しかし、今回は彼の演奏で美しいものについて少し触れておきたいです。彼の演奏では、華麗で豪華な音がする作品、あるいは一所に音が漂うような作品、が特に僕の気を引きます。一箇所に音を叩きつけるようなブラームスの第一交響曲や、ヴェルディのオテロなんかも面白いでしょうか。
一応類型で考えるなら、華麗で豪華な音がする作品の代表格はR・シュトラウスのオペラや、交響詩など。また一箇所に、音が漂うな作品といえば、ドビュッシーのオペラなんかもいいですし、プッチーニなんかも美しいと思います。他にもこうした類型にとどめることは無理な物もたくさんあると思います。
そんな中から、今回は僕の好みで、カラヤンの芸術を味わうため、彼の演奏したプッチーニの作品に触れておきます。ここで僕は、彼の作り出す音にとても興味を持ちます。
プッチーニは、オペラがまだ大衆に求められて、素直に受け入れられていた時代の最後の作曲家です。彼の最後の作品「トゥーランドット」はオペラが娯楽の、最大の存在であった時代の、最後の作品でした。カラヤンが没して、クラシック音楽界は斜陽になりましたが、そんな彼の芸風とプッチーニの漂える美音が、クラシック音楽最後のはかなさを表しているかのようです。
僕はそこにとても魅力を感じています。
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1977年に録音された、カラヤンの「ラ・ボエーム」。本当に魅力的な「ボエーム」です。
しかし、宇野功芳はこの演奏に対して≪指揮者の詩情の乏しさ、芸術性の低さが大きなマイナスとなっている。≫と述べています。
確かにそうかもしれませんが、しかし、いうほど、僕にはひどいとも思えません。僕など「ボエーム」は好きな曲ですし、良い演奏は多いほうが嬉しいですから、そこまでいう必要もないかと思いました。
また、この演奏にはオーケストラをたっぷり鳴らして、いかにも「グランド・オペラ」を楽しんでいる、という雰囲気が味わえることが、大きな魅力でもあると思います。こうした感動を、演奏上の少しの傷から、捨てる気にはならない人も、多いんじゃないでしょうか。僕もこういう雰囲気は大好きです。
カラヤンのプッチーニは「音が大きすぎる」ともいわれるところですが、聴きようによっては、何より、豊かで贅沢に聴こえます。音の大きさが、曲を壊しているほどとも思えませんし、この「ボエーム」の場合、立体的で音彩のはっきりした、デッカの録音に支えられて、視覚的でさえあります。
おかげで、夢見るような美しい瞬間が何度もあるのです。
グラモフォンの録音ように、音色に「金色」を押し付けるような、音作りではなく、透明で、生の「クリスマス・イヴ」の空気を吸い込んだようなデッカの録音。カラヤンの作り出す、豊かな音質が、ここでは精妙な甘い空気となって鳴り響きます。
パヴァロッティは、ロドルフォの、心の内面に迫るような歌唱ではなく、伸び伸びとスケール大きく、恋に燃える詩人の心を歌い上げ、ミレッラ・フレー二の歌は、感受性の深い、ミミの性格を伝えてくれる、名唱でしょう。
本当に、クリスマス・イヴに聴きたくなる名曲だと思わせてくれます。
1974年録音の「マダム・バタフライ」。
静かで上品な、楷書風の美しい「マダム・バタフライ」です。ゴージャスでグランド・オペラ風の彼の「ボエーム」とは違って、カラヤンが得意とする上品さでみせるプッチーニです。オーケストラはウィーン・フィル。
剛直さが減り、ソフトで柔和なムードが魅力です。淡く、ほのかに香る第一幕のオーケストレイション。それが確実で、きつくない筆致で綴られていきます。どの音もおろそかにしようとしないカラヤンが素晴らしく、細い、金細工のような音でさえ、くっきりと描いていきます。
せつせつと訴えるヴァイオリン。緩やかに、夢の中のように、春の桜の花びらが、降りしきるようなオーケストラの中を、ゆっくりと歩いてくるマダム・バタフライ。ミレッラ・フレーニはミミのときとは違い、すっとカラヤンの美学の中に溶け込んで、淡い音彩で歌います。
プッチーニの、イタリア人一流のエキゾチズムが、カラヤンのインターナショナルな美音でもって、再現されていくのを、デッカの名録音がはっきりととらえています。
カラヤンの劇的手腕と迫力も確かで、彼には珍しく、外面的に過ぎない、静かな内面的な演奏が繰り広げられていきます。心して聴ききたい、名演です。
1979年録音の「トスカ」。
ゴージャスで濃厚な「トスカ」です。まさにグラモフォンのカラヤン・サウンドに聴くプッチーニです。
この録音では、いわゆる、「カラヤンの音」が聴けます。録音上の技術的な細工が施されているんでしょうが、デッカのときとは違って、透明度を犠牲にしてまでも求められた、重厚な黄金色のサウンドはまさにカラヤンのもの。
少し厚化粧に過ぎるかも、とも思いますが、手兵のベルリン・フィルの豪華さがものをいい、この劇的に過ぎる、ヴェズリモの物語を、絵画を縁取る、黄金の額縁のように、オーケストラは響き渡ります。そこには、あまりに豪奢に飾りつけ、最早過ぎ去った芸術の時代を、確信してるかのような、愛好家の、残照と、はかなささえ、思い浮かびます。
ここにあるのは、マリア・カラスとサバータ達が繰り広げたような、過去の名歌手達の競演で描かれた、熱いドラマではありません。ここでは歌手達が、前面にしゃしゃり出ることなく、カラヤンが責任を持って、そのドラマを劇的に描き出しています。静かな一間を置いて、リッチャレッリの歌う、「歌に生き恋に生き」の名アリアも心に残るものでした。
・・・ああ、何という美しさでしょうか・・・。
1981年録音の「トゥーランドット」。
そして、これこそ、ゴージャスなグラモフォンによるカラヤン・サウンドと、まろやかでコクのあるウィーン・フィルの音色が混じり合って生み出した、極上のプッチーニでしょう。
グラモフォンでの「トスカ」がやや厚化粧で、くどさを感じさせたのに対し、ここではウィーン・フィルを起用することによって、ゴージャスさを失うことなく、コクのある、蜂蜜のようなウィーン・フィルの抜け切った音色が混じりあいます。
その精妙さは、類稀なものです。
この大衆に無条件で愛された、プッチーニ最後のオペラは、壮麗な声の競演となりますが、カラヤンはけっしてうるさくせず、中庸を守りつつ、確かなドラマを演出していきます。
まるで合唱が七色に輝く、虹のように鳴り、豊かなハーモニーが空間を埋めていきます。美しいそのひと時、人は現実を忘れ、甘美な夢に浸るのです。
そして、そこにあるのが・・・この精妙な、蜂蜜付けの、プッチーニなのです。
