R・シュトラウス交響詩「ツァラトストラはかく語りき」。ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。
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<ツァラトストラはかく語りき>
R・シュトラウスの作品の中で「ドン・キホーテ」と同様に有名な書物の名を冠した交響詩がもう一曲ある。
ニーチェの哲学書「ツァラトストラはかく語りき」の書名そのままに、人類の進化を謳う、世間的にも有名な、大変ゴージャスな響きを持った交響詩である。
この交響詩の冒頭に聴かれる、燦然と輝く朝日を思わせる響きは、遂にニーチェが宗教の戒律を外そうと描いたこの著作の、人類の進歩と栄光を表している。
それは極めて輝かしき人類の曙を思わせる。
しかし、この作品は一見交響曲のような構成の約束事を守ろうとするかにも思えるが、結局シュトラウスは彼特有の長たらしい、饒舌で知的な表現の中に飲み込まれていってしまう。
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シュトラウスは「ドン・キホーテ」の時のように、この曲で厳格に著作の内容をなぞろうとしなかった。
彼が描こうとしたのは「人類の発展」であった。
人類がその起源から進歩し、遂にニーチェが現れ、宗教をも克服し、その超人思想を宣言するまでを音楽で表現しようとしたのである。
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この音楽はスタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」で使われた事によって一躍有名になった。
冒頭の日の出を表現した響きは誰もが忘れられないもので、この曲の代名詞とも言えるものだ。
だから始め、この交響詩ははじめて聴く人にも馴染み深い印象を与える。
・・・しかし、それは単なる勘違いに終わるだろう。
いかんせん、この曲の後半は難解で、とっつきにくいからだ。
美しい響きに身を任せ、楽しめる喜びがあるとしても、そこはやはりR・シュトラウスの音楽、誰もが簡単に理解できるとは限らないのである。
R・シュトラウス「アルプス交響曲」。ルドルフ・ケンペ指揮、ドレスデン・シュターツカペルレ。
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<死と変容、アルプス交響曲>
R・シュトラウスの交響詩はそのセンセーショナルな内容から、表面的な作品ととられなくもないが、その全てが必ずしも他の芸術分野の知識を必要とするものばかりではない。
自らの登山体験を元に描かれた「アルプス交響曲」は音楽を聴いているだけで、アルプスの風景が目の前に浮かぶようだし、さらに自身の大病の思い出から描かれた「死と変容」等も決して難しい内容ではない。
これらの交響詩は確かに複雑で難解な標題を持っているものもある。それは聴き手にとって高い知性を求める難物だが、他方、音楽そのもので表現された内容は決して深いものではないことが救いになった。
聴き様によっては、堅苦しい大道のクラシック音楽に比べて、逆にライトに楽しめる場合も多いのである。
結局、R・シュトラウスの作品が発表されて以来、内容が薄いと言われ続けても、コンサートで彼の交響詩は今でも演奏されていることが、やはり彼が一種の確かな才能を持っていたことを明らかに示していると思う。
R・シュトラウス交響詩「死と変容」。ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。
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交響曲の指揮をすると、恣意的な表情付けをし、不自然に聴こえる事も多いカラヤンだが、R・シュトラウスに関しては自然に聴こえるのが不思議だ。
カラヤンの適性にあっているのだろう。
「ツァラトストラはかく語りき」ではケレン味のない充実した演奏を聴かせ、この「死と変容」も無理のない美しい演奏だと思う。
R・シュトラウス交響詩「死と変容」。ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。
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ベルリンフィル音楽監督だった、カラヤンの前任者、フルトヴェングラーによる「死と変容」の歴史的名演。
神格化され、モノラル録音しか残っていないにも関わらず、その名人芸からほとんど伝説的存在になっているフルトヴェングラー。
魂が打ち震えるように、曲の内部におずおずと入り込んでいくと、他人にまね出来ないような表現で、思い入れいっぱいに曲を再現していく。
今の時代には考えられないような深みのある驚くべき表現で、まさに名演と言うべき、美しい演奏だ。
「死と変容」の最高の演奏の一つではないだろうか。



