クラウディオ・アバドのボックス2 |  ヒマジンノ国

 ヒマジンノ国

ブログの説明を入力します。




ここから先は作曲家別に演奏を見ていきます。その中では、僕個人の好みを反映させながら、かなりうるさいことも書いていきたいと思います。


このボックス内のCD順に、モーツアルト、ハイドン、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、ブラームス、ブルックナー、マーラーという順序で書いていきます。かなり長い文章になりますが、よろしくお願いいたします。


<モーツアルト>





まずは、CDの1~3はモーツアルトです。2005年から2009年までの演奏で、モーツアルト管弦楽団との演奏です。曲目は29番、33番、35番「ハフナー」、38番「プラハ」、39番、40番、41番「ジュピター」となっています。


アバドはモーツアルトに関しては結構凝った指揮をしていると思いました。演奏からは、随分と色々と考えた跡がうかがわれるようです。しかし、その分、懲りすぎて、僕にはちょっとくどいように思いました。彼はどの演奏でもそうですが、うまいオーケストラを使って、一音もおろそかにしようとはせず、丹精こめて鳴らそうとします。この指揮者の頭の中には、交響曲を演奏するとき、マーラーの曲を演奏する際の、「表現主義」的な傾向があるようであり、モーツアルトの場合もそうですが、テンポを落とし気味にして、各楽器の音の魅力を見せようとします。


音楽はどのパートもカラフルにしっかりと音が鳴り、しなやかに流れていきます。もしアバドのモーツアルトに魅力があるというのなら、この部分だと思いました。


ただ、おかげでモーツアルトの花のように香る、オーケストレイションの美しさが生きますが、反面やや間延びしたような感じにもなり、もたれます。


個人的にはもうちょっと推進力が欲しいところです。例えば、トスカニーニのモーツアルトなんかは推進力があってかなり小気味良いですが・・・。モーツアルトはあおり感がある方が、細かい繊細な彼の曲のニュアンスが出て、爽やかです。ただトスカニーニはやや乱暴なので、モーツアルトのまろやかさは死んでしまいます。結局、ワルターやベームのようにスピード感とまろやかさ、あるいは繊細な味が出たほうが、演奏としては美しいかとも考えます。


過去の大家に比して、アバドはまろやかで華やかではあるものの、やや後期ロマン派風とも思える、濃厚な表現をしているのだと思えました。ただ確かに華やかでカラフルな美しさは聴いていて楽しいのも事実ですが。


曲別に見ていくと、愉悦がほとばしるような「プラハ」交響曲は力加減の抑制気味の演奏で、本当なら、もっと生き生きとした感情の流露が欲しいところです。「ハフナー」は立派な造形で、中々美しく聴きごたえがありました。特にフィナーレのプレストの立体感が悪くないです。


29番の明るい喜びに満ちた第一楽章も、楽器が明晰に鳴り、アバド特有のしなやかさで繊細に歌われると、こちらも感覚的な喜びに満たされることは確かです。名演だと思います。反対に39番のように特徴の少ない曲はテンポが遅いと僕はちょっと退屈します。音色が生きているだけに勿体ないとも思えました。33番はやや快速の演奏ですが、もう一つ心には残りませんでした。


大ト短調の40番は平均的な出来栄えで、まあまあかな。


「ジュピター」は曲が立派なこともあって、アバド特有の柳腰をしっかりと支えていて、うまく響きます。大柄な「ジュピター」です。しかしながら、フィナーレは反復を全部繰り返すので、さすがに、ちょっとしつこいと思いました。聴きながら、結末のフーガによる、6個のメロディーの収束部を待つのに疲れました。楽譜に書いてあることは明晰に何でもやる、という哲学なのかもしれませんけども。


全体としてみると、新しいモーツアルト像を狙ったのかもしれませんが、感動の質を考えると、もう一つ不完全燃焼だと思います。ただ、意欲的に新しいことをしようという思いは伝わってくるので、その辺りの面白さは買いだと思えました。


<ハイドン>





ハイドンの演奏はどれも傑作でしょう。とにかく生き生きとして、生命力がみなぎり、ハイドンの作品における、オーケストラの爽やかな香りを撒き散らしてくれます。


CDは4~5までで、曲目は93番、96番「奇跡」、98番、100番「ミリタリー(軍隊)」、101番「時計」、102番、103番「ドラム・ロール(太鼓連打)」、105番(協奏交響曲)、で、1986年から1995年までの録音です。


アバドは自身が育て上げたヨーロッパ室内管弦楽団を使って、モーツアルトの演奏とはうって変わった、あっさりとした演奏をしています。多分、彼はここでピリオド楽器の演奏法を取り入れたんじゃないかと思います。それが正しいのなら、新しいことを取り入れて、演奏に生かす辺り、最近の指揮者の面白いところなんでしょう。知性の勝利とでもいうべきかもしれません。ただここにはアカデミズムの要素はなく、見事な美しさがあり、モーツアルトの場合より、成功していると思いました。どの曲も快活快速のテンポでもって、流麗に歌い上げています。


