クラウディオ・アバドのボックス3 |  ヒマジンノ国

 ヒマジンノ国

ブログの説明を入力します。




<シューベルト >



CDの12~16まではシューベルトが入っています。特に16枚目は「ロザムンデ」全曲がはいっていて興味深いところです。ヨーロッパ室内管弦楽団の演奏で、1986年から1989年にかけての録音です。


アバドの演奏は、シューベルトに関しても、まろやかで、伸び伸びとした「シューベルティアン」な感触がないでもないです。ただ、アバドの明快な知性が、しつこいまでに楽譜を音化しようとする意識を呼び起こし、ときにシューベルトの音楽がみせる、寛容さをスポイルしているようには聴こえました。


特に「ザ・グレート」と「未完成」交響曲においては、まさにロマン派を体現しうる曲だけに、アバドの「表現主義」的な傾向が目に付きます。演奏そのものとしては「グレート」はやや間延びがした気がし、「未完成」は第一楽章に面白い響きを感じましたが、非常に平均的で、知性的な、現代的なものだと思いました。


それよりもむしろ、僕には1~6番までの古典的な初期の交響曲のほうが、演奏としては魅力的だと思えます。ハイドンの演奏ほどではないですが、爽やかさを基調にした明快な演奏で、全く嫌味なく曲を楽しめました。


ただどの曲も格別な名演、とかいうものではなく、各曲にそれなりの斬新な表現があるとしても、常識的な印象の強い、シューベルトの交響曲全集だと感じさせます。


<メンデルスゾーン>




明るく、陰りの少ないクラウディオ・アバドと、屈託のないメンデルスゾーンの資質が合わさった、ソフトタッチの名演がそろっていると思いました。 明るく、魅力的な全集だと思います。


CDは17~20枚目までで、ロンドン交響楽団との演奏で、1984年から1986年までの録音です。


このアバドの交響曲ボックスの中では、特にマーラーとハイドンの演奏が素晴らしいと思いますが、次点としてはこのメンデルスゾーンの演奏を、僕はあげたいです。とにかく、メンデルスゾーンの明るく楽しいメロディーはアバドの流麗でしなやかな演奏に良く合うようです。


確かに5番の「宗教改革」はやや暗く重い曲ですが、アバドの演奏では重過ぎず、暗すぎずで、録音が良いのも手伝って、秀演に聴こえます。4番「イタリア」、3番「スコティッシュ」は共に名演で、「イタリア」の伸びやかさはいうまでもなく、「スコティッシュ」の優艶な感傷も美しく表出され、曲を堪能できます。


2番「賛歌」と1番はほとんど普段聴かない曲で、ディスコグラフィーも少なく、聴けること自体を、今回は満足したいと思います。また、1番に関しては僕は初めて聴くことになりました。その1番は、若々しいメンデルスゾーンの情熱が聴ける佳曲のようです。


しかし、2番「賛歌」を聴くのは何年振りでしょうか。学生時代に知人に面白い曲があるといって聴かせてもらって以来です。おそらくそれもアバドの演奏だったと思います。多分、これはそのとき聴かせてもらった音源と同じだと思います。


曲自体はベートーヴェンの第九を想起させるような合唱(カンタータ、といったほうが良いかもしれません)を伴った曲で、演奏時間も70分を超える、力作です。交響曲2番となっていますが、必ずしも初期の作品ではなく、彼のこのジャンルの曲としては実際、4番目の作品となります。


学生時代に聴いたときは、あまりにベートーヴェンの曲からの影響が多いと思い、退屈だと思った記憶があります。メンデルスゾーンが存命の当時、第九に圧倒される作曲家が多かったのは理解できますが、この曲は似たようなものを描こうとしたメンデルスゾーンの気持ちが分かるにしろ、二番煎じなのは確かなようです。編成の問題もあるのでしょうが、普段、彼の曲が3番以降しか演奏されないのが良く分かります。


しかし、今回、ほぼ20年ぶりに聴いてみて、これはこれで面白いと思いました。曲自体の出来は悪いともいえず、アイデアの問題さえ除けば、この曲を好きになる人もいるかもしれません。個人的には第3楽章のアダージョがメンデルスゾーンらしい美しさがあると思いました。


