チャイコフスキー交響曲5番。ルドルフ・ケンペ指揮バイエルン放送交響楽団。
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チャイコフスキーの華やかでロマンティックな音楽のセンスは本当に素晴らしく、第一級の音楽家の証拠である。
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だが、彼には別の側面もあり、それらの作品は極めて深刻で暗い。
それはチャイコフスキーにとって唯一の悩みとでもいうべきもので、生涯その問題が彼についてまわった。
最後はそうしたチャイコフスキーの人生の負の部分について触れてみたい。
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チャイコフスキーはクラッシク音楽の作曲家としては珍しく、同性愛の性的嗜好をもっていた。
そのことをチャイコフスキー自信はあまり隠そうとしていなかったらしいが、社会的な目もあり、気には病んでいたようである。
それにも関わらず、彼は何故か音楽院の教え子であるアントニーナ・ミリコーヴァと結婚することになる。
結婚を求めたのはミリコーヴァのほうだった。
チャイコフスキーも彼女を仕事上の共同パートーナーとして迎え入れるつもりだったらしいが、ナイーヴなチャイコフスキーにはうまくいくはずもなかった。
二人はわずか9週間で破局。
落ち込んだチャイコフスキーは川に身を浸し自殺を図った。
当時のロシアで同性愛は重罪で流刑になるため、この結婚は同性愛を隠すための偽装だったと言われている。
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そして、そうしたチャイコフスキーの人生に対する葛藤が色濃く反映しているのが、交響曲のジャンルだろう。
良く演奏される4、5、6番の交響曲はどれも悲劇的な色合いが強く、暗い。
それでもこの5番シンフォニーは、第三楽章がワルツであること、フィナーレが交響曲の一般的観念通り、人生に対して肯定的な結末を描いているため比較的聴き易い。
反対に始めの二つの楽章は重く、淀みがありチャイコフスキー一流の苦しみが伝わってくる。
彼の書いた交響曲はスケールも大きく、大作曲家としてのチャイコフスキーの面影を感じることができる。
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楽観的だったチャイコフスキーにとって自分が同性愛者であるという事実は彼を苦しめた。
交響曲のジャンル以外では明るい曲が多いチャイコフスキーだが、交響曲ではそうはいかなかった。
確かに作曲家にとってもっとも力の入るジャンルはオペラと交響曲のジャンルである。チャイコフスキーもオペラを残したが、あまり演奏されない。
それに比べれば交響曲は演奏会の常備曲の一部となっていることを考えると、やはり背景にはチャイコフスキーの本心が交響曲のほうが吐露しやすかったためと考えられる。
そしてチャイコフスキーにとって最後の交響曲となった6番で、彼は自分の人生にケリをつけようと考えたのである。
チャイコフスキー交響曲6番「悲愴」。ウィレム・メンゲルベルグ指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団。
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「今度の交響曲には標題があるが、それは全ての人々にとって謎となるだろう。
その謎を解明したい人はそうしたらいい。
私は旅行中に頭の中で交響曲を作曲しながら、何度も涙を流したのだ。」
チャイコフスキーは遺作となったこの「悲愴」交響曲について、友人への手紙の中でこう語った。
そして、何とこの曲の初演9日後、彼はこの世を去ったのである。
この曲から伝わってくるのはチャイコフスキーの厭世的で悲劇的な人生観そのものだ。
反面、この交響曲はチャイコフスキーの最高傑作の一つとされており、チャイコフスキーがチャイコフスキーたりえるような密度の濃い要素がある。
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当初、チャイコフスキーの死因はコレラにかかることを承知で生水を飲み、コレラによって死んだ、と言われたきた。しかし、現在は毒薬による自殺説が有力となってきているようだが、こうした論議は結局、双方が議論の決め手に欠き、平行線のままになっている。
しかし、どの説が正しいにしろ、一つだけはっきり言えることがある。
チャイコフスキーは友人にあてた手紙を書いた時点で、同性愛を苦に、自ら死ぬつもりがあったのではないか、ということだ。
生きていれば、他にもっと多くの名曲を残しただろう。
初演当時、この曲を自殺交響曲と呼ぶ者もいたという。
自らの思いを助長するため、従来の交響曲の形式とは異なり、フィナーレがアダージョの緩徐楽章となっており、曲の最後は消え入るようにペシミスティックに終わる。
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多くの名曲を残したチャイコフスキー。
はかないが、人々のために数々の音楽を残したこの作曲家が美しいメロディーで人々に語りかけるのを思い出す。
それは決して、下らない喧騒に満ちたものでなく、人々を喜ばせるために書かれたことを思い出すなら、人は涙なくしてこの曲を聴くことはできないに違いない。
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<おわりに>
正直に言うと、僕自身はチャイコフスキーの音楽を最近はあまり聴かなくなった。
専門家がチャイコフスキーをあまり評価しないというのも、実際は分からなくもない。
だが、今回あらためて聴き直してみて、彼の音楽が何で人気があリ続けるかよく分かった気がする。
チャイコフスキーは聴き手のことをいつも考えていて、常に人々に語りかけようとするのだ。
クラシックの作曲家にありがちな、お前達は俺の音楽を聴いていればいいんだ、という高飛車なところがない。
確かに作品の密度や論理的正確さも大事かもしれないが、こうしたチャイコフスキーの姿勢はあまりに暗くなければ、人々に好かれるに決まっている。
実際、聴く人がいなければ音楽は存在しないのと同じだ。
そういう意味では、楽譜をながめているだけではみえない目に見えぬロマンティックな「大衆性」という効果が存在していて、それがチャイコフスキーの魅力の一つとなっているのは間違いがないと言えると思う。
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<CDについて>
僕自身はチャイコフスキーの音楽に対してあまりこだわりがないので、CDは部屋にあるものから簡単に選んだ。
5番のCDは海賊版で、会社も今では解散しており珍しい物だ。
ただ、以前正規版にもなっていたと思う。
演奏は良い。
6番のCDは伝説的指揮者の一人、メンゲルベルグのもので録音が1941年と70年近く前のもの。当然音は良くないが、鑑賞には堪えうる。
彼には1937年の演奏も残っており、演奏そのものはそちらの方が良いらしい。ただ、音質は41年のほうが良いとのこと。
僕はこの演奏でも十分楽しめた。
しかし、あまり素人には薦められない。さすがに音は古く一般向けとは思えない。
ヴァイオリン協奏曲やくるみ割り人形の組曲のCDなども、捜せばもっと良いものがありそうだ。
