カルメンは世界で一番人気のあるオペラといわれています。
快活で生気に溢れ、フランスの作品ながら、舞台であるスペインを一聴して感じさせるその音楽は、確かな劇的性質を伴って、大変に魅力的です。
自国のオペラの数が少ないため、フランスの歌劇場というのは自国の作品だけでプログラムをまかなえないそうです。ですから、この「カルメン」の作曲家ジョルジュ・ビゼー(1838-1875)が、わずか36歳という若さでで早死にさえしなければ、フランスの音楽界はおそらくもっと大きな恩恵を得ていたに違いないでしょう。
彼がもし長生きをしていれば、イタリアのヴェルディやドイツのワーグナーのような存在になっていたかもしれません。
「カルメン」は1875年に、フランスのオペラ・コミック座で初演されますが、ヴェズリモ風の印象を持つ、当時のフランスの中産階級の聴衆の好みに合わないこの作品は、「救いがたい失敗」となり、初演の三ヵ月後、ジョルジュ・ビゼーは心臓を患って亡くなってしまいます。
しかしこの作品の普及を目指す、ビゼーの友人でもあったエルネスト・ギローは、この作品がもともとフランスのオペラ・コミックの伝統に根ざし、レチタティーヴォではなく、ダイアログ風の会話部をはめこんだ作品であったのを、レチタティーヴォ版に編曲して世界中に広まっていきました。
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<カラヤンのカルメンについて>
僕は「カルメン」はカラヤンの演奏で聴くことが多いので、今回はその感想を書いておきます。
1963年にカラヤンはウィーン・フィルを使ってギロー版のこの曲を録音しました。新盤と比べると音の鮮度は落ちますが、滑らかな進行と見通しの良い演奏は、後年の演奏ほどしんねんりむっつりせず、透明度も高いです。カルメンはレオンタイン・プライス。
1964年にマリア・カラスとジョルジュ・プレートルもギロー版でEMIにステレオ録音していますが、個人的にはプレートルの演奏がアクが強すぎるように思います。音にやや、やにっこい印象があって、カラヤンの新盤のようなエーザー版を知ると、ちょっと違和感を覚えます。
そのエーザー版(アルコア版)ですが、これはギローの編曲部分を抜いて、ビゼーの書いた音楽のみに編曲したものです。当然レチタチーヴォはなくなり、従来のダイアログ部分が出てきますが、ギローの編曲部分を洗い落としたビゼーの音楽は、とても「新鮮な印象」がするものが多いのです。
そのため、プレートルのように、やにっこくやられるとビゼーの新鮮な感じが減り、どちらかといえば、ギローの書いた、時代を感じさせるような音楽が目立つようです。プレートルに比べればカラヤンは透明度が高く、ギローの編曲部も自然で、エルネスト・ギローによってグランド・マナーに変化した「カルメン」を楽しめます。ただカルメン役のプライスはうまいですが、ややソフトな感じがして、僕は、この悪女の強情さを完全に再現し切れてない気がします。
カラヤンは1982,1983年にベルリン・フィルを起用し、新盤を録音しました。カルメン役はギリシャ人のアグネス・ヴァルツァです。
先に書いたように、学者のフリッツ・エーザーによって校訂されたアルコア版を用いています。晩年に近い、カラヤンの演奏はちょっと重い感じもありますが、先の録音が、テンポの良い「草書」風の演奏だとすれば、新しいものは各部分の丁寧さを強調した、「楷書」風の演奏だともいえるでしょう。
ここでは「カルメン」の聴き所の音楽が、ギロー版の流れていく音楽の中に埋没することなく、新鮮な輝きで蘇ります。
新盤では、第一幕、前奏曲が終わり、イントロダクションの冒頭、新鮮なスペインを感じさせる空気感からして、ビゼーの管弦楽の色気を感じさせることでしょう。
アグネス・バルツァも味が濃く、よくよくカルメンを感じさせます。
第一幕の第4番、有名なハバネラ、あるいは第8番の「Tra la la la・・・(トラララ・・・!)」と歌われるカルメンの歌など、バルツァはジプシー女のアバズレである、「美女カルメン」の、熟した官能性を濃密にふりまきながら、時に男に媚を売り、あるいは奔放に振舞って、彼等を破滅させる女の性格を表現していきます。
カルメンはラストで、落ちぶれたホセに、彼からもらった指輪を投げつけますが、その際にバルツァが叫ぶ、「Tiens!」の叫び声なんかも、聴後、簡単には忘れられません。
新盤と旧盤をくらべてみると、新盤のほうが演奏は魅力的ですが、レチタチーヴォではないため、セリフで音楽が途絶えますので、僕は通して全体を聴きたいときは旧盤を聴くことにしてます。
しかし演奏の迫力や鮮度は新盤のほうが上でしょう。第三幕の二場(四幕となっている場合もある)の根源的迫力は間違いなく新盤が上で、闘牛場の興奮を伝える間奏曲から、「闘牛士の歌」の壮麗な合唱の迫力まで最高です。
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フィナーレで、とぐろを巻いた蛇が鎌首を上げて今にも襲い掛かりそうな、カルメン破滅のテーマが、闘牛士のテーマと交じり合い、狂おしく破滅的な結末を迎えるまで、まさに「熱帯の夜」のようなこのドラマは息も尽かさず続きます。
ラストは、カルメンを殺し、途方にくれるホセを、闘牛士の歌の合唱が彼を慰めるように幕を引きますが、この音楽を聴けば、我々の心には決して冷めることのない、熱い悲劇の印象が、決して幕を引くことなく残ることでしょう。

