<交響曲第6番>
一時間を越える長大なブルックナーの交響曲が多い中、珍しく50分足らずの小型の曲で、ナイーヴで繊細な作品である。第2楽章のアダージョが慰めに満ちた名曲だ。
ギュンター・ヴァント指揮、北ドイツ放送交響楽団。ブルックナー第6番。
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オーソドックスな名演で、曲の内容も充分理解できる。ブルックナーのナイーヴな性格も良く出ている。第2楽章、アダージョのかすみがかった寂光のような音楽の優しさにも慰められるだろう。
朝比奈隆指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団。ブルックナー第6番。
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ナイーヴなこの曲に対する朝比奈のアプローチは力強い確信に満ちたもので、この曲の別の側面を垣間見せてくれる。
押し出しの強い表現で、ユニークだ。ただしややオーケストラの力量が不足するのが気になるかもしれない。
<交響曲第7番>
ブルックナーのシンフォニーの中で唯一何の問題もなく初演にこぎつけ、なおかつ高い評価を勝ち取ったこの大作曲家の代表作。
長い曲だが、この曲に対しては弟子達も改訂をせず初演もそのまま演奏された稀な曲だ。内容は曲の前半に重心が置かれており、第2楽章はもっともだが、第1楽章もアダージョ風のなだらかな音楽で壮麗な山々を遠くに仰ぎ見るような趣がある。
1883年に完成された曲だが、この1883年という年はヨーロッパの音楽界にとって節目となった年でもあった。「帝王」と呼ばれたR・ワーグナーが他界したのだ。そのため、多くの音楽家が喪に服した。
反目していたブラームスは合唱の練習を打ち切って「巨匠が死んだ。今日はもう何も歌うものはない。」といったという。
アルプスの向こうのヴェルディは契約出版社に次のように書いた。「痛恨、痛恨、また痛恨!正直な話、この知らせを聞いた昨日、私は押しひしがれた気分でした。もう、この話題には触れぬことにしましょう。偉大なる人格、芸術史上、最大の感銘を残すであろう人物は逝ったのです。」
それはブルックナーも同様だった。ワーグナーを尊敬して止まなかったブルックナーは第2楽章の結末を感動的な巨匠への葬送の曲で結んでいる。
ロブロ・フォン・マタチッチ指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団。ブルックナー交響曲第7番。
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指揮者と曲想が一致した演奏で、壮大でなだらかな第1、第2楽章の演奏の懐の深さは誰も適わないだろう。まさにマタチッチのための曲のようだ。
深い呼吸がブルックナーの交響曲を心から味あわせてくれる。
有機的な名演。
朝比奈隆指揮、大阪フィルハーモニー管弦楽団。ブルックナー交響曲第7番。
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朝比奈隆がブルックナーの眠る聖フローリアンで演奏した伝説的な名演。
完全に溶け合った楽器の音色、自然で柔軟な表現・・・日本人でもここまでオーストリアの音楽を演奏できるのか、という驚き。
そうした全ての感動が落ち着いた静謐な空間のなかで、当然のことのように行なわれている。
そしてまた小さな奇跡がこの名演に花を添えている。
朝比奈の指揮を祝福するかのように第3楽章の前に誰も予期しなかった、会場の聖フローリアン教会による午後五時を告げる金の音が鳴り出すのである。それは静寂に響くこの世への完全なシンクロ・・・。
全てが調和された時間が過ぎていく、軌跡の記録がここにある。
小さいが鐘の音も録音されている。
セルジュ・チェリビダッケ指揮、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団。ブルックナー交響曲第7番。
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EMIから発売されているブルックナーの録音ではこの7番がもっとも聴きやすい。
チェリビッダッケ特有の強力なスローテンポもこの曲なら自然に聴こえるだろう。
