マーラー交響曲9番 |  ヒマジンノ国

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長谷磨憲くんち-まーらー


マーラー交響曲第九番。レナード・バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団。(現ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)
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マーラーは自らの理想に生きることに必死だった。そのため彼はどこか浮世離れしており、多くの現実問題を円満に解決すべき能力を欠いていた。ロベルト・シューマンと同じように人間的弱さがあり、シューマンほどではないにしろ精神を病んでいた。


そして晩年は異常に死を恐れ、交響曲にその苦しみを吐露している。


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マーラーは1910年の四月に彼の最後の交響曲となる第九番を、ニューヨークで完成させた。彼は1911年に死んだが、死の前年のこの交響曲は悟りのない死への恐怖で満ちている。


死の原因は、当時は治療の難しい喉の連鎖球菌であった。


第一楽章のアンダンテ・コモドで描かれる死への苦しみは赤裸々で、もがき苦しむマーラーの姿を如実に伝えている。


金管楽器やティンパニが重々しく鳴り響く。そよ風のような主題は、鬼火へと変わり何か巨大な生き物の足音や鳴き声がこだまするようだ。そしてマーラーの足元には地獄の口がぱっくりと開き、彼は底へ落ちまいとあげくが、結局無駄に終わってしまう。


第二楽章と第三楽章はそれぞれレンドラーとブルレスケだが、両方とも舞曲になっている。


真ん中の二つの楽章が言わばスケルツォのようになっており、それを二つの巨大な楽章がはさむことで、シンメトリーをなす構造。


前者がやや素朴な印象でこの曲の休息部だとすれば、ブルレスケは自虐的な道化者だ。戦っても勝てぬ死への戦いをなす者はドン・キホーテだといいたいのだ。マーラーの死への最後の抵抗をあらわしている。


第四楽章は死への抵抗を諦めたマーラーの涙に満ちたこの世への絶唱となる。マーラー得意のアダージョは目いっぱいの気持ちをこめてゆっくりと死への準備をする。


死を受け止めるべく弦の合奏が清らかに泣き続ける美しさはマーラーの最後の交響曲にふさわしい。


そして最後のハーモニーが消え行くと、終に長かった彼の苦しみも終わるのである。

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僕はいつもこの曲を聴くと父のことを思い出す。父は僕が19歳のとき48歳の若さで死んだ。糖尿病で目が見えなくなり、車の事故の影響で体に水が溜まりそこへ筋肉が溶け出していくことによって、力なくやせ細っていった。


徐々に死に近ずく恐ろしさに毎晩うめき声をあげていた。この曲の第一楽章はそのころ体験した雰囲気にそっくりなのだ。


だが、苦しみさえもこうした美しい曲にできるというのなら、人生に全く救いがないとはいえない。今となっては感傷に浸りたいとも思わないし、過去のことだとも思っている。だからといって、自分の経験はどんなにあがいても消す事はできないもの。


だから、この曲はいつまでも自分の人生と不可分になっている気が僕にはしている。