戦争が始まると、その生き方を批判され、迫害を受ける事が多いのが、作家や音楽家、あるいは思想家などの文化人である。
現代は政治にシビリアンコントロールが必要だとされているが、一旦軍部が主導権を握ってしまえば、彼等は自分の考えを引っ込めるか、あるいは亡命するか・・・等の選択を迫られる。
そうした選択肢の中で、もっとも困難な道は、その国の中に残った上、自分の意見を曲げずに行動する事だろう。
それは一つ間違えば自らの死を意味することにもなりかねない。
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現代でもフルトヴェングラーは神格化され、尊敬されている。
特にオールドファンにとっては彼こそが指揮者の鏡であり、代表であった。
1888年にベルリンで生まれ、1954年に亡くなったヴィルヘルム・フルトヴェングラーは、後期ロマン派の息吹を伝える、ロマンティックな指揮者であった。
彼は歴史上存在した偉大な指揮者の一人に数えられており、彼の生きた20世紀の前半、ブルーノ・ワルター、ウィレム・メンゲルベルグ、アルトゥール・トスカニーニ、そしてヴィルヘルム・フルトヴェングラーの四人をして四大指揮者と言わしめた。
特にトスカニーニとフルトヴェングラーは20世紀を代表する指揮者として名高い。
確かに20世紀後半にもカラヤンやバーンスタインなどの指揮者がいたが、本来人々が求めた正義の司祭としての意義を持った指揮者の価値は、これら20世紀前半に活躍した指揮者に全くと言っていいほど敵わない。
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人間はどういう生き方をしたかによってその価値が決まる。
多くの人が彼を尊敬するのは、その彼の持つ天才的指揮能力と共に、彼の生き方が人間の望む生き方の理想的な雛形の一つだと思えるからだろう。
楽観的で、苦しみを苦しみとも思わないようにして生きながら、真実を追究する誠実な姿勢に人々は打たれる。
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そしてそんな彼は、ナチスが政権を取った時、亡命せずドイツに残った。
このことが彼を尊敬する人にとって神格化の道を強めたのかもしれない。
トスカニーニは早くにイタリアを後にしてアメリカに亡命していたし、フルトヴェングラーの友人でありユダヤ人であったワルターは、心に生涯癒えることのない傷を負いながら、ロサンジェルスまで逃げていた。
・・・フルトヴェングラーは一体誰のために残ったのか・・・?
彼は、ゲッペルスやヒトラーと綱渡りとも思えるやり取りを繰り返しながら、ドイツ国内で指揮し続けた。
だが、容赦のない戦争は続行された。
確かに彼がナチスに迎合することはなかった。だが、彼がどうしてドイツ国内に残ったかは謎である。確かに色んな推論は成立つし、それなりに事実も伝わっている。
・・・いくつか戦争に関わる録音が残っている。
今回ここではその中から二種類の有名な録音について書いてみた。
これを聴けば少しばかりは彼の考えに迫れるかもしれない。
ベートーヴェン、交響曲第三番「英雄」。ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。
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有名なウラニアのエロイカ。
戦時中の録音で、エロイカの演奏の最高峰として名高い。
このウラニア版は1944年のまだ戦時中にライヴ録音された物で、大変な覇気に満ちたエロイカになっている。
しかもそれは決して誇張された覇気の印象ではなく、切実で切羽詰ったような死んだ気に満ち、大戦末期のドイツ軍の不利がいよいよ見え始めた頃合のドイツ人の心配と同調すかのような、切実な演奏となっている。
なお、これがウラニアのエロイカと呼ばれるのは、発売当時ウラニアから発売されたこの録音をフルトヴェングラー自身が訴えたからだが、その激しい演奏内容も原因の一因だろう。
ベートーヴェン、交響曲第五番、ハ短調。ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。
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戦後フルトヴェングラーはナチ協力者とみなされ、非ナチ化の裁判を受けねばならなかった。彼はこの裁判に非常な憤りを感じており、戦争中自分が行ってきた事が正当に評価されていないと感じていた。
だが彼がナチスの協力者でないことがはっきりすると、やっとの事で新たな活動が認められた。そして1947年、爆撃で破壊された旧ベルリンフィルハーモニーホールに変わって、戦後第一回となる演奏会がティタニア・パラストで行われた。
かつてここは映画館だったが、この日のために劇場は開放されたのである。
このベートーヴェンの第五の演奏はまさにフルトヴェングラーのやり場のない怒りに満ちており、それがこの曲の曲想とぴったり一致している稀有な演奏だ。
破壊されたドイツ、愚かな殺し合いを止められなかった自分、それと同時に理解されなかった自分と芸術の本懐・・・。
涙を禁じえない・・・と言うのはこういう演奏を言うのだろう。
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人間の生きる理由とは・・・?誰もがそんな事に考えを馳せながら、答えを見つけ出せないでいる。
だが、フルトヴェングラーの演奏は芸術に対する確固とした信仰に支えられ、まるで人生の意義をはっきりと認識しているかのようである。
それは決して他者に求めすぎず、自らの中に確固たる価値観を持った、人間一個人の本当の強さを思わせる。
そしてそれこそが貪欲でも暴力でもない、人間の生きるべき第三の道なのではないのだろうか。



