指輪物語2 |  ヒマジンノ国

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長谷磨憲くんち


<オックスフォードでの私の個人指導教官は、近くのペンブルック・カレッジのC・L・レン教授だった。英国文学の個人指導を受けるために私がはじめてレン教授を訪れたとき、彼はトールキン教授の講義にぜひ出席するようすすめてくれた。それは14世紀の詩「サー・ガウェインと緑の騎士」についての講義で、トールキン教授自身がこの詩の新版をすでに出版していた。「かれはこの学部でただ一人の天才だ。」レン教授は断言した。「C・S・ルイスだってかれにはかなわない。」>

(トールキン指輪物語辞典。デイビット・デイ著、仁保真佐子訳。ピーター・ミルワード監修。監修者あとがきから。)


しかしトールキンは馬があったといわれる、その「ナルニア国物語」の作者である、C・S・ルイスらとインクリングスといわれる非公式な同好サークルを開いていた。

そこに集まる人々は現代でいう「オタク」の印象であったが、彼らは実際に多くの作品を世に問い、多くの業績を残していった。


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この作品が第二次世界大戦中に執筆されたことから指輪戦争の原因になる「指輪」が原子爆弾の例えではないかという話がある。しかしトールキンは、この原子爆弾の例えに限らず、作品の中と現実世界を結びつける「寓意」に対しては否定的な態度をとっている。


確かにこの物語に出てくるサウロンの指輪の描写は、我々の住む現実世界と「寓意」によって結びついていると思わざるを得ないような、力強いトールキンの創造物であると思う。だがトールキンは指輪を原子爆弾の例えにすることを否定した。


とはいっても、こうした物語の中に我々凡人は何らかのの現実世界の例えを見いだすのが常で、それは結局どうしようもないことだ。僕もこの物語を読みながら、この指輪が我々の人生の中で一体何を表しているのか何度も考えたものだ。


こういったメルヘンを理解するにはカール・ユング博士よろしく、物語のモチーフ(象徴)を読み砕いてみることが読者の心に腑に落とせる一つの重要な手段だと思う。


そのため、僕には、全てを統べるというサウロンの指輪をはめる、ということは・・・月並みかもしれないが、人間が卑怯な態度をとることへの比喩のように思えて仕方なかった。

人間は立ち向かうべき憂慮する場面から指輪をして立ち消えてしまえば、いずれ堕落し、やがてゴラムのように惨めな姿で全てを失ってしまう。


それは時折、大都会でみるホームレスさえ思い出させる。


また、僕にはかつてワーグナーは「指輪」をこの世の愛のない権力の象徴として描いたことを繰り返し思い出させた。


このトールキンの指輪にもワーグナーの指輪と同じ匂いがあるし、おそらくトールキン自身もそのことを理解していたのだと思う。


トールキンはイギリス人だがドイツ系で、おそらくクラシック音楽に対する知識があったのだと思われる。

エルフにリストやワーグナー風の人間達の印象を、ドワーフにはブラームス風の人間の印象を見いだすのはクラシックファンならたやすいことだろう。

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長らく日本では一部のファンにのみ知られていた「指輪物語」だが、2001年にピーター・ジャクソン監督によって映画化され、多くの人が知ることになった。


この作品はまさにトリロジーというべき印象が濃い作品だが、ワーグナーのリングに比べればやや軟派であり、スターウォーズの神話に比べればこちらの方が純粋に芸術的な印象がある。


こうした神話を人間自身が「意識的に」創りだすようになって久しいが、確かにこの「指輪物語」もそうした人間の創りだした神話のひとつに数えられてしかるべき作品だと思う。