍備派の、平和論者はあんまり信用できません。