アントン・ブルックナー5 |  ヒマジンノ国

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長谷磨憲くんち


<諦めることのない作曲家>


ブルックナーの音楽自体の進行が信じられないような遅さで進むのと同様、ブルックナーの音楽が理解されるには長い年月を必要とした。


ワーグナー以上の遅咲きの作曲家であり、成功したとはいえ、その彼の成功は人生の最後にほんの僅かな期間だけおとずれただけであり、本人がそれを体験できた時間は短かった。


しかもその成功は必ずしも彼の望んだ音楽とは違う形のものであり、その作品の多くが歪めれた形で演奏されていたことを考えると、彼の無念が知れる。


それでも彼は人生の終わりぎりぎりまで作曲を続けた。それは時代を超えた永遠に対する戦いであった。

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<諦めることのない指揮者達>


またギュンター・ヴァント、セルジュ・チェリビダッケ、あるいは日本の朝比奈隆などブルックナーの音楽を世間に広げるのに尽力した指揮者達にも私達は感謝するべきだろう。彼らの高度な表現は昨今の流行りものとは違う、本物の価値がある。


ヴァントがベルリンフィルを指揮したCDのライナーノートから転載する。


「・・・(中略)・・・私はああいう人たちとは混同されたくありません。彼らが華やかなスターを演じるのは勝手ですが、私は違います。」


・・・現代の指揮者がスターを演じることについてさらにヴァントは語っている。


「私は彼らを軽蔑するどころか、哀れだと思います。全く情けないことです。ブルックナーの交響曲を演奏しようと思ったら、人は謙虚になる他ないでしょう。畏敬の念をもって指揮台に向かい、後は天の助けを待つのみです。」


長谷磨憲くんち

長い指揮者生活の末、ほんの晩年だけ世界最高の名誉を手にしたこの偉大な指揮者の飾り気のない言葉に打たれる。


長谷磨憲くんち

朝比奈隆もそうだった。長く日本の一都市で地道に活動を続けてきた後、国内で朝比奈現象と呼ばれるほどの人気を博したのはヴァントと同じように、80歳を過ぎてからだった。


長谷磨憲くんち

チェリビッダッケにしてもベルリン・フィルをカラヤンに追い出されなければあのような独自で極めてレヴェルの高い芸風を身に付けることができただろうか?

長くヨーロッパで日陰の時代を過ごしたことが彼の人生の糧になったことは疑いがない。


そして彼らのこのような実直で粘り強い生き方はまさにブルックナーの人生と共通するものである。

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僕は流行りものは必ずしも嫌いではないし、流行歌も世間には必要なものだ。だが、僕はそれらはあくまで物事のメインではなく、サブなものだと思う。


巷には多くの楽しみが溢れているが、他方、その楽しみは時に誘惑でもある。そしてその中に物事の真実を教えてくれる物はまず無い。


しかしこうした偉大な作曲家や指揮者達は、その人生の本質について我々に語りかけてくれる、数少ない「本物の価値」であることを僕はここで強調しておきたい。