<ブラームス>




ブラームスは名演・・・とはいわないまでも、どれも秀演ぞろいです。


交響曲1番は、第1楽章の非常に分厚いオーケストラの響きから引きつけられます。カラヤンほどのフェティッシュな輝きはありませんが、きらびやかな響きを重厚に響かせながら、立派な音像を作り上げていきます。存分にオーケストラを鳴らす喜びは伝わってきました。


2番は、アバドの資質とこの曲の内容が合致する演奏で、嫌味のない演奏です。3番もブラームスの渋い情熱が充分発揮されており、久しぶりにこの曲を楽しめたと思いました。


ブラームス最後の交響曲の4番については、このブラームス全集の中では一番聴き劣りがしました。アバドの演奏の魅力は、そのしなやかで、柔軟なスタイルにあると思いますが、それが悪いほうに出た場合、どうしても曲が構造的に平面的になり、彫りの深さが欠けることにあると思います。


ブラームスの4番が必ずしも柔軟な表現で悪いわけではないんですが、アバドの場合、曲の動きがややレガート風に流れるときがあって、この曲も持つ、自己犠牲的な感情表現の強さが弱められているように感じました。正直、「やや」・・・ですが不自然な感じがしました。ただこれで悪い演奏かといえばそうともいえないんですが、他の3曲に対して比較するとそういう印象を持ちました。


しかし、これも現代におけるブラームスの交響曲全集の一つだと考えると、決して程度の低い演奏だとはいえないと思います。


CDは21~25枚目までで、ベルリン・フィルとの演奏です。25枚目のみ、ブラームスのセレナードが入っていて、セレナードの1番のみ、マーラー室内管弦楽団との演奏です。1967年から1991年までの録音を含みます。

_______________________________________


さて、少し話は変わりますが、アバドの場合、彼の音に関する哲学は面白く、彼はブラームスの演奏でも、オーケストラの生々しい、地の音を出そうとはしません。


ブラームスの音作りに対する考察を少ししてみると分かるのですが、ブラームスの場合、あまりに音に対するフェティッシュな感触はご法度とでもいうべきで、あくまで音を記号的に追い、音に対して気を使いすぎない、鬱蒼とした感情が湧き出るような響きが必要です。まあ・・・とはいえ、適度なこだわりは必要なんでしょうけども・・・。


かつて名指揮者、ギュンター・ヴァントが北ドイツ放響を用いてブラームスの交響曲全集を完成させたことがありました。1995年から、1997年にかけてのことです。これはこれで名演だとは思うのですが、発売当時は評判になり、自分も持っています。しかしながら、今日、改めてブラームスを聴こうと思う場合、僕自身、このディスクをあまり聴こうとは思わなくなったことを、発見します。




理由を考えてみると、ヴァントの音作りがブラームスのものとは違うから・・・だということに僕は行き当たりました。


ヴァントの場合、彼がブルックナーの使徒としての自覚から、音に対する厳しいフェティッシュなまでのこだわりがあり、そのこだわりが、ブラームスを演奏する際には効果を上げない、ということです。ブルックナーでは大変に効果を上げた音作りも、ブラームスの場合は、結果、音の構造が見えすぎて骨っぽくなってしまうのです。


まだ第1あたりは面白く聴ける部分もあるのですが、第4あたりになるとこの曲の持つ、豊かさが消え、見た目は平面的な艶やかな音で、内容的には構造的に見えすぎる、透明な演奏となっていて、面白くはありますが、ブラームスの音からは程遠い演奏になっています。


はたして、アバドの場合ですが、ヴァントほどのこだわりはないまでも、音に対する別種のこだわりがあって、色彩的で、ソフィスティケートされたファッショナブルな感触があり、それがややブラームスの音楽との乖離を感じさせます。しかし、それも程度の問題ですから、アバドの場合、感情表現は豊かで、一概にブラームスには合わないともいえません。


しかしこれを別の角度から見ると、確かに浄化された現代的表現に聴こえてくるところが面白く、ここでも彼は、そうした彼の哲学に加えて、我々の持つブラームスのイメージを崩すことなく演奏しているところに、評価すべきところがあるように思えました。