1956年のスカラ座5回公演の「セビリアの理髪師」は、伝説的オペラ歌手、マリア・カラスの数少ない舞台上の失敗の一つとして数えられています。
存在感の強い彼女はこの舞台で、聴衆に誰が主役かを忘れさせてしまったのです。この作品中で、ロジーナはフィガロ以上の存在ではないのですから・・・。
翌年の1957年、マリア・カラスはこの役をEMIにスタジオ録音しました。現状、「セビリアの理髪師」といえば1971年に録音されたクラウディオ・アバドのものが有名ですが、僕は、舞台では失敗したといわれる、マリア・カラスがロジーナを歌ったこちらの1957年盤を好みます。ステレオ録音です。
(上の写真はアバド盤です。)
______________________________
______________________________
このマリア・カラス盤の成功の原因の一つに、指揮者の存在があります。アルチェオ・ガリエラという、あまり聞きなれない指揮者ですが、彼は曲のテンポを煽りながら、溌剌とした指揮をしています。アバドの演奏で聴く、第一幕の前奏曲は落ち着きすぎて、僕には不満でしたが、ガリエラは小気味良いテンポと強いアタックで聴かせます。
「≪セビリアの理髪師≫はロッシーニの名作だけあってこれまで数多くの録音があるが、いまだに1950年代後半に録音されたシオミナートなどが歌ったエレーデ盤とこのガリエラ盤がもっともすぐれた演奏のように思う。ことにこの1957年のガリエラ盤は、全体の安定した流れの中でこの作品のもつブッフォ的な性格を明確に、しかもいや味なく表現している点でこの曲の演奏の一つの典型といえる。」(渡辺学而)
「≪セビリアの理髪師≫の録音は、さんざんな結果に終わったスカラ座公演の一年後、1957年2月の第二週にロンドンでおこなわれた。見事な指揮をしたのはアルチェオ・ガッリエーラ。(これにまさるのは、いわばいっそう優雅な笑いをたたえたヴィットリオ・グーイ指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団によるグラインドボーン音楽祭の録音だけだ。)オーケストラ・アンサンブルともに緻密で正確である。ガッリエーラはこのオペラを笑劇(ファルス)―――終始ユーモアが絶えず、歌もギャグとユーモアにまみれたドタバタ劇―――ではなく、古典喜劇(クラシック・コメディ)として組み立てた。・・・(中略)・・・ガッリエーラは「強迫観念めいた反復」を、韻律的な単調さに追いやるような危険を決して冒さなかった。クラウディオ・アッバードはそうしてしまったが、オズボーンによれば、彼は「テンポと輝かしい効果に頼りすぎ、滑稽な緊張さえうむことがあった」。しかしガッリエーラはリズム的な「テンポのとり方」の能力を駆使し、歌の動きに柔軟に対応した。」(ユルゲン・ケスティング)
ガリエラの場面の描き方は的確だと思いますし、何より溌剌として、曲のフォルムを引き締めているのが好ましいと思います。また、マリア・カラスも録音で聴く限り、ちゃんと曲の一部に納まっていて、悪くないです。彼女は、ここで随分とコロラトゥーラを駆使しますが、全盛期ではないとはいえ、かなり聴かせます。
フィガロ役もテイト・ゴッビでうまいです。
批評家のケスティングのいう、<素粒子加速器のごとき「ロッシーニ・クレッシェンド」>は、まさにこの「セビリアの理髪師」を聴く楽しみだと僕には思えます。それにはできうるなら・・・音楽自身の、それなりの加速がほしいものです。音楽的な厚みで聴かせるアバド盤も魅力かもしれませんが、やっぱり「セビリア」はこうした煽りのきいたテンポで聴きたいのが僕の本音です。
歌手もマリア・カラスを初めとして悪くないし、彼女の録音としても、決して数の多くない、ステレオ録音だというのも僕には魅力だと思えました。

