今回初めて聴いたこのテンシュテットという指揮者には相当熱烈なファンがいるようです。そうした事実も全く知らず、今回初めて知ったばかりですが、恐れ多くも感想を書きます。しかもマーラーの全集についてです。
さすがに以前からマーラーの交響曲の演奏には相当定評があるということは知っていましたが、実際に聴いてみての感想を今回は書きたいと思います。
19世紀末の退廃的な音楽であるマーラーの交響曲の演奏では、僕はバーンスタインの演奏が好きで、それは今でも変わりません。それはマーラー、バーンスタイン共にユダヤ人だという血の共感がなせる技で、濃密な感情の世界があります。特に新全集が素晴らしく、バーンスタインを語る上でも欠かせない全集だと思います。そのため今回はテンシュテットの演奏をこのバーンスタインの演奏と比較しながら書いてみたいと思いました。
しかし今回初めてテンシュテットの演奏を聴いてみて当初はなぜかそのバーンスタインの新しいほうの全集ではなく、古いほうの全集を思い出してしまいました。新全集と比べても、バーンスタインの旧全集はこのマーラーの音楽の曲の「形」を意識して彫りの深い演奏をします。しかしそれはややくどいほどで曲の形が見えすぎるきらいがありました。同様にテンシュテットの場合も全体にスケールを大きくし、曲の姿を引き伸ばす観があるものの、曲の形がはっきりしていて旧バーンスタインの全集同様、ややくどさを感じさせたのです。
確かにマーラーの音楽自体が「しつこいもの」なのは事実です。それを連続して何曲も聴けばどうしてもさらに「くどい」という思いは避けられませんが、それでもなお曲が見えすぎる感触はぬぐえないように感じました。
旧全集でバーンスタインが時折みせる上っ面の情熱はそれが決して曲想にそぐわなくても、彼の演奏に関する情熱だと見れば決して悪い印象のするものではありません。しかしそれは晩年のバーンスタインの演奏とは違い、若き日の彼が曲と自身との距離を感じさせる瞬間でもありました。
曲の形がはっきり見えるということは、言い換えれば、指揮者がやや「客観的」である、という証拠だといえそうです。そうした表現は、新全集のバースタインが「主体」と「客体」を完全に一体化させ、マーラーの音楽の感情をそのまま自身の感情として表現した世界とは同日に語れないものを感じます。
そしてこのクラウス・テンシュテットの場合ですが、彼の演奏は旧バーンスタインの全集同様、指揮者自身の客観的な視点が光っているようです。旧全集のバーンスタインと違うのはバーンスタインのように曲の内部に感情的に肉薄していこうという気概がないことです。これは良いとか悪いとかいえるようなことではなく、テンシュテットはそうした自身の個性を高度に発揮して、晩年のバーンスタインとは印象の異なるものの、完成度は極めて高い、独自のマーラー観を繰り広げていくのです。
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この全集にはマーラーの交響曲全曲のスタジオ録音と、5,6,7番のライヴ録音が含まれています。オーケストラは全てロンドン・フィルハーモニック。また一番のライブ録音は別のボックスの「THE GREAT EMI RECORDINGS」に含まれており、今回はそれも含めます。
僕がスタジオ録音で面白かったのは2番、3番、6番です。特に2番には感銘を受けました。この2番の演奏に限らずですが、テンシュテットという指揮者の音の輪郭線に対する志向は異常で、曲が始まったとたん、素晴らしい歯ごたえのある音がスピーカーから飛び出してきます。特にスタジオ録音の6番など、冒頭のきついリズムの印象は「素晴らしい」のひとことでしょう。
曲が始まっても、各々の楽器のセクションの分離感は今までに聴いたことがないぐらいの鮮明度で、その歯ごたえも最高です。指揮者はテンポを落とし、悠揚としてマーラーの音響世界の景色を鮮明に描き出していきます。彼はマーラーのオーケストレイションの魅力をただ聴こえる、というだけでなく、極めて視覚的に繰り広げていきます。それぞれの音の遠近感も最高で、それは明快な色彩で巨大なカンヴァスに描いた、退廃的な19世紀末の油絵を思わせるとでもいえましょうか。
しかも、マーラー以外の曲ではかなり地味に聴こえた彼の音作りがこのマーラーの演奏になると信じられないように色彩的になってくるのはちょっとした驚きでした。
これは晩年のチェリビダッケがブルックナーの演奏に特化していたように、テンシュテットもマーラー演奏に特化した結果のように思えました。
2番の「復活」はそんな彼の芸風に良く答えてくれる音楽だと思います。第1楽章の音形がはっきりした、英雄の闘争のテーマはテンシュテットの演奏でここぞとばかりにくっきりと描かれ、その痛快さは今までに体験したことがないものです。テンシュテットは、曲想そのものに感情を込めようとはしませんが、そのかわり意義深い管弦楽の響きが曲の意味を伝え、その内容を明快にしていきます。
後半は怜悧で冷たい、厚みのあるハーモニーに支えられながら、さらにマーラー特有の巨大な音の世界を描いていきます。
その表現はこの交響曲のユーゲント・シュティールな側面を浮き彫りにし、各楽器が各々告げる世紀末芸術の味わいは近代的で鮮烈であることはうけあいです。
マーラーの2番「復活」の演奏は新全集のバーンスタインの演奏も素晴らしかったのはファンなら良く知るところでしょう。やはりテンシュテットと比べるとバーンスタインの方が正統派の演奏かと思います。しかしラストの英雄の復活のシーンの信じられない壮麗さはテンシュテットとバースタイン共々素晴らしく、迫力は互角というところでしょうか。ただ音楽の意味深さはバーンスタインが上回ると思います。
こうした表現の面白さはテンシュテットのマーラー演奏の特徴で、およそマーラーの交響曲ならどの曲からでも聴き取れることができるはずです。
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後はスタジオ録音以外のライヴ録音ですが、こちらは1、5、6、7番共に名演でしょう。1番のライヴ録音のみシカゴ交響楽団です。
その1番の「巨人」ですが、鮮明な音質はいつものロンドン・フィルを上回り、腰も据わっています。これも悠然とした構えの鮮烈な演奏です。
5番も驚くべき巨大な表現で、特にフィナーレの迫力はまさに「巨人の音楽」というにふさわしいでしょう。ホールを包み込むすさまじいクレッシェンドに万感洗われる思いをします。
6番は出だしの印象が弱く、スタジオ録音との差を感じさせますが、曲が進み出すと、こちらも充実した厚みのあるハーモニーで、迫力のある進行を見せます。
7番もスタジオ録音より生命力があり、テンシュテットの個性的な解釈は相当に面白いものがあります。特に2、4楽章の夜の歌の意味深い響きは最高で、退屈しません。フィナーレのラストの決め方も強烈です。
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僕は有名なワルターのマーラーはあまり好みません。ちょっと古典的に過ぎるようで、マーラーならくどくても濃密で耽美な表現をしてほしいと思っています。ブーレーズなんかも洗練していて美しいですが、もうちょっとスケール感がほしいと思います。アバドもベルリン・フィルのカラヤンから受け継いだ黄金色のサウンドは素晴らしいですが、彫りが弱かったり、立体感がなかったりするのが気になります。ノイマンも良いですがいささか地味に聴こえるときがあります。
そう考えるとテンシュテットは確かにマーラーの大家と呼ぶにふさわしい表現者でしょうか。
ただ今回テンシュテットの演奏を聴いて気になったのは、緩徐楽章が思いの外、弱いと思う時があることです。ただこれもバーンスタインの演奏と比べてのことですが・・・。
それで最後にバーンスタインとテンシュテットの演奏するマーラー9番の第4楽章を比較して筆をおくことにします。