「ドラム・ロール(太鼓連打)」の演奏を聴いていると、とても美しいと思います。しかし、さらに同じCDに収められた105番の方がより、オーケストラが感じ入っていて、感傷的な美しさを発揮しています。


100番「ミリタリー(軍隊)」における力強いオーケストラの響き、101番「時計」の流麗な美しさ。102番も良く、どれもハイドンの爽やかなオーケストラの魅力が伝わってくると思いました。


93番、96番「奇跡」、98番もオーケストラの美感、表情ともに素晴らしいです。しかし、モダーン楽器でもこんなに匂うような、古楽器を思わせるような色彩豊かな音色が出るのだとは驚きです。


とにかく、ハイドンの音楽の魅力も手伝ってか、オーケストラの音色からヨーロッパの美しい自然を思わせる、馥郁とした香りが伝わってきて、何ともいえない爽やかな気分にさせてくれました。


<ベートーヴェン>





ベートーヴェンの演奏はベルリン・フィルとのライヴで、古典派の音楽としてはモーツアルトほど凝ってなく、ハイドンほどの名演とは思えませんでした。しかしモーツアルトの演奏と比べると、ベートーヴェンの演奏の方が妥当性が強く、万人の思うベートーヴェン像は崩していないと思います。


そういう意味ではこの演奏も知性的な、現代風の視点から見たベートーヴェン像というべきで、従来の哲学的、あるいは力学的演奏からは離れ、全体に流麗な美を目指した演奏となっています。


1999年から2001年までの録音で、CDは7から11までで、交響曲全集となっています。


個人的に気に入ったのは2番と5番です。2番は明るさ満ちたアバドの心から、曲調のせいもあって、喜びが滴り落ちるような美演で、聴いていて心地よいです。フィナーレではあおった追い込みさえ見せます。同様に5番も力強い、緊密な演奏ではなく、流麗な流れの良い、艶ややかな美演で、堅苦しさから離れた演奏です。そういう意味では、ベートーヴェンの哲学的な意味は完全にスポイルされていますが・・・。5番を楽しく聴けることには違いないです。


その他だと、7番は主旋律以外の生かし方が面白く、表現主義的な演奏だと思いました。1番と8番も楽しんで聴ける演奏で、そこそこです。


面白いのは4番で、常に客観的な演奏を心がけているアバドですが、ここで彼は珍しく感情移入をしており、オーケストラが荒れます。どうなんでしょう?アバドにしてみるとこの4番は感情移入しやすい曲調なんでしょうか?明るい曲の内容と、アバドの明るい性格がマッチしているのかもしれません。僕も興味をもって聴いていました。とにかく、彼の性格に合う曲なんじゃないかと・・・。


ただアバド流の、客観性を持った美学からは離れていってるようで、彼の美学を尊重するのなら、名演といっていいのかは迷います。


3番はベートーヴェンの演奏でも格別難しい曲で、指揮者にとって試金石となる曲です。3番の第一楽章においては、音楽の力学は、開放されゆくものと圧縮されゆくものとが、同時に存在し、そのどちらに意識を傾けるかで曲調が全く代わってしまいます。あるいはその中庸を守るか・・・ですが。そのため、マーラーの交響曲ようにスコアをそのまま、音化すれば曲になるのものでなく、指揮者の意欲や考えが如実に反映されますから。


しかし、アバドはそんなことはおかまいなしに、内面的な音楽の力学的法則に、無理に立ち入ることなく、従来の演奏者達から出来上がってきた、「エロイカ」のちょうど良い姿のみに焦点を当てて、流麗に表現しています。5番であれば、非常に乱暴ないいかたをするのなら、音楽の力学は本来、一本調子で、あおるか、引き伸ばすしかないですが、3番においては色んな表現が可能な中、これはちょっと物足りませんでした。演奏そのものは、美しいとは思いますけども・・・。さすがに「エロイカ」は難曲だと思います。


9番と6番も平均的な出来栄えで、悪くないです。万人向けの、曲の美しさに目を向けた、堅苦しくない表現だと思いました。

__________________________________


ということで一応、古典派の作曲家達の演奏について書いてみました。全体としてみると、アバドは作曲家ごとに色んなこだわりを持って描いているようで、それが古典派、という形式的な傾向を強く持つ作曲家の場合でも、その差異が良く出ていると思いました。その辺りが、アバドの演奏の楽しいところでしょう。


次はロマン派です。シューベルトから後期のマーラーまで一気に書いていきます。