イタリアの作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)とジャコモ・プッチーニ(1858-1924)をくらべたとき、僕はプッチーニのほうを好みます。ヴェルディ作品での歌唱は、その力強いメロディーの動きは、どちらかというと垂直で線的な動きを感じさせるからです。
「美声を好む」ということは愛好家の趣味の一つといっていいのでしょうが、それはときに力強さや後天的な技術の獲得を離れて、生来の歌手の性質からくる声質を想像せずにはいられないときがあります。
好みの問題だけからいえば、幅と空間的広さを感じさせる音作りのある曲の方が僕の好みではあります。
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生来声がこもり気味で、自身の努力でそれを克服したとはいえ、初めてマリア・カラス(1923-1977)の声を聴いたとき、その噛んで含んだような声に何の魅力も感じませんでした。どちらかといえば暗くて、輝かしい高音ではなく、芯のある、金属的な性質を感じさせるその声は、僕には玄人向きに思えたものです。
多くのプッチーニ作品では艶やかな、なおかつ空間的に広がりのあるオーケストラの音が必要で、そこで歌う歌手もこうしたオーケストラの音同様、声質が、いわゆる世間的な意味で「美しい」方が良いでしょう。それは動的な動きを感じさせる声よりも、声の音色そのものに魅力がある、「美しい」声、あるいは高音の抜けるような快感を伴った、広がりのある声、ともいえますか。
カラスの場合「トスカ」が彼女の当たり役だとはいえ、プッチーニ作品が格別彼女の性質に合うともいえないようです。ベル・カントの体現者としてのカラスは、必ずしも美声を・・・いわば「美声」そのものとして活用しない、声そのもに動きのある、深いドラマ性を帯びた作品のヒロインこそ、似合うようです。
ただいっておきますが、プッチーニ作品でさえ「バタフライ」、「トゥーランドット」は何の違和感もない解釈をみせ、おかしなところはありません。しかし「ボエーム」はややミミの性格からすると鋭すぎるように聴こえます。
ガラトプーロスは次のように述べています。
「カラス最大の当たり役を選りすぐるは容易ではないのかもしれないが、彼女のノルマ、ヴィオレッタ、レオノーラ(『トロヴァトーレ』)、エルヴィーラ(『清教徒』)、アンナ・ボレーナ、マクベス夫人、アルミーダ、アミーナ、トスカは人びとの記憶に残る最も傑出した役あり、いまだに上に出る者がいないといっても過言ではない。」
ヴェルディの中期の傑作のひとつであるこの「アイーダ」のタイトル・ロールもマリア・カラスの完全な当たり役とはいえないかもしれません。次は彼女自身の弁です。
「私はこの役が好きだったけれど、完全に感情移入することはできなかったわ。アイーダはさほど想像力に富んでいないし、どうかすると消極的すぎるのよ。だから、あまり興味をかきたてられる役ではないんです。」
ヴェルディの「アイーダ」は理解しやすい作品です。僕は人間臭いドラマであり、ヴェルディの代表作ともいえる「椿姫」が苦手でしたが、割合とこのスペクタクルな「アイーダ」はすんなりと入り込めました。
確かにこの作品の主人公のアイーダは受身の消極的な役割で、女闘士を感じさせるマリア・カラスには似合わなかったのでしょう。
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さて、まずはちょっと横道にそれて、ヘルベルト・フォン・カラヤンが1980年にウィーン・フィルを使ってEMIに録音した「アイーダ」を聴いてみましょうか。
これは透明度が高く、美しいヴェルディです。アイーダをミレッラ・フレーニ、ラダメスをホセ・カレーラスが歌っており、歌手も豪華といって過言ではないでしょう。ステレオでこの曲を聴きたいなら、これで充分でしょう。
ただカラヤンはその発想の原点となる意識が、「ボトムアップ」より「トップダウン」とでもいいますか、音を徹底的に磨いて美しく、なおかつ、静かに演奏させるせいで、感情的な効果を自発的なものとさせないところがあります。美しく完成度の高いものですが、聴いていて感情を同調させられないのが困ります。
もっと感情が歌手やオーケストラなどの各人から自発的にほとばしれば、指揮者はオーケストラをまとめるのが大変なんでしょうし、表面的な美しさはスポイルされるに違いありません。そうなってくればカラヤンの芸風は成り立たないところなんでしょう。美を放棄して根源的迫力を取るか、あるいは根源的迫力を捨てて美を獲得するのか・・・。
・・・カラヤンは明らかに後者です。
さて今回の本命である、僕自身の手元にあるマリア・カラスの「アイーダ」は、現在二種類です。1955年録音のセラフィンとのスタジオ録音と1951年のメキシコ・シティでのライヴ録音です。
1955年はモノラル録音ですが、これがマリア・カラスの「アイーダ」の代表盤かと思います。ここでの指揮者セラフィンは専制君主ではなく、あくまでプレイヤーの一人として振る舞い、歌手の実力を引き出すのに尽力します。当然カラヤンの演奏に比べると(あくまで比較してですが・・・)オーケストラのテクスチャーは荒れますが、歌手とオーケストラが噛み合って力強い効果を生み出しています。ここでのマリア・カラスは力強いのと平行して、ウォームな暖かい感情を発していて、充実しています。
立派な演奏でして・・・ひと時の充実した時間を楽しみたいのなら、これは充分なものだと思います。
