「我が闘争」と第二次世界大戦3 |  ヒマジンノ国

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長谷磨憲くんち


「なぜなら、当時生存して戦っていた人々の大部分は理解していなかったが、枢軸側の計画はその大言壮語にもかかわらず実際的であり、ほとんど成功しかけていたからである。・・・(中略)・・・もしイギリスの抵抗が崩壊すれば、ヒトラーはロシアにおそいかかることができる。(事実、1941年から1942年にかけて、彼はそれにほとんど成功しかけた。)そしてロシアが壊滅すれば、三つの枢軸国――ドイツ、イタリアおよび日本――は、すでに南アメリカに建設を予定していた基地を足場にして合衆国を包囲して圧殺する事ができる。」 H.G.ウェルズ「世界史概観」(長谷部文雄、安部知二、訳。岩波新書。)


だが、結局ヒトラーは自身の野望を実現することは出来なかった。

そしてまた、もし、このヒトラーのいうことが正しければ、世界の支配権は世界的金融を自在に操る、ユダヤ人達のものになったということになる。


・・・とはいえ、それはヒトラーのいうことが全面的に正しければ・・・ということが前提だ。

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確かに政治の奥には何が隠れているかは分からない。


マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画、「華氏911」では大量破壊兵器の存在をでっち上げてまで戦争を惹き起こしたブッシュJr政権の裏側をいくらか暗示していたが、それはあまり気持ちの良い物ではなかった。


軍需産業の盛んなアメリカでは戦争をすれば多くの儲けが出る。そうした軍産複合体と呼ばれる産業の関係者が当時のブッシュ政権を後押しし、戦争を始めさせたのではないかというものだった。


かつて第二次世界大戦で敗北するまでの日本でも、軍閥と財閥が結びついて日本の産業を牛耳っていたが、戦争に敗北した日本では戦勝国によってそれらは解体されてしまった。だが、ベトナム戦争などに負けたとはいえアメリカは戦後ずっと、軍需産業が衰える事は無かった。


そしてこうした勢力こそが実際アメリカの政治を裏で操ってきたと言い、その核心にいるのがヒトラーの嫌ったユダヤ系の大財閥だという人もいる。


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また、ドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」の第五編、有名な「大審問官」の中で人々が既に自らの自由意志を放棄し、「人はパンのみに生きるにあらず」と言うイエスの教えに反し、自らの欲望を満たし、「如何に生きるか」、ではなく、単に、「生きる事」に執着した人間を導く者が必要だとイワンに言わせ、その後次のように繋げている。


「もしかすると、ローマ教皇たちの中にもこうした唯一絶対の人物がいたのかもしれないな。ひょっとすると、これほど頑なに、これほど自己流に人類を愛しつづけている、この呪われてた老人は、現在でも、大勢のこうしたかけがえのない老人たちの完全な一集団という形で存在しているかもしれんよ。それも全く偶然にではなく、不幸な無力な人々を幸福にしてやるという目的で、その人々から秘密を守るために、すでにずっと以前から作られた秘密結社として、一宗派として存在しているかもしれない。それはきっと存在するはずだし、また当然そうあるべきなんだ。フリーメイソンにさえ、その根底にはこの秘密に似た何かがあるような気がするし、カトリックがあれほどフリーメイソンを憎むのも、羊の群れは本来一つであり、羊飼いも一人であるべきはずにもかかわらず、彼らの内にライバルや、理念統一に対する分断策動を見いだすからだという気がするね・・・・」


かつてから人々を救う、という目的で世界支配を考えてきたのは、所謂、ユダヤの大資本家、あるいはローマカトリック、そして、大英帝国の王室だともいう。


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しかしながら、こうした政治の裏側に対する理解は結局、今の我々には推測の域から出ることがない。

たしかにヒトラーのような鋭い観察眼を持った人間には真実がはっきり見えていたのかも知れないが・・・。


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最後にヒトラーが言う民主主義に対する批判的な意見を見ながらまとめとしたい。


彼は民主主義の欠点を挙げている。


ヒトラーは、民主主義は各分野の政治に必ずしも専門家でない人々が選挙で選ばれ、またその意思決定を多数決で決める事により、事なかれ的な決定を押し進め、挙句の果ては誰も責任を取らない、意思決定の出来ない制度だと非難している。


例えば物理化学の分野で、アインシュタインが相対性理論を発表した時、その理論を正確に理解できる人は世界に数人しかいなかったという。


もし物理学の理論が多数決で決められるのなら、アインシュタインのような天才はいつまでたっても理解される事はないだろう。だが、アインシュタインは物理学の世界に生きた人だった。そこに政治的な理論は通用しない。


科学の世界は一人の天才の意見が通る、という訳だ。


だが、逆に多数決の必要な議会では天才も凡才も等しく同じ価値しかない。

仮にとある政治問題に精通している天才が問題の解決法を見つけたとしても、その意見が通るとは限らない。

問題の解決に対して、実際に効果の薄い対策でも多くの人の賛成が得られれば天才の案ではなくとも、凡才の案が通る。


そして実際に天才の考えと言うものは大衆には理解されずらいものだ。


こうして議会制民主主義は大切な問題に対して、専門以外の政治屋ともいうべき政治家がはびこる事になり、何一つ具体的な解決策を見つけられないまま、やがては民主主義は互いが責任転嫁ばかりして意思決定の出来ないシステムに堕するとした。


そして・・・こうした意見を聴くと我々日本人も耳の痛い気持ちになる。


なぜなら、今の日本の政治の世界を見てみれば残念ながら、ヒトラーの言うように、責任をなすり付け合う政治家ばかりになり、本来持っているべき意思決定の機能を放棄してしまっているかのように見えるからだ。


残念だが現代では望まぬ形でヒトラーの予言が形になっているといえる。

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我々が新しい時代に向けて、生き続けたいと望むのなら、それは恐らく、ヒトラーのめざした悪を打倒する道でもなく、また単純に拝金主義や、欲望だけを満足させるだけのシステムではダメなのではないだろうかと思える。


もっと新しい政治、二元的でない総合したシステムを持つ政治が必要だろう。だが、そうしたシステムの構築には過去の反省とそこから学ぶ姿勢が不可欠である。


そのためにもこの「我が闘争」は批判的に読まるべき、世界中の本の中でも、もっとも重要な書物の一つなのだと思う